METライブ の2013-14シーズンも最後の作品に。

ロッシーニの「ラ・チェネレントラ」でしたですが、

掉尾を飾るというのがふさわしい盛り上がりようでありました。


これだけ面白い(笑いたっぷりの意味で)作品、プロダクションは

そうお目にかかれないのではないですかね。何しろオペラなのですし。

本来の会場たるニューヨークのメトロポリタン歌劇場も笑いの渦に巻き込まれていたですよ。


初めて接する作品ではありましたけれど、何しろタイトルが「ラ・チェネレントラ」、

いわゆるサンドリオン、いわゆるシンデレラのお話となれば

ストーリー的にはいまさらの感があって「行こうか、どうしよっかな」だったわけです。


が、タイトル・ロールがジョイス・ディドナートと知るや、これは行かねば!と。

以前、やはりMETライブでドニゼッティの「マリア・ストゥアルダ」(メアリ・スチュアート)を見て以来、

かなり気になるところとなっていたものですから。


ディドナート自身が、というよりチェネレントラ自身が笑いをとるということはさすがにないですが、

その分、装飾音ふんだんの技巧的な歌唱を含めて、相変わらずの見事な演技であったなと。


取り分け終幕を飾るアリア「悲しみと涙のうちに生まれ」は、

オペラ・ブッファ(要するにコメディー)としては違和感を抱くくらい情感あるものでありました。


ところで…ですが、

先にも言った通りにチェネレントラは早い話がシンデレラで…と思っていたところ、

チェネレントラは継父のもとにおり、魔法使いのおばあさんもかぼちゃの馬車も

果てはガラスの靴も出て来ない…。


王子様とは舞踏会に行く前に継父の家で顔を合わせて、すでに互いに一目惚れ状態ですし、

(ただし、王子は従者に化けており、身分違いを余り気に病まずに済む設定になってる)

真夜中の12時を告げる鐘が劇的に使われることもない。

(舞台上では暗示的に扉の奥に時計が垣間見えるふうでしたが)


とにかく、シンデレラと聴いて思い浮かべるものとはずいぶん違うものでありましたですね。

もっともその分、自由な脚本をオペラ化に都合のいいように仕立てることが

可能になったものと思いますけれど。


考えてみれば、シンデレラ、サンドリオン、灰かぶり姫

民間伝承由来のお話で、ヴァリアントもたくさんあるはず。

ロッシーニ版をその一つというには当たらないだろうものの、

かといって、これでなくてはシンデレラでないというような決定版も見出しにくい。


にもかかわらず、現代人はディズニー版によって

イメージが多分に固定化されてしまっているとはよく言われるところですね。

先に挙げた魔法使いのおばあさんやら、かぼちゃの馬車、ガラスの靴といったあたりも。

(ちなみにグリム 版にはかぼちゃの馬車は登場しないそうですよ)


これも「ところで」ですけれど、

よく「シンデレラ・ストーリー」という言葉が使われるように、

貧しく苦境におかれた女性が一夜にして夢のような立場に身を置き換えるのが、このお話。


ということは、身分の階層を飛び越すお話であって、庶民には受けはいいであろうものの、

果たしてオペラを見に歌劇場に集う客層にとってはどうなんだろうと気になるところですね。


ローマでの初演は1817年だそうですから、フランス革命後とはいえ、

まだまだ身分格差の甚だしい時代でしたでしょうから、

この作品をストレートにはぶつけにくい時代背景だったのではないかなと。


そこで、先に触れたような諸々の改変と言いますから、独自性の延長上に

チェネレントラは実は高貴な血筋であったと最後に分かる的な何か

(そうであれば、身分階層の超越はありませんから、王子との結婚も穏当に釣り合う)が

あるのではないかと思って見ていたのですね。


すると、それは意外な解決法でもって提示されたのでありました。

結局のところ、極めて大きな身分の違いを超えて王子とチェネレントラは結婚しますが、

そこへ現れた継父とその娘(異父姉で、いじめの張本人ですね)をチェネレントラは

誠に大きな慈愛の心で赦すわけです。


で、ここで歌われる合唱が(歌詞、字幕をはっきり覚えてはいないんですが)

王座のとなりに座る(つまり将来、王妃たることが約束された)という以上に

慈悲深い、愛情深い存在だというようなことを歌うのですよ。


つまり、世俗的な身分の違いがどうのこうのではなく、

チェネレントラは神にも似た、言わば聖母マリアのようなと言ってたらいいでしょうか、

大きな慈愛そのものであるかのように歌われる。

そうした(単なる人ではない?)大いなる存在にも擬せられるのであれば、

もはや身分を超えて云々を言っても仕方がない、言うべきでない…ということになりましょうか。


こうした結末(と、勝手に思っているだけですが)と途中途中に散りばめられた笑い、

登場人物たちのアドリブも多々あるやに思われる劇の進行とは

一見バランスが悪いようにも思えますけれど、

身分のことなどを当時ほど気にかけずに見られる今であれば、

単純に楽しめばいい、単純に楽しめる作品と言っていいのかもしれませんですね。


ロッシーニ:歌劇《ラ・チェネレントラ》 [DVD]/ディドナート(ジョイス)


プロダクションは異なるものの、

ディドナートがタイトルロールを演じたDVDが出ているようですから

そのうち手に入れて再見再考を試みたいと思っておりますですよ。