ちょっとショッキングな話。

ちらほら、MNP(マイクロプラスチック、ナノプラスチック)が体内に溜まっているという報告は出ていましたが、こちらのリポートでは、脳内に蓄積していると。

それも濃度が昔より格段に高くなっていると。

 

 

 

 

 

 

 

溜まっているという事実だけで、MNPがどのような影響があるのかはまだ判明していないとしています。

 

しかしながら、血管内のプラークにはMNPが蓄積していることが多いとも。

痴呆症を患っている人の脳には、他の人とくらべてMNPの蓄積が高いということも。

 

因果関係は明確ではないですが、口に入れるものや、身体に接触するもので、プラスチック、とくにポリエチレン系の物がたまりやすく、注意したほうがよいでしょう。

 

PETボトルはいいのかな?

ミネラルウォーターを買って飲んでますけど、、

 

シャンプーのボトルもね。。

あまりにも小さいんで、皮膚からも吸収される可能性はあります。

 

空気中にも漂っているようですし、、

 

海の中も汚染されている。魚にも蓄積されているとも聞きます。

 

おさかな、大好きなんですけど。。

 

 

排出するための方法もまだわからないかな?

(調べると出てくるかもですけど、、)

 

水に溶けているものを排除する方法はいくつかありそうですが。

 

 

 

 

 

体内から排出する方法がわかるといいのですけど。。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 
 

家には神棚と仏壇があります。

神棚には榊

仏壇には仏花

を常にお供えしております。

 

どちらも生きておりますので、毎日お水を変えて、なるべく精気があるようにしておいています。

 

Image by Pexels from Pixabay

 

しかし、水を綺麗にしているにせよ、土のように栄養を補給できるわけではなく、長生きできるものではありませんので、枯れてきます。

 

仏花だと、1週間。

榊だと1カ月。

が大体の目安でした。

 

ちょっとでも枯れてきたら変えるというのは、私はできません。

いただいた命ですので、残りすくなくなるまで、大切に神棚、仏壇にお供えすべきかと思っています。

枯れた花木には感謝を言って捨てさせていただきます。

ただ、残り少なくなるとさすがに神棚、仏壇が貧相になる感じもありますので、交換ということになります。

 

その目安が、上記となります。

 

いままで水道水で水の交換をしていましたが、今回、浄水器を通した水での交換にしました。

すると驚くほどに、榊、仏花が生き生きとしているのです。

 

以前であれば、蕾のまま、枯れてしまう花があったり、すぐに葉の色が変わってきたりしていました。

それもあり、凡そ1週間で交換していました。

榊は、まだ良いですが、葉が落ちたり、色が変わったり。

一カ月ちょっと持てばよいかというところです。

 

浄水にしてから、枯れるそぶりがほとんどなく、

仏花は1週間して、菜の花がしおれたぐらい、他の花はぴんぴんしています。

菜の花は、季節がちょっと早いですかね?でも前であれば、蕾のまま、しおれるところでしたが、今回はてっぺんまで花が開き、最後は、、うなだれてしまった感じです。

 

この調子だと、2週間はゆうに元気なままのような気がします。

 

榊に至っては、葉の艶もよく、葉が落ちることもない状態です。
凡そ、すこしずつ葉が落ち、1週間で枝1本ぐらいは葉が全部落ちてしまうかというところでしたが、全部の枝が元気なのは改めて感動ですね。
 
やはり、お水というのは大切なのだと、草木が教えてくれていると思います。
 
自分も、なるべく、よい水を飲むようにすることを心がけるようにしようと思いました。
口に入れるものすべてに言えるかもしれません。食事も大切にしたいですね。
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ここ半年ぐらい、夜中に目が覚めることが多い。

それも、結構はっきり目が覚める。

ボーっとではない。

3時とか。。

まぁ、静かなので、そのまま、メディテーションに移行する。

気持ち的には、なにかに起こされ、メディテーションしろ!いわれている、って発想で、ポジティブに考えておりました。

しかし、身体的に敏感になりつつある自分としては、脈拍が早いなと。

となると、メディテーションも深いところに行くには時間を要することになる。

 

血中酸素飽和濃度を測ると、、95%前後

 

おい、普通、病院行きだぞw

 

メディテーションをして、97%-98%ヘ持って行ける。

 

さしあたり、ちゃんとすれば、健康状態にできる訳で、、

 

では、就寝中の呼吸が乱れている???

 

昔から寝つきはいいし、夢見も昔のように仕事が駆け巡ることはない。

 

その意味では、熟睡していると思っていたが、

 

違うようである。

 

今年に入り、合わせて咳がでるようになってきた。

 

喘鳴はするし。。

 

肺の中の通っている気管のところどころ詰まっている感じがあるし、、

 

スピリチュアル的には、いろいろなカルマが吐き出されているのかな?

 

と、ここでもポジティブな発想で、、w

何れ、収まるだろうと楽観しておりました。

 

まぁ、熱もないし、、ただ、いろんな風邪も流行っているので、せいぜいそのあたりの感染の可能性もあるか?

 

さすがに毎晩、咳き込むので、家族からもおかしいと言われ、病院へ。

 

 

診察結果、、、

 

 

喘息

 

 

あ、、鳴っちまったか、(なってしまったw)

元来、遺伝的にもなり得るのだが、とうとう発症したか。。

 

Image by Eksavang Khounphinith from Pixabay

 

まずは治療に専念。

血中酸素飽和濃度も99%にすぐに戻りました。

ここまで戻ると、やはり脳に酸素が行っていなかったことが実感しますね。

咳も収まり、夜中の目覚めは無いですw

(その分メディテーションの時間調整がムズイw)

 

症状を抑え、炎症がなくなるまではきっちり、お医者さんのいうことを聴こう。

 

ただ、喘息は一生ものになりかねない。

落ち着いたら、要因を探り、発症することを抑える環境にしていくことで、薬に頼らないようにしていくか。。。。

 

と、近況をブログでつぶやいております。

喘息によい健康方法とか探してみるか。。

おススメございましたら、コメントにでもおねがい

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

大麻山とググれば、各地に大麻山があります。

 

四国香川県鳴門市の大麻山

「おおあさやま」

 

同じく香川県善通寺市の大麻山

「おおさやま」

 

近くに神社があります。

 

善通寺には

 

でも金毘羅さんが近くにありますから、皆さんそちらにいくかな?

 

鳴門には

大麻比古神社

 

やはり由来となる神様がいらっしゃる。

 

香川だけじゃん!とお思いになる方もいますが、

島根県にもあります。

 

 

そして、神社もあります。

大麻山神社(たいまさんじんじゃ)

 

大麻比古(おおあさひこ)命、猿田彦(さるだひこ)命 を祀られています。

 

 

もともと西高野といわれる修験道の聖地でもあったのもびっくりです。

 

 

 

鳴門も

大麻比古命が祭神。

 

やはりご縁があるようです。

調べていたら、ありました。

 

 

阿波忌部氏! やはり阿波ですね。阿波から渡ってきた忌部氏がこちらから、出雲ににらみを利かせ?

このサイトを翌々読んでみると、古代出雲王族の盛衰(動き)が見えてきます。

巨石を投げ合っていたというのは、、そのころ、かなりサイキックな人々の戦いだったのでしょうか?

といいつつ、上記ブログの著者は出雲族系の神社ではないかと推理されています。

太古のロマンは謎が多い。

 

私の推理は、

小野家がその勢力を維持できるのは大麻山の麓まで、それより以西に防衛線を張るために阿波忌部氏に助成を依頼、阿波忌部氏は受託して、その印として神社を立てた。

という感じかな?

 

元々、浜田市で生まれた身、それも子供のころから、この大麻山を眺めて過ごしていました。小学校では、大麻山山頂まで遠足が定番。

 

その後、なにかと、一人で大麻山に徒歩で登っていました。自宅から周布古墳を横目にみて、そのまま、ずっと歩いていると、大麻山神社に行き当たります。大麻山神社を通りぬけ、山頂のテレビ塔まで、、、展望台から、浜田市内を眺め、、自分の家が見える!なんてw

(皆さん車で登る人が多いのですが、登山道もいいですよ。)

 

もう家はありませんが、浜田へ帰るたびに時間があれば訪れた山です。

 

なんでなんでしょうね?不思議なものです。

 

実は、関西在住の私のメンターの一人の方。

阿波忌部氏の方とお知り合いですし、現在のその方のお役目にも関わりますが、阿波、出雲、伯耆のスピリチュアルな関連について熱く語られたことがあります。

 

自分の出身地の歴史について詳しく調べていなかったのですが、今回調べてみて、なにかしら見えない糸でつながっていたような気がします。

 

石見国の人間が、このメンターに会ったこと、そして出雲へ思いをはせることになるとは。。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

Pfano RathogwaによるPixabayからの画像

 

 

今年の一つのテーマとして、「如何に力みを取るか」と上げています。

古武術の世界でも力を使わないことが重要な課題となります。

ヨーガの世界でも力んでしまうと瞑想は違うものになってしまいます。

あれこれ考えず、ただそこにいる。

相手の動きを察知するにも、こちらが力んでいるとわかりません。

相手に自分の動きを察知させないためにも力んではいけません。

ヨーガ瞑想も、あれこれ考えていては、本来の瞑想にならないと叱咤されました。

 

考えることや、身体に力みを入れることは、相通じるものがあると思います。

 

それなので、身体からのアプローチとして一挙手一投足に力みを取ることを心がけるようにしています。

 

これがムズイ。

なにしろ、力むことでいままで生きていたところもあり、それに慣れているし、無意識に力んでしまいます。

それは、歩く一歩でも、パソコンを抱えるにせよ。キーボートをたたくにしてもw

パソコンの画面を見るせよ。。眼球に力が入っていたり、首に力が入っています。

ドアを開けるしても、、ご飯を食べるにしても、、

何かしら、力を入れることが当たりまえとなっています。

なので、一つ一つ考えると力んでいないように思えていても、実際にはちからがどこかしら入っています。

 

そこを逆の思考で力を入れないことを心がける。

いま、パソコンにむかってこのように文字を打っている最中でも、、

焦点を合わせるのに眼球に力が入っています。

画面を動かず見るために、首や肩に力が入っています。

指も、キーボートをたたくことに実は力をいれています。

背中やわき腹も姿勢を維持するために力がかかっています。

それを一切抜く。

いままでとは違う思考と身体の使い方となりますので、ある意味、身体の再構築となります。

 

もうもぐらたたき状態で、身体の動作とともに身体のどこに力が入っているかを確認しながら、一つ一つ外していきます。

 

以前当ブログで歩き方の話をしていますが、それも一つ力を抜いていくために歩くときの重心の置き方、足裏の重心の配分、膝の使い方、腰の使い方、脚指の使い方、、等々、様々な部位での身体のなかの力みポイントw見出しながら、一つ一つ、根気よく続けていきます。

 

大変かと思いますが、少しずつ、力みの取り方が見えてきます。

 

今は、ようやく、歩くときの身体の動作で力みが少なくなってきています。

ほんと歩き方は変わってきてます。

 

その分、楽に歩けるようになったかと思いますね。

 

歩き方だけでなく、パソコンに向かっていつもは仕事をしている訳ですけど、その姿勢の中でもやはり肩や首に力が入っていたり、歯に力をいれていることもあります。

 

ふと気づいた時でいいのです。

あ、力が入っている。。抜こう!

と思うだけです。

 

そうすると、次第に外れてきます。

 

仕事でなにか考えているとき、

脳に圧がかかっているのもわかります。

気づいたそのとき、圧を緩めるのです。

 

そうすると、圧がストレスの原因であることがわかります。

そして圧が疲労の原因でもあることがわかります。

なので、圧を下げるのです。

 

ちょっと、頭蓋骨を緩める、特に側頭骨や眼底骨を意識して緩めるイメージを持つと、圧が下がります。

 

気持ちが楽に、そして緊張が取れ、姿勢がまっすぐになり、全体として楽な態勢となります。

 

ちょっとした気づきの繰り返しとなりますが、ストレスフリーな意識に少しずつ近づいていくものと思われます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。