このほど足利を訪ねるに際して は、先に「途中に大きな寄り道スポットを見つけて、

そこまで行くのなら足利は目と鼻の先」てなことを書きましたけれど、

その大きな寄り道スポットと言いますのが群馬県立館林美術館でありました。


もはや足利でもなく栃木県ですらない館林でありますから、
足利荘紀行 」の範囲を逸脱しているわけで、

タイトルに「番外」と付したのはそういうことでありますよ。


東武伊勢崎線(これは「いせさき」と呼んで、「いせざき」とは濁らないと初めて知りました…)で
足利市駅から東京方面(実際の終着駅は浅草ですが)に四つほど戻りますと、

そこはもう群馬県館林市、多々良という完全無欠の?無人駅でありました。


東武伊勢崎線多々良駅


事前に調べた情報では、

この人影さえ見かけぬ駅前で館林市の無料レンタサイクルが借りられるという話。

ですが、さるブログの記事には貸してくれるはずの場所はシャッターが閉じられ、

それらしき様子もない…そこで歩いてしまったという経験が綴られたものも見かけたのですね。


で、実際その場に立ってみるとそのブログを書かれた方が見たであろうのと同じ景色、

つまり「無料自転車」との案内も空しくシャッターは固く閉ざされていたのですよ。


歩けば20分ということで行けないことはないですが、
まあ試しにとシャッターの閉じた場所と明らかにひと棟の建物と思われる

カイロプラクテック研究所(?!)に尋ねてみようとすると、

研究所の入り口には「脇へ廻ってピンポンを押すように」てなことが書かれてある。


そこで脇へ廻って見ればまさしく民家であって、なんだか煩わせるのも悪いなぁと思ったですが、
一応とドア・チャイムを押してみると(松村記念館より反応よく)中でがさごそ音がしたかと思うと
年配の女性(要するにおばあさんですが)が顔を出してくれました。


「ここではないのかもしれませんけれど、自転車を貸してくれるところがあるようで…」
「はい、ここですよ!」(はぁ…)


改めて研究所の入り口に廻って、貸し出してもらいましたですよ、無料レンタサイクルを。
おかげで何とも楽チンな移動になりました…ですが、これは気が付かないだろうなぁ。


多くの方が分からなくて借りるのを諦めるのか、

あまり乗られていないらしき自転車は鍵の開け閉めには難儀をするし、

ブレーキは豚を絞め殺したときの(って、知りませんけど)ような音がする。
でも、文句は言えませんね、何せタダですから。


と、このような前置きに長いこと費やしてしまいましたが、
ことほどかほどに館林美術館を目指すいわれといえば、ひとえに企画展を見んがため。
来年1月13日まで開催中の「山口晃展 画業ほぼ総覧-お絵描きから現在まで」であります。


山口晃展@群馬県立館林美術館


あんまりアンテナを張り巡らせていないだけに、
山口晃と聞いても「誰?それ…」というのがついこの間までの状態。


それが、下諏訪で「時の科学館 」を訪ねたことから宋の都・開封が描かれているものならと
「描かれた都」展 を見に大倉集古館に足を運んで、山口晃作品を発見!


他にも作品を見られる機会があれば…と思っておりましたところが、
館林美術館で「画業ほぼ総覧」とまで言う展覧会をやっていると知り、
もはや矢も盾もたまらず…とは大げさですが、ともかく経緯としてはそういうことなのでして。


1967年生まれだそうですから、ばりばりの現役、現代作家ということになりましょう。
小さい頃から「お絵描き」が好き(子ども時代のいたずら書きのようなものも展示されてます)で、
それが昂じて芸大に入ったものの、欧米の絵画技術をなぞるばかりであるかような日々に

うんざりしていたごようす。


元来「欧米文化の急速な移入による日本の近代化に疑問」を抱いていたらしいんですが、
「『木に竹を接いだ』近代日本を乗り越えよう」という思いがむくむくと頭をもたげ、
芸大では江戸時代以前に立ち戻って日本美術をやり直そうと考えたのだそうな。


そうしたところから生まれた山口作品は、

どうしてそうなったのかは想像を超えるところながら、面白さ爆発!状態でありますねえ。


例えば、百貨店の日本橋三越をそのままお江戸日本橋にタイムスリップさせたような

「百貨店図」はどうでしょう。


山口晃「百貨店図」(本展フライヤーより)

現代の服装の人、ちょんまげの人が混在し、

屋上ではパンダの乗り物に乗る子どもがいるかと思えば、

地上では大八車で運んだ荷を搬入する人足たちがいる。

そして、今のまま石造りの百貨店の脇には木造の日本橋が架かっている…という具合。


こうした細かいところをじっくりと眺め渡す楽しみというのは、

古くはブリューゲルの「子供の遊戯」ですとか、新しくは安野光雅さんの「旅の絵本」とか、

もそっと卑近な例では「ウォーリーをさがせ」あたりとも一脈通ずるものがありますね。

作り手の思いの点では全く異なるやもしれませんが、見る側の楽しみ方には近いものがあろうかと。


ピーテル・ブリューゲル「子供の遊戯」


旅の絵本 (1) 中部ヨーロッパ編 (安野光雅の絵本)/福音館書店 大型絵本 新ウォーリーをさがせ!/マーティン ハンドフォード


こんなふうに考えてきますと、古来「アート」なるものとは相容れなかったはずの娯楽性が

見る側に違和感をもたらすことなく「アート」と同居するようになったのだなぁ…と思いますですね。

まさしくボーダーレスな状況。


作者の思いも見る側の受け止め方もどんどん変化していく中では、

やっぱりリアルタイム現代の作品にも目を向けることの面白さは確実にあるなと改めて。


山口作品では「百貨店図」にしか触れていませんけれど、

その他の作品も同趣向で楽しめたり、はたまた異なる面持ちを呈していたりと、

「画業ほぼ総覧」とのタイトルには偽りなし。

館林まで出かけた甲斐もあろうというものです。


なんでも図録には最新のものまで含めてとの考えから、

現在作成中らしく予約販売になってました。

3月頃には完成して送られてくるようですので、これもまた楽しみのひとつでありますよ。