立川 という近所の場所なだけに「いつでも行ける」感があって、
前から一度は行ってみようと思っていたのに常に後回し…、
そんな状態の続いていた国立極地研究所の南極・北極科学館でありました。


まあこのところ、エベレスト だぁ深海 だぁと、
ある種、地球の極地でもあることごとに触れたこともあって、思い出したわけです。


すでに小学校は夏休み入りしておりましょうから、
家にいるより涼しいでしょうし、無料だしでわんさか子供たちが来てるかなと思ったですが、
実のところはちらほらくらい、むしろガランとしておりましたですよ。


そういう状況だったからやもしれませんですが、
南極大陸を象った模型を眺めておりますときに、
胸に「広報」と書かれたバッヂをつけたおじさんがあれこれ説明してくれたのですね。


目の前に置かれた南極大陸の模型は、
左上側にマンガの吹き出しの尾っぽのような山脈状の半島が突き出した
お馴染みの形をしておりましたけれど、この形が本来的な南極大陸であるかというと、
実はそうではないということでありました。


見やすい高さに置かれた大陸模型の下の段に、
ともすると準備中の展示物かとも思われる位置ですが、
ここに南極大陸に被さった氷を全部どけてみたらどんなものか…という模型があり、
ほとんどは海面にへばり付いたかのような、海抜ぎりぎりの高さの土地が
貧相な感じで横たわっていたわけです。


南極の氷が全部解けてしまったとしたら、海水面は60mほど上昇するので、
この模型は氷が解けたんでなくって、氷の部分を全部取りのけてしまったらこうですよと、
この方も理系なのか、きちんとした前提を踏まえるよう説明がありました。


海抜60mまでは海に沈むとなると、東京の区部はかなり浸るな…てなことを思うわけですが、
ともあれ写真などで見る南極大陸とは本当の陸地ではなくって、
その上に長い長い間降り積もった雪が押し固められて氷になり、

それがさらに堆積してできている、まさに「氷の台地」だったのでありますな。


その高さたるや平均して2,000mで、

それを掘って掘って掘りまくらないと地表には達しないという。
ですが、先にも山脈状の地形があることに触れましたように、
実際の地面が氷の台地から突き出しているところもあるわけですね。
南極大陸最高峰のヴィンソン・マシフは4,892mもあるといいますから。


昭和基地に陣取った日本の遠征隊はいろいろな調査研究をしているようですが、
この厚い氷を掘削して深いところからサンプルを採取するなんてこともやっているようです。


そのサンプルを取ってくる深さたるや、3,000m余りということもでありますので、
深海探査での江戸っ子1号(というより「しんかい6500」か?)ではありませんが、
科学技術がまた必要になるところでありましょうねえ。


ちなみに南極というところは夏でもマイナス40℃、冬ならマイナス70℃くらいの外気温とか。
昨年夏にオスロの「ICE BAR」 なるところでの酷寒体験で、

1時間と中には入っておれなかったですが、そんなもんではないのですな。

大黒屋光太夫 たちのシベリア体験なら近いところでしょう)


最近は見ないので分かりませんけれど、昔は大晦日の紅白歌合戦では決まって
昭和基地の南極越冬隊からのメッセージ云々という一幕があったと思います。


日本の大晦日は、南半球の南極では夏ではないか…と訝ったりしましたけれど、
夏といってもマイナス40℃では、冬の日本からでも「寒いですかぁ~?」などと
語りかけても違和感なしだったのですね…。


ところでその昭和基地は、その名のごとく昭和32年(1957年)に開設されたものですが、
日本と南極の関わりがその時点から始まったわけではないことは誰もが御存じかと。


昭和基地開設の半世紀ほど前の1910年(明治43年)、
陸軍の白瀬中尉率いる探検隊が南極に向けて出発したのでありました。
(白瀬矗という名前はついぞ読めないままにしてましたが「のぶ」と分かりました)


が、この1910年というのはですね、かのアムンゼン とスコットが南極点を目指して
それぞれ自国を出発した年だったのですよね。


つうことは、アムンゼン、スコットによるデッド・ヒートに
実は日本隊も関わっていたのか?と盛り上がり掛けましたですが、
どうも時季を読み誤ったのか、解けだして押し寄せる流氷群に阻まれて一端シドニーへ退避、
南極大陸で到着した段階で、すでにアムンゼンも、スコットも南極点に到達した後だったそうな。


白瀬中尉一行は、それでも極点を目指して雪と氷の中で踏み込んでいきましたけれど、
南緯80度辺りまで達したところで極点到達を断念。
ではありますが、隊員がひとりも欠けることなく帰還を果たしたことに
(直前にスコット隊のことがありましたですしね)世界から称賛の声があがったそうでありますよ。


…というあたりの思いもあってか、第二次大戦後に日本も昭和基地を設けて
南極の調査研究を進めているようなわけですが、
そうした調査研究ではいろいろな発見につながるようですね。


例えば昭和基地の近くで見つかった鉱物、これがサファイヤやルビーであったというのですね。
このことから、南極大陸は、昔々は雪や氷とは縁もゆかりもなくとても暑かった…と知れるらしい。


昔々といっても生半可な昔でなくして、ジュラ紀と言われた2億年もの昔、
(ジュラ紀というくらいで恐竜の化石が南極でも見つかるそうです)
地球上の陸地はひとまとまりのゴンドワナ大陸であったようですけれど、
このひとまとまりの段階で後に南極なる部分は、赤道近辺に位置していたのだそうですよ。

そりゃあ、暑いですわなぁ。


そして、南極大陸部分は現在のスリランカやインドあたりと隣り合った位置関係であったそうな。
今でもスリランカは宝石の島と言われる場所ですから、共通の土台として
南極でもサファイヤやルビーが見つかるということになるのでありましょうね。


あれやこれやと「そうだったのか…」的にはことがありましたので、
ずらずら書いていたら南極のことばかりになってしまいました。
後で、やっぱり北極の方のことも書きましょうかね。
こうした題材だというだけで、いささか涼む気がしてきますし…。