瞑想する際に呼吸は大切です。

 

呼吸がとまれば、意識に圧がかかり、自然の流れに癖がつく感じがあります。

私の場合、上半身に圧力を感じ意識が上昇してしまいます。

あくまで、ゆっくりと、自然な感じで、1息を長ーくすることに心掛けています。

 

吸氣も、呼氣もです。

吸氣は、第2チャクラに入れるつもりで。。。いや第1チャクラかな?

呼氣は、第2チャクラに意識を持ちつつ、あるいは第6チャクラに意識する感じ。

(ただ、呼氣のとき上に圧がかかり気持ちが上昇してしまう感じがあり、それは意識的に圧を外すようにしています)

 

1息を長くするコツ。

マントラ、読経、祝詞の上げるをあげる、ことかと思います。

 

心の中で唱えるだけでよいです。

マントラ一の一小節を1呼吸で、とか。

般若心経でもよいでしょう。

 

祝詞なら、簡単な

 

「と、ほ、か、み、え、み、た、め」

 

が、一呼吸の時間の計測がしやすいと思っています。

これを一呼吸で唱えるのもよい。

きつければ、2呼吸で唱える。

4呼吸でもよい。

徐々に1呼吸へ持っていけるようにするのでよいでしょう。

 

数字を数えるのもありますが、すぐ飽きます。

 

それより、言霊を信じ、自分自身でここちよいと思われるフレーズを唱えるのが、自然に、楽に長呼吸に移行できるでしょう。

 

古今東西、宗教がそれぞれの宗派の中で唱えるフレーズを持っているのは、このように瞑想をしやすくし、一呼吸を長くすることができて、

 

日ごろのストレスを一瞬忘れさせてくれる

冷静になって、いいアイデアを想起させる

瞑想が深くなり、覚醒させる

 

といったシステムになっているのかもしれません。

 

 

チャクラは身体に7つあるといわれています。

 

よく瞑想に意識を持っていくときに使われるのが第6のチャクラ。眉間の奥と言われています。

といわれても、、イメージわかない人が多いのではないでしょうか。

 

私的には、眉間の内側にある頭蓋骨の裏側ぐらいに意識を持っていくのがよいかと思います。

 

まぁ、一説には視床下部ではないかという説もあります。松果体という説もあります。

 

視床下部となると、もう脳の真ん中。中央となります。

松果体だと、後ろの方にずれます。

 

さて、本当はどこなのでしょうか?

 

所詮、イメージの置き場所は自分で探すしかないかと思います。そこで合う場所が、あなたのチャクラの場所なのかもしれません。

 

ただし、グルもいない状況でのチャクラ開発は慎重にしたほうがよいかと思います。

なんの装備や知識もなく、シェルパのいないチョモランマ登山と一緒です。

大なり小なり、生きていけば、それなりに身体に故障があります。変に覚醒すると、故障個所でエネルギーが詰まり、あらぬ方向にいってしまうかもしれません。きれいに洗い流してくれればよいですがね。そういかないこともあります。

グルがいれば、シェルパと一緒で、うまく回避する。掃除のお手伝いをしてくれて、覚醒を手助けしてくれます。(グルが本物なら)

 

なので、ご自身でゆっくり進めるとして、一般的と思われる頭蓋骨の裏側あたり、1インチがいいかなぁ。

そう暴れず、イメージしやすいと思います。

 

さて、あとは第二チャクラですかね。

 

よく瞑想に意識をすることに使われるのは。

一般的に臍下丹田。あるいは尾骨をイメージします。尾骨はわかりますけど、臍下丹田の場所わかります?

臍下の丹田???

臍下とは?

臍の奥?

まさしく

臍の下のあたり?

丹田、、、どこだ?

 

子宮という話もあります。

 

第三のチャクラも臍の奥と言われています。

 

うーん。どこなんでしょう?

 

第二チャクラについては

私として子宮の位置がよいのかと思います。私は女性ではありませんがw 

臍から下に3本分指を抑えたところ。また、そこから、今度は奥に2,3本分持って行ったあたり。

なんか気持ちがしっくり落ち着くところがあるかと思います。

そこに意識を集中してみましょう。

いろんな意味で身体、精神が落ち着いてきます。

 

私の意見ですが、まずは、この2つのチャクラに意識を持っていくことで瞑想を続けることがよいかと思っています。

チャクラの開発もありますが、まずは、精神的にゆとりがでてくるのではないかと思います。

 

一遍に2つのチャクラを意識できない?

 

ですよね?

 

交代交代で、意識してください。

 

どうせ、ずっと意識を一つのチャクラに合わせるのはむずかしい。

ならば、合いにくくなったなぁと思ったら、別のチャクラに意識を持っていく。

 

そのうち、自然に2つのチャクラに同時に意識を持っていくことができるようになっていくでしょう。

(焦らずに、ゆっくりと)

 

まだ、ここではチャクラの開発の前段階の話です。

意識をチャクラに持っていくことをイメージすることが先にやることです。

 

 

瞑想するにそれを実感するにはイメージングが必要です。

 

仏教的に「無」になれ、と言われても「無」とは何ぞや?と雑念が入る。

いま、生きている間に、人間関係の擦り切れやなんらかの欲が沸き上がってくるものです。

瞑想すると、そのような様々な意識が頭の中を巡り、むしろ、疲弊してしまうこともあります。

なんで、「無」になれ、というのかもしれません。

 

チャクラって言いますね、エネルギーの源泉。人体には7つあるといわれています。

8つという説もありますが、定義の問題の気もします。

 

そこでチャクラをイメージングすることで、沸き上がってくる雑念を上書きする感じでしょうか?

チャクラも人によって色やイメージが違うかもしれません。まぁ、ネットや教科書から大体の色や形のイメージをなるべく維持するようにすることが良いかもしれません。

 

雑念がでても、上書きする。

 

その繰り返しで、徐々にチャクラのイメージが定着します。皮膚感覚でなにか流れるものが出てくるかと思います。チャクラとチャクラをつなぐように。

 

コンピュータ的ですが、いまは上書きというのが雑念を取り払うにはフィットするかと思います。

 

 

脳ばっかり使っていると、体のバランスが保てない感覚になる。

人間の体はよくできているのか、体の一部しか使わないと精神的に滅入ることが多くなり、冷静な判断ができているのかどうかの判断もできなくなります。思考の慣性が働き、複眼的な思考や、俯瞰する能力が落ちてきます。

まずは、体を動かすことでバランスをとることが大事と感じています。

 

とは言え、なかなか体を動かすことがままならない場合もあることは確かですし。

最近ではコロナは人の移動・行動の制限を強いるもので、体を動かす機会を奪うものです。

 

ひょんなことから、ヨガの導師にお会いすることがあり、瞑想の手ほどきを受けることになりました。

昔、それなりに瞑想や気功をしていたこともあり、すんなり瞑想に入れたが、気づいたことがあります。

 

それは腹式呼吸。

 

自分ではできるものと思っていたが、実はまだ胸式呼吸のままで浅い呼吸の状態のまま。腹圧はかけても、腹圧だけで、空気を下腹

まで吸い下げるまで至っていなかった。

 

師、曰く、

「腹式呼吸は自然にできるもの。力加減とかいらない。」

 

それは、上級者の言葉なんだけど、思いつつ。。

力が加わっている、意識して呼吸をするうちはまだまだ呼吸ができていない証拠なんだろうなと。解釈。

ただ、瞑想を続けているうちに、意識を、臍下丹田にもっていくようにはできるようになった。

(師のお導きか?それとも昔取った杵柄?w)

 

1時間30分の瞑想の時間。

耐えられるかと思っていたが、なんとか腹圧をかけたり、意識が飛びそうになるのをこらえ、ヨガスクールの皆様と一緒に瞑想時間を完了。

 

頭に氣が昇りやすい状況だったのが、脳内が軽くなった気がする(ぼーっとしてただけというのもあるがw)。

脳がかるくなり、下腹に氣の充実を感じると、精神的に落ち着く。

 

改めて瞑想をやってよかったので、暫く、継続してみることにする。

 

もう一つ、いいことは、高めであった血圧、脈拍が10-20ぐらいぐっと下がった。

ストレスが多き状況の中、ここまで身体に影響があるものかと実感。

 

鼻からゆっくり息吸って、そのまま下腹へ送り込む意識で、、すると下腹が充実してきます。

(お腹に力をいれるのではなくむしろ緩めて空気を入れ込む感じ)

いっぱいになると自然と吐く気になります。そのときは口からゆっくりと吐くように。

吐き切る手前からまた自然に鼻から息を吸っていきます。

 

呼吸の時間は気にしないほうがいいかと思います。あくまで自然にややいつもより長めで、、

それを繰り返していると自然に息はながくなっていくでしょう。

(苦しくなったら自然呼吸ではないですし、ストレスとなってあらぬ方向に意識が飛びます。氣が散って瞑想にはならなくなります)

 

 

コンピュータシステムは多くの便利さをもたらしている。

欲しいデータをすぐに見つけ出し、見せてくれる。(キーワードが適切なら)

仕事の効率を上げてくれる。いままでデータを見つけるまで一苦労。スキーマがわからないと適切なデータを拾い出すことも難しかった。いまならタグがあれば大体のデータは抽出してくれる。メールやディスクの中も検索してくれる。うまくいけば、すぐにヒット。外すとなかなかでてこない。検索キーワードを工夫することで小一時間。

あれ?スムースにいかないときの作業ったらストレスと時間の無駄に思えてくる。

SNSやネットニュースを眺めるのもよいが、それだけであっという間に時間が経つ。

オンラインゲームだと、もっと早いかも。没入していく間は、他の思考は消され、一つのことに集中できる。

浦島太郎ほどではないが、集中している時間は楽しく、あっという間に感じられる。しかし、それより実際の時間は早く進んでいる。相対的に考えればものすごく集中してメチャクチャ早い反射や反応ができていると実感していても、実は外からみるとゆっくり動作しているのかもしれない。

 

コンピュータは単純作業から人間を解放してくれるはずだった。

実際はどうだ?エンドからエンドまですべてデータがコンピュータ上でできるものであれば、それでメチャクチャ効率良くなるし、それこそ単純作業から解放してくれる。しかし、結局、どこかのフェーズで人間のチェックが必要な場合、そこに大きな負荷がかかる。それも単純作業ではあるが、ほかの工程が自動化されていることでそこがボトルネックになる。ETCがない料金所のようなもの。受発注にしても結局メールでやったり、、承認プロセスも結局人間のチェックが入る。システム全体は効率性を追求するが故、トランザクション数は圧倒的に増えているのに、人間側は、生産性があがったといって減らされる。チェック機関としての人間は、ひたすら目の前にあるタスクを右から左へ処理していく機械と化していく。

むかし、チャップリンの映画にあったような。。。機械が人間を機械化していく。

同じことが、コンピュータでも起きている。

ほとんどの人間が、仕事に追われ、コンピュータに時間を縛られ、怒涛に押し寄せてくタスクをこなせとせっつかれる。

いつしか人間的思考が収縮され、無意識に近い形での単純作業をこなすだけの人間になり下がる。

めちゃくちゃ頭のいいひとはそれでもスーパーコンピューターなみに処理して、かつ次の作業や、もう一つ俯瞰してみながら次の手を考えて処理をする。それ以外はそのまま、流され、思考回路がむしばまれていく。痴ほう化していくことになる。

 

ある意味、コンピュータはスーパー頭のよい人とその他大勢に篩い分けるシステムなのかもしれない。

それに乗っかるのもよし。

一旦、もしくは一時的にコンピュータから自分自身を切り離し、見つめなおすこともよし。

 

 

 

発熱している間に思った、雑感。