映画「タイタニック」と言えば、どうしたってディカプリオとケイト・ウィンスレットの船首でのシーン、
そしてセリーヌ・ディオンの歌あたりを思い浮かべるところでしょうけれど、
(個人的にはジェームズ・ホーナーの音楽が一番ですが)
それ以外にもタイタニック号の遭難を扱った映画は実にたくさんあるようです。
その中にはいわゆる際物的な作品や異色作と思しきものもあろうと想像しますけれど、
「これほどの異色作は、果たして…」と思うものに出くわしたのですね。
たまたまヒストリー・チャンネルの「検証!ナチス制作 映画『タイタニック』」という番組を見て、
そう思いましたですよ。何しろ番組タイトル通りにナチス・ドイツで作られたのですから。
戦時下では「表現」に対する制約がある…とは想像するところながら、
それがナチス・ドイツにおける統制となれば生半可ではなかろうと。
そうした状況下で作られた映画「タイタニック」とはいったいどんなものであったのか…
気になるではありませんか。
1935年にレニ・リーフェンシュタールが撮った「意志の勝利」、
ニュルンベルクでのナチス党大会の様子を写し取ったものですが、
こうした映画を通じて、そもそもナチスはプロパガンダ・メディアとしての映画には
注目していたのでしょうね。
さらにはナチのプロパガンダを束ねる宣伝省の大臣であったゲッベルスが
実は大の映画好きで、ハリウッド映画にも目が無かったそうな。
ですから、全てに優る?アーリア人の第三帝国としては
ハリウッドを追い越す映画の都をドイツに作りたい…てな俗な野心も
ゲッベルスにはあったかもしれませんですね。
しかしながらナチス独自の政策故ですが、
ユダヤ系の血を引くフリッツ・ラングやビリー・ワイルダーといったドイツ映画界の才人たちが
次々とドイツを離れてしまう。行き先はアメリカです。
1939年のポーランド侵攻から始まった欧州大戦で破竹の進撃を続けたナチス・ドイツとしては、
というよりゲッべルスとしては「映画でアメリカには絶対負けんもんね」との意を
強くしたのではないかと。
そして、ナチス・ドイツが辺りをひと通り平らげたと思われる頃、
「次はイギリスだ」と考えていた矢先、ゲッベルスに持ち込まれた企画が
「タイタニック」の映画化であったそうな。
20世紀初頭の技術の粋を注ぎこみ、絢爛さと快速性とを併せ持つと同時に、
もちろんおいそれとは沈まないと考えられていた巨大客船タイタニックは
処女航海で敢え無く沈没。3年かけて建造し、3時間で沈んでしまった…。
このドラマチックな要素を用いて、これからの対英作戦を正当化し、
国民の士気を鼓舞するような映画が作れるのではないか。
これによってハリウッドにも優る映画制作が叶うのではないか。
こんなふうに、ゲッベルスは考えたのかもしれません。
でなれば、「タイタニック」の制作に投じられた費用、人員、物品等々は
とても片方で戦争をやっているときに回せるようなものではなかったそうですよ。
エキストラの調達要望がでれば、前線へ送られるはずの部隊を足止めして回し、
迫力を出すのには本物の船で撮らねばと求められれば、
海軍から輸送船の利用を認めさせる…といった具合。
まさにゲッベルスの面子がかかっていたのでしょう。
話としては、英国人社長がタイタニックの速さを誇示せんがため、
氷山が近づいてくるとの忠告を聞き流して、減速もさせず迂回ルートもとらせらなかった、
英国人船長もそれを容認した、そしてフィクションのキャラながら彼らに忠告するのが
ドイツ人航海士であったという設定。
イギリス人はとんでもないやつらだろう!という潜みでありますね。
しかし、大作であるが故に制作は難航し、大変な時間を要してしまった。
かつて破竹の進撃を続けたドイツ軍もイギリスを落とせず、ロシアも落とせず、
士気が高まるどころか、長引く戦争を倦む気配すら出てくる始末。
何とかかんとか映画「タイタニック」は完成をするんですが、
試射で見たゲッベルスはこの映画を国内上映禁止にしてしまうのですね。
本来、英国人を悪者扱いしてこれを叩くドイツの正当性を浸透させるべく考えられた話が
状況の変わった時期に改めて見ると、タイタニックはまさにドイツ国内のことにしか思われない。
「危機にさらされています」といくら下の者が忠告をしても、いっかな耳をかさない上層部。
このままではタイタニックは沈んでしまうとは誰も知っている歴史的事実が
まさにドイツという国に起ころうとしていることを想起させてしまう。
そういう映画になってしまったのでありますよ。
実はこの映画の完成間際になって監督の交代が行われました。
元来、ゲッベルスが期待をして名指しで依頼した監督でしたけれど、
反体制的言動があったという告発でゲシュタポの尋問を受けていた際に、
独房の中で首を吊ってしまったそうな。
果たして自殺であったのか、どうか…。
番組でははっきりと言っていたわけではないですが、どうもこの監督はもしかして、
ゲッベルスの野心をいいことに制作過程で次から次へと無理難題を吹っかけて
サボタージュしてたんではないかとも思われてきますですね。
「でも、この人、党員だったんでしょ」と言われればその通りなんですが、
芸術家の中には世俗のことはともかく?制作活動の保障を得んがための入党だったのかも。
一概に引き比べはできないものの、音楽家ではリヒャルト・シュトラウスとか
フルトヴェングラーとか、はたまたカラヤンとか…。
悪気はなかったではすまないとは思いますけれど、
きっとそうした人たちもいるのではないかと。
とまれ、ナチス・ドイツが物量を投入して制作した映画「タイタニック」は、
ものの見事に制作を指示した側の意図を裏切る作品として出来上がったのでありました。