本来は静岡市美術館 に出掛けたついで、

静岡あちこち街歩きのほどはこれまで見ていただいた通りですけれど、
駿府紀行に書いてきたことごとの狭間に埋もれたあたりを、最後に(例によって)落穂拾いとして。

静岡市役所静岡庁舎本館のドーム屋根


まずはこちら。
丸屋根の塔をいただく、なかなかに特徴のある建物でありましょう?


実は静岡市役所(正確には静岡市役所静岡庁舎本館というらしい)でありまして、
そぞろ歩きの中では
駿府町奉行所跡 とか静岡由来の碑 とかが
静岡市役所のところにあると言っておきながら、建物自体には登場してもらってませんでした。

静岡市役所静岡庁舎本館(正面)


正面に廻って見れば、何やらミッションスクールの本館か何かのようでもあろうかと。
これまでのところでは
徳川慶喜 山岡鉄舟 などを引き合いに出して、
せいぜい幕末あたりまでの話ばかりでしたけれど、
静岡にもこうしたレトロ風味の近代建築もあるということで。

静岡銀行本店


静岡市役所が昭和9年竣工であるのに対して、昭和6年の竣工となれば、
こちらも近代建築のひとつとなりましょう、静岡銀行の本店であります。


ちょうど呉服町の交差点に建てられているからというわけではありませんけれど、
東京の呉服橋(周辺はかつて呉服町と呼ばれて、越後屋呉服店=三越 にも程近い)の、
三井本館なんかの建物を思い出したりもしますですね。


そうそう、建物としては静岡市役所とはお堀を隔てて向かい合わせになっている
静岡県庁舎本館もまた昭和12年竣工のレトロ系と話に聞いていたんですが、
どうもフォトジェニックでないような…(笑)。


せめて県庁では別館(こちらは思い切り今風のビル)21階にあるという
無料の展望台から富士やら駿河湾やらの絶景 をと思ったですが、
どんよりとした曇り空を見ては諦めも肝心と思ったものでありました。

静岡学問所之碑


ところで静岡の近代化という点では、この「静岡学問所之碑」なぞも該当しましょうかね。
駿府城坤櫓 を目の前にしたお堀端にありますけれど、
あちらこちらの藩が古くから設けた藩校とは趣きを異にしてようす。


江戸を引き揚げた多くの幕臣が教授職につき、また子弟にもなり、
お雇い外国人も(勝海舟の口ききで?))赴任してきたとのことなのですね。


昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜 」では
同志社に集った熊本バンドなる学生たち(徳富蘇峰 ら)が出てきましたが、
静岡学問所でも外国人講師を通じてキリスト教の伝道も行われ、
こちらはこちらで静岡バンドと呼ばれる一団もあったそうで、
メンバーには蘇峰が発刊した雑誌「国民之友」などに記事を書いた山路愛山らがいたのだとか。


…と気が付いてみればですけれど、

先の薩埵越紀行 ではたぁんと静岡の美味いものを味わったものでありましたが、
今回はちいとも食の話が出てきてませんでしたですね。

ですので、こんなものも食べましたという一枚を最後に。


麦飯とろろ焼魚定食


これは「西郷山岡会見之史跡」のある

ペガサートという複合施設の飲食店で昼飯にした麦飯とろろですけれど、
いわゆる丸子宿(府中宿の次)名物の「とろろ汁」とは別ものなのでしょうね、きっと。


これはこれで大変おいしくいただきはしたものの、
本当の本物の名物「とろろ汁」はいつかの機会に丸子宿を訪ねて食すことといたしましょう。


となれば、またいずれかの折に駿府紀行の続きを書き起こすことにもなりましょうか。

なにせ、迎えてくれる静岡の側でも「まだまだやるら」と宣言しておられるようですし。


静岡はまだまだやるら!