清水
のホテルで一泊した翌朝、どうやらお天気は上々のようす。
TVで静岡県内の天気予報を見ても申し分なさそうでしたけれど、
富士山が雲に取り巻かれていないとも限らない。
あいにくとホテルの窓は東向きで駿河湾方向は晴れ渡っているのが分かるものの、
富士山方向はどうなっていようか…。
薩埵峠(さったとうげ)に出掛けるにあたってはそれくらいナーバスになっておりましたですよ。
で、最終的にはJR清水駅の2階にある改札前まで行ってみれば、
富士山方向の様子が分かるのではないかと踏んで、
早々にホテルをチェックアウトして清水駅へ。
そこで見通しが立たなければ、そのまま東海道線で静岡へ出て、
多少の史跡巡りでもしようかという胸算用をしながら、
清水駅のエスカレーターを上がってみたところ、
もう眼前にどお~んと富士山が。
ここまではっきりくっきり見えてしまいますと、
わざわざ薩埵峠に行く意味が?てなくらいの眺め。
当然に薩埵峠行きは決意しましたですが、
ここでの富士の眺めを写真に収めては後の興味が半減しますから、
そそくさとバス乗り場へと歩を進めたのでありました。
東海道線の改札口まで行ったのならそのまま東海道線で興津駅に出てもよさそうなものですが、
ここでは取り敢えず清水駅前からバスに乗り、前日にぶらりと歩いた坐漁荘
、清見寺
、
水口屋ギャラリー
といったあたりを車窓から眺めつつ、興津駅の先、県営興津団地バス停まで。
少しばかり車道歩きを端折って、スタートしたという次第であります。
かつて興津を賑わしたもととしては、東海道の往来ばかりでなく身延道の往来があったわけで、
歩き出して程なく、その分岐点に行き当たりました。
道としては鎌倉時代に開かれたそうですけれど、整備をしたのは武田信玄
。
甲州に信玄棒道という軍事上の移動ルートが開かれいるように、
信玄にとってこの身延道は駿河攻略上の重要なものだったのでしょう。
甲府までは88㎞、日本三大急流のひとつ富士川に沿う難儀な道のりであったでしょうね。
興津川を渡り、やがて車ばんばんの車道から逸れて登りにかかりますと、
海岸寺という小さなお寺さんに出くわします。
斜面にへばりつくようにあって、その狭さは清見寺が大伽藍に思えるほど。
位置的に元々は波除け観音堂があったと言われると、なるほどなあと。
ただ、この寺の扁額も朝鮮通信使のひとりが残したもの。
左側になんとか「朝鮮國紫峯」との文字が見えましょうか。
とまれ、登りにかかったとは言ってもまだ舗装路の段階で、
こうした道標もよく整備されていますから、山歩きの気分にはなかなか至りません。
と、その舗装路を登りつめた先には墓地が見え、
その間を縫って階段状の山道が木立の中へ消えていっています。
いよいよだなと気合いを入れようと思うところに、どうやら無料貸出の杖が。
先の道がどんなだか詳しくないこともあり、取り敢えず拝借することに。
慢性的運動不足の身にとってはたちどころにひいこらしてくるところですが、
視界の効かない木々の中を進むことしばし、ぱあっと眺望の開けるところに。
どうやら早くも興津側の薩埵峠に到着した模様です。
ここには薩埵峠の歴史を記した解説板がありましたので、
一度その由緒に触れておくことにいたしましょうかね。
ここに道が開かれたのは1655年(明暦元年)朝鮮使節を迎えるためで、それまでの
東海道は崖下の海岸を波の寄せ退く間合を見て岩伝いに駆け抜ける「親知らず子知らず」の難所であった。
ちなみに崖下はこんな具合で、今でも急降下してる様子に代わりはないような。
(この階段は非常用か何かなんでしょうかね)
さらに解説は続きます。
この道は大名行列が通ったので道巾は4m以上はあった。畑の奥にいまも石積みの跡が見られ、そこまでが江戸時代の道路である。今のように海岸が通れるようになったのは、安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果である。
とまあ、あれこれあれこれ言っとりますが、その眺望のほどは?
お待たせしました。まずは、これをご覧くださいまし。
薩埵峠の写真はとかく縦長が多いので、ここでは敢えて横長で長い裾野と駿河湾を大きめに。
てなことを言いつつ、縦でも横でもとにかく写真をばしゃばしゃ撮りまくってたんで、
それを次々ご覧いただくのも詮無いこと、なるたけまともな写真を使うことにしますね。
これなどは個人的にちょいと気に入っておるものですから、いつになく大きめに。
錦絵の材になるのではと自己満足の極みでありますが、
薩埵峠の写真に付き物の東名高速が隠れているのも一興かと。
ところで、かつては大名行列も歩いたという道であればなのか、
由比側へと続く道は何とも歩きやすく、
またどんどんと富士山が近づいてくる心地がするのですよ。
あんまり快適ウォーキングだものですから、由比側の峠にも何なく到着。
こちらからはまた東名高速の見え方が違いますですね、当然ですが。
・・・と、勢いで長くなってしましたですが、
それほどにお天気に恵まれて富士に見守られた峠越えは素晴らしいものであったなと。
ここにたどり着くまでには、あれこれの紆余曲折、右往左往の連続でしたけれど、
全て報われたなと思いつつ、由比の町へと下りにかかったのでありました。