何回か前のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に、こんなシーンがありましたですね。
織田信長の前に宣教師オルガンチノが高山右近を伴ってやってきた場面。
信長への手土産として地球儀(もちろん外国製ですな)を持参したところ、
信長は大層興味を示した様子でありました。


大地が丸いなどとは俄かに信じられないと言う周囲を尻目に
目を輝かせて地球儀に見入り、日本(「ひのもと」と言ってましたですね)の小ささに
ひとしきり思いを馳せる信長。


余談ですが、この当時の地球儀に記された日本の形は
おそらく伊能忠敬 が描きだしたものほどには正確ではなかったことでありましょう。


それはともかく、続けて信長が「一周するのにどれくらいかかる?」と問いかけますと、

オルガンチノはこれに答えてマゼランの世界周航(1519~1522年)を例に挙げ「3年ほどかと」。


掴みどころのない地球の大きさというものを、
一周するには3年かかるという尺度の置き換えで捉えようとしたのでありますね、信長は。


と、大河ドラマの話はそこまでとして、マゼランから350年後の1872年、

ひとりのイギリス人資産家が従僕を連れて世界一周の旅に出ます。
が、これはジュール・ヴェルヌが書いた小説「八十日間世界一周」のお話でありますですね。


作中、主人公フィリアス・フォッグは「八十日で世界を巡ることができるかどうか」で賭けをして、
およそ計画通りにいかない大冒険(これが見せ場かも)を強いられながらも
結果的には成功できるようになっている(?)わけです。


とまれ、マゼランの世界周航から350年経った段階では、
世界一周の早回りが80日で可能かどうかという点で全く無理というわけでもないけれど、
相当に運がよくないとできないことと広く受け止められていた…その微妙なさじ加減もあって、
小説はヒットしたのでありましょう。


そして、さらに27年後の1899年、
計画通りに行けば(やはりここが肝心)80日を掛けずに世界を一周することができると、
ひとりの女性がニューヨークの港から大西洋を渡る蒸気船に乗って

東廻り世界一周の旅に出発するのですね。


米紙「ワールド」の記者であったネリー・ブライという女性で、
常に体当たりの潜入ルポのような記事で知られていただけに、
女性の旅には衣類や何かをうんとこさ詰め込んだトランクがいくつも必要という当時の常識を覆し、
手提げひとつで旅に乗り出したのでありました。


ところが、この「ワールド」紙の企画を聞きつけた雑誌「コスモポリタン」では
東廻りでは季節的に南シナ海で難儀をするはずと、逆の西回りでの世界一周を目論見、
ネリ―の出発後数時間にして、一人の女性記者をアメリカ大陸横断鉄道に乗せてしまいます。


ネリ―ほどの思い入れもなく世界一周をさせられることになったエリザベス・ビズランドは
最初のうち、この旅が嫌で嫌で仕方がない。
それもそのはず、体当たりルポのネリ―に対して、
エリザベスは文学少女あがりのコラムニストなのですから。


と、申し遅れましたけれど、

これは「ヴェルヌの八十日間世界一周に挑む」という本を読んで知った話。
いやあ、これが面白い(興味深いという意味ですが)本でありましたですなぁ。


ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む―4万5千キロを競ったふたりの女性記者/マシュー グッドマン

東廻りのネリ―、西廻りのエリザベスの旅のようすを交錯させて語りながら、
その折々に関係する点、例えば「ワールド」紙の社主ジョゼフ・ピュリッツァ-のこと、
当時すでに手広く旅行業を手掛けていたトーマス・クックのこと、蒸気船の状況、鉄道の状況、
そして出版業界がいかに女性に向かない職業と考えられていたかなどなどなど、
いろいろな説明を交えてくれている。


ここまでのところでは、両者が競い合うレースが展開しているように思えるかもですが、
全くスタンスの違う二者が世界を廻りながら洩らす感想や印象からは
何か対象を、ワンサイドからでない見方で見せてくれるかのよう。


当時の世界一周には大英帝国たるイギリスの影が常についてくるのですけれど、
(中東やアジアの寄港地のあちこちがイギリスの息がかりで)
ネリ―は大のイギリス嫌いになって帰ってくる反面、
エリザベスはアメリカの祖先という親近感を抱くてなふうな違いがあるという。


このように反応は180度違うように見えつつも、実は両者は似てもいるのでして、
例えばそれは「アメリカ 」という国を、そして「アメリカ人」であることを

強く強く意識しているという点では同様といっても良かろうかと。

ここからは「アメリカってこういう国なんだ」というところまでも思いを至してしまいますですね。


結果としては、ネリ―・ブライが72日と6時間余り、エリザベスの帰着は76日と19時間余りで

帰着し、いずれもが80日の壁を破ることには成功を遂げます。


途中、後発のエリザベスの方が快調に進んでいるかにみえる場面もありましたが、

季節柄考慮すべきは南シナ海ではなく、真冬に渡る大西洋の方だったようで、

そもそも計画が失敗だったようでありますね。


とまれ、両者共に成功ではあったものの、エリザベスに追い抜かれることなく

1番でアメリカに戻ってきたネリ―が一躍「時の人」となったのに対して、

エリザベスの世界一周に触れる人はほとんどいない。


そして、余りに有名人になってしまったネリ―が

もはや記者としての仕事に居場所を失った感がある一方で、

エリザベスの方は淡々と好きな文章を書いて発表し、何冊かのエッセイ集を残したりしている。


ですが、本で触れるその後の人生を思うとき、

ついつい果たしてどちらが幸せであったのか…と(詮無いことながら)考えてしまいますですね。


どういう人生が「幸せ」なのか、

本人が考えるところと傍目から見るところとは違うものとは思いますけれど。