AI-Hobby-KunstによるPixabayからの画像

 

面白い記事が目に入ってきました

 

 

 

量子力学の話が最近盛り上がってますね。。。

量子力学上で言えば、思ったことが自分には見えない。そのほかの世界は見えない。無いものとなる。www

 

現実社会に当てはめてみることができます。

 

その原子よりも小さい、光子のもっと小さい単位ともいえる量子の姿、、というか、その動きをカメラでとらえて、それを観ると、、

 

 

このような映像になるそうです。

 

おお、陰陽マークですね。

 

先人は、この量子の姿を見ていたのでしょうね。。

 

現代の物理学は、物質の理、物質からみた真理を研究するものです。

いままで、世界空間のほんの一面から極めようとして、現時点でたどりついてきたものが、

東洋の陰陽となるとは。。。

 

これが何を意味するのか、さらに追求する必要がありますね。

 

でも、いろんな方向から、真理を追究していっても、たどり着くのは一つなのかもしれませんね。

 

先人の方が賢かった?

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

古武術の先生、曰く。

 

「自分の身体を自在に操れない人間が、他人を思うがままに動かすことはできない!」

 

「できないうちは、他人から教えてもらい、己にしみこますものだ!」

 

 

納得。

 

 

 

自在に動かせないのに、他人を動かそうとすれば、衝突するよね。

 

自在って難しい。

 

SeidenperleによるPixabayからの画像

 

力を抜いて、感じること、そこから始まる。。

 

力がはいると、相手に察知され、行動を予測される。

 

それは、負けや死を意味する。。。。

 

勝負事というよりは、日々の生活の中に脱力して身体を柔らかくして過ごしたいものです。

 

気づいたら、脱力するように心がけますが、いつの間にか、頭に力が入ったり、肩にちからが入ったり、脚にも緊張がある感じがします。

 

気づいたら、抜く。。

 

まずは、それから習慣化できないかと、日々、意識しています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

遡っていただければ、私の歩き方の試行錯誤が見えてきますw

 

アップデートします。

 

股関節と足首を緩めることを意識しながら、歩行することをしています。

気になると、そこを緩める、

無意識に緩めたままとなるにはなかなか難しいです。

 

で、足裏の感覚がどうも固い。。

地球と一致するとか、

地球と繋がるとか、

イメージし、対立しないように心掛けているのですが、、

足首の座りがよろしくない(不安定)

足裏が固いまま。。

 

それでは、やはり地球と一つになっておらず、むしろ対抗している、反発しているという感じです。

 

でも、足首を緩めるようにして歩いていると、不安定なまま。。

股関節に響き、なにかしら、身体を踏ん張るということもできず。

歩き方もぎこちない・・・

 

ちょっとイイ感じかと思いきや。。違う箇所が、、

身体感覚から身体全体を感じると、不安定さが浮き彫りになる。。

 

Piyapong SaydaungによるPixabayからの画像

 

 

ふと思ったことが、、、

 

 

膝を意識していなかった。

 

そうだ、関節はひざもある。

 

膝を緩めることを心がけることにした。

 

ただ、膝はなるべく蟹股にするのではなく、交互にすっと前に出しながら、進める。

 

そうすると、股関節、膝関節、足首が連動し始めた。

 

無理なく、脚全体で大地をつながり、安定する。

 

臍下丹田にも自然と気持ちが留まり、据わった感じである。

 

これいいかも。。。。

 

と暫く継続してみて、その後の観想は書こうと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

言葉を使うことは難しい。

 

自分が認知した物事や事象を言語化していくことは、理解を深める、理解を定着させるには必要な行為と思う。しいては、他者に対して理解を求めようとすると、受け取る側の思考空間に入って解釈されるわけで、その理解が一致しているとは言えない。

よって、他者に対して言葉を尽くそうとしても、繰り返し、表現を変えながら、そのギャップを埋める、乃至、こちらの思考空間に導くことになってします。

やはり、言語とは、一つの理解した空間を輪切りにして、その断面を示すことにほかならず、必ずしも全体を表現しているとは言いにくい。

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

まるで、野菜を切って、その断面を示し、、トマトだと!いうようなもの。。

その輪切りの形は、人によってはピーマンに見えるかもしれないし、カボチャに見えるかもしれない。トマトというものを理解しているもの同士であれば、いとも簡単、

あ、トマト!

といえる。

でもトマトをしらない、あるいは、その存在を忘れている人にとって、なんだろうと思うわけで、回答として、知っているものに当てはめようとするものである。

 

包丁も使い方次第といいますが、言葉も同様。

 

立て切りにしたり、輪切りにしても、、3Dスキャンのように幾重にもしたとこで、ようやく全体像が見えてくる。

それでも、所詮、輪切りであることには違いない。

 

それを、他者が完全に理解したといえるのものなのか。。

 

そこは相互に感じ取るしかないのかもしれない。

 

ただ、言語がないと、共通理解、共通認識を構成できないとなると、、

もともと、不便な世界ともいえる。

それこそ、相互理解は、永遠の不毛な努力かもしれません。

逆に、相互理解、共通認識を構成するには、不断の努力が必要なのでしょう。

 

絶えず、相手を理解しよう、自分を正確に伝えようとする努力が人類に課せられた課題なんでしょう。

 

それを怠る、、自分の意識を強引に他者に強いることは、相互にストレスを与えます。なかにはあえて不協和を生み出そうとする者もいるでしょう。

 

時間は刻刻を動き、、その時々にて、自分自身も、他者も変化しています。

変化するもの同士のなかで共通認識に立つことは、言葉を尽くすこと。

お互いに共通認識・共通理解をしていこうという意識があることが前提となるかと思う次第。。。。

 

最近思った次第。。。。

強引なひとが多くなった。。ショボーン

 

 

 

Anaïs CROUZETによるPixabayからの画像

 

3か月に1回、歯医者に行って歯の検診をしてもらっています。

 

先日、検診してきました。

 

その前まで、、奥歯の一部の歯肉が腫れ、歯茎のチェックでは出血することも。

 

よく言われていたのは、

 

よく歯磨きしましょう。

 

歯間ブラシかフロスを使って歯垢を取り除くことに心掛けましょう。

 

 

もともと、フロスは嫌いw

 

あれば歯と歯肉の間に余計に隙間をつくって余計に歯垢スポットと作るだけと思っていました。

 

また、歯間ブラシも、、歯間の隙間を開けるだけと思っていました。

 

なので、無視。

 

でも、いつも通りしても歯茎の状況はよく変わるわけではありません。

 

そこで逆転の発想。。。

 

歯磨き粉、、、止めましたー

 

歯ブラシだけで、ゴシゴシ!

 

大体、歯磨き粉にはいろんな成分が入っています。

ホワイトニング系のものや殺菌系のもの。。

 

ほんとうによいものなのでしょうか?

もともと、歯磨き粉は昔はなかった。

塩粒を指につけてゴシゴシ程度。

または、小枝をかみ砕いて、歯をゴシゴシ。

 

いっそのこと辞めてみよう。

数カ月やって、効果がなければ、また歯磨き粉を使えばよい。

 

で、2カ月ぐらい前に歯磨き粉をつけるのを止めました。

 

そして、先日の検診。

 

歯茎の腫れはなく、

歯の健康状態は全く問題なし!!!

 

私の想定は外れていませんでした。

べつに口臭が気になることもなく(おそらく。。。)

歯は健康!

 

次の検診でも結果良好であれば、

 

歯磨き粉は不要なもの

 

としようと思います。

(お金も浮きますしw)

 

本来口内細菌も善玉菌もいる訳ですから、

善玉菌が増えていれば、口内も健康なはず。

 

口内の健康が身体の健康につながるといいますし。。

 

試してみたい方は、是非チャレンジしてみてください。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。