「山の日」なるものができることになった…といっても日本のことでしかないわけですが、
何となく近頃は山関係の映画が多いような気がしないでもないですね。


日本映画では「春を背負って」が公開中ですし、
ちょっと前には「K2」登山に関わる映画がありました。
そしてアンナプルナに登る映画も待機状態であるような。


とまれ、見ようと思っていた「K2」を見逃したものですから、
今度は終わらないうちに見に行こうと思っていたのが「Beyond the edge」。
(カタカナ表記の「ビヨンド・ザ・エッジ」がどうも気に入らず…)


世界最高峰8848mのエべレスト(最近はチョモランマという方が多いようですが)への
初登頂した史実の映画化でして、ドキュメント・フィルムと再現シーンを織り交ぜ、
関係者へのインタビュー音声なども交えたものでありました。


映画「Beyond the edge」

エベレスト初登頂と言いますと、
どうしてもエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイという個人名を思い出してしまいますが、
実のところは英国の国家プロジェクトであったわけで、
南極も北極も 一番乗りできなかった大英帝国 としては、
かなり早くから別の意味での地球の天辺を目指していたようでありますよ。


「地球のてっぺんに立ちたい」と言って北極点を目指したのは女優の和泉雅子さんでしたけれど、
この出来事はそも極点到達が国家の威信を掛けたプロジェクトであった頃とは違うんだねぇと
思わせてくれましたですね。


で、エベレストに登るということも、
ヒラリーたちの頃とは打って変わって商業公募隊なるものが組まれるご時勢であるのだとか。


早い話が8848mに到達できるという体力、気力のある人はどうぞご参加ください。
費用さえいただければ、段取りから装備一式、ガイドもつけて
エベレスト山頂にご案内しますという、早い話が登山ツアーなのだそうですよ。


ですから、世界文化遺産になってなおのこと登山者で溢れかえる富士山 ではありませんけれど、
(個人的には富士山は愛でるを良しとしてますので、登ることはないと思います)
エベレストでもシーズンには頂上を踏むのに渋滞が起こったりするそうな。


まあ、こうした状況から考えると今は昔の感があるエベレストの初登頂物語。
1953年3月に入山した英国隊の装備は何と4トンを超える重量があって、
これをベースキャンプ(ここでさえ標高5364mだそうで)まで運びあげるため、
総勢400名にも上る人数が携わったそうですから、これを「山登り」と言うべきにあらずという
気もしますですね。


前年にトライしたスイス隊は残り標高差にして300mもないところまで到達しながら、
悪天候により断念せざるを得なかったということがあり、
翌年にはまた別の国が挑戦することになっていたことからすると
(当時は早々入山許可が簡単にはとれなかったのでしょうね)
英国隊にはこの機を逃すことは許されない状況にあったわけです。


ベース・キャンプまで歩き通すだけですでにひと月余りの時間を要しており、
モンスーン到来による天候悪化を避けるために頂上制覇のデッドラインを5月半ばにおいて
登頂にかかった隊員たちでありましたが、雪と岩の道なき道を進むのは容易なことではなく、
日にちはどんどん過ぎ去っていく。


いよいよ第1次アタック隊が山頂を目指して出発したものの、酸素補給器の異常で断念。
隊員として喜ぶべきことではないところですが、第2次アタック隊に指名されていた
ヒラリーとテンジンは内心でチャンス到来の快哉を叫んでいたことでしょう。


ここで、登山の技術、体力も買われていながらも、
彼らが第一次アタック隊に選ばれなかったのは英国隊(他の国の隊も推して知るべしですが)は
基本的に軍人やら研究者やらで構成されていて、皆パブリックスクールを出ている
英国ジェントルマンなわけですね。


要するに国家の威信を背負うに足る人たちというか、階層というか。

これに対してエドモンド・ヒラリーは英領とはいえニュージーランドで養蜂業を営む庶民、
テンジン・ノルゲイに至っては秀でたシェルパくらいに思われていた現地人であるという。


結果的には彼らが5月29日(幸いにしてモンスーンは遅れていたのか)、
世界で初めて最高峰の頂上を踏んだわけで、

話題が完全に二人の人物に持っていかれた恰好かと。


ですが、全体的に考えれば英国隊の勝利であって、
隊長であった陸軍大佐の統率力、指導力の賜物でもあり、
それぞれの隊員も皆役割を果たした結果ということは忘れてはならないような。

何しろ国家プロジェクトでありますから。


この初登頂から27年後、ラインホルト・メスナーというとんでもない身体能力の人が現れ、
酸素補給にも頼ることなく、またたった一人でそこらの山に登るように

エベレストに登ってしまうのですね。
これもまた「記録は破られるためにある」みたいなことのひとつでありましょうか。


何しろヒラリーの時代には、8848mなんつう場所は

人が生きて辿りつける場所ではないのかもしれないと考えられていた時代でもあり、

それだけに大部隊を投入し、万全の準備を整えてという体制を取ったわけです。


メスナーにとっては、もはやエベレストの頂上は

人が生きていけない場所かもなんつう考えはなかったですから、
それなら大部隊で大荷物を時間を掛けて運ぶよりも、

身軽にさっさと登ってしまえるのではと思ったのかも。


まあ、だからといって、これで「さあ、エベレストに挑戦してやるぞ」と思うものでもありませんが、
淡々とあたかも記録映画でもあるかのような進み方で

ヒラリーとテンジンの歩みに寄り添って見てきただけに

エベレスト登頂の疑似体験ができたようにも思うところでして、

カメラが山頂でぐるり360度を眺め渡したとき、
安直な表現ですが感慨深さがこみ上げてきましたですね。


実際のところは、そこらの山にちょいと行ってみるかくらいのことですけれど、これからも。