まだまだ、ロールプレイング中ですw

 

今は、肩関節痛が気になってしまい。

 

普段の生活では、ほとんど、気にならない肩の痛み。

 

メディテーションを始めて、いい感じに集中し始めると、、

 

肩関節に痛みが、、
 

襲ってくーーーるぅーーw

 

(両肩、でも痛みの位置が違うので、それもまたイラっとするw)

 

そして、肩から痛み(緊張)が背骨に向けて。。

吊れている感じでしょうか?

 

どうも気になって仕方ない。

 

それを無視して、メディテーションを進めても、、

 

また、痛みに引きずられる。。

 

古傷の影響とは思いますけど、、

 

ずっと肩回りの筋肉に緊張が残っているのでしょう。

 

痛みを無視するのもメディテーション上必要なトレーニングかと思いますが、

(シッダアーサナで脚が痺れるのは慣れたけどw)

 

 

 

肩回りの筋肉を徹底的にほぐすことを開始しました。

 

 

 実践

 

 

 

 

猫のポーズ

 

 

牛の顔ポーズ

 

を中心に、

実践しています。

 

「肩甲骨はがし」ってありますけど、これらのポーズをしていると、肩甲骨が肋骨にくっついている感じがわかります。

 

様々な肩回りの筋肉が固まっているなって、

 

特に古傷側の右肩甲骨。


牛の顔ポーズで手が背中でつなげることはできるが、、かなり固さを感じます。

2回目になると、より深く手をつなぐことができるようになりますけど、筋肉の固さは、まだまだ。

 

 

 感想

 

実践はまだ数回ですが、これらの肩のほぐしが、肩関節の痛みの軽減につながるようです。

 

痛みは前より少なく、メディテーション中にもあまり気にならなくなりつつ。。

背骨(もしくはスシュムナー管)の通りはよくなっているような気がします。

 

どんなに心が主であるといえど、身体からくるシグナルを無視することはできないし、身体を十全にすることで、心にも良い影響を与えられるものでしょう。

 

前のブログで、「息子は自分の鏡」的な話題を取り上げましたが、

 

自分の身体も自分の心の鏡かもしれません。

身体のいたわりが心のいたわりになるかもしれません。

 

心の持ち方のトレーニングと身体のトレーニングを合わせて、メディテーションを継続してみたいと思います。

 

やっぱり、身体にも感謝しないとねーーー

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました愛

 

 

 

 

 

 

最近、息子の話し方が気になり、ほとほと疲れてしまうことが多々あります。

 

やや暴力的であり、きつい言い方をする。

相手を見下した表現を使う。

(内容は差し控えます)

 

特に日曜日の朝なんぞ、家族はゆっくり寝たいところ。

彼は、早くおきて、パソコンを起動。

(彼は、人に聞こえない音を感じ取るようで、時々騒がしいと起きてしまいます。)

(うちでは電波少年といっていますw まぁ、そんな歳でもないけどw)

 

パソコンでYoutbubeを観ながら、なにか叫んでいる。

(本人は会話していると思っているようだとが。。)

 

その口調が、、寝ている人間からすると刺さる。

 

けど、寝たい。

でも、声が耳に入ってくる。

あーーー、寝たい。

 

朝から格闘ですw

 

そして

 

寝覚めが悪く、、、一日中気分が上がらない。。。

 

ってことになる。

 

自分自身は彼よりも早く起きるので、気にしていないが、家族はそうはいかない。

 

そうなると、家全体が、、、おもーい雰囲気になる。

 

当然、叱ることになるが、、

 

「静かにしなさい!」

「パソコンの音量を下げなさい。」

「まだ、寝ている人がいるんだから!」

 

これを繰り返すと。。。。

 

 

自分ではなるべく優しく叱るようにしている。(つもり)

 

 

しかし、今朝、娘にいわれた一言。。

 

「最近、お兄ちゃん、パパの口調に似ているよ。」

 

 

えっ!自分?

 

まさしく、、自分の鏡だったようです。

(やや、彼によって誇張されているところはありますけどw)

 

自分ではなるべく優しくと思っていたけど、家族とか子供にはやはり口調が荒くなっているようです。


こうなると、他人にも同じようなことを無意識にしている可能性もあり、、

人が自分が発する言葉にどのように受け止め、どのような感情を抱いているか、より深く考える必要があるのかと考えさせれました。

 

言葉使いを見直す、良い機会となりました。

(自分は人の心がわかっていなかったのか????)

 

やはり、言葉は難しい。

 

 

メディテーションによる効果の一つは、身体の中と対話することができるようになってくるということです。

 

 

 身体との対話

 

無意識に身体を動かしているところから、、

(勝手に動いている・動かしていると思っている)

 

それが、

 

いま、腰に力がはいっているな

 

膝が痛いな → ふくらはぎの筋肉に緊張が入っている。

 

肩甲骨と肋骨の間の筋肉が固いな。。

 

首に力が入っているな。。

 

首と頭蓋骨を支えている筋肉が固いぞ。。

 

肝臓が疲れているww

(アルコール入れすぎ!)

 

心を静かにしている(メディテーション)と

このように筋肉や筋と対話ができるようになってきますね。

 

 

 私の課題

 

 

私にとって今一番の課題は

 

脳内の緊張(力み)です。

 

メディテーションを行っていて気付いたのは、いかに脳に緊張を与えている生活をしていたかということ。

 

積もり積もっていく仕事の量

親の介護

子供の養育

等々

 

特に仕事はパソコン、携帯が必須。

 

まぁ、24時間、仕事のことを考えている生活(でした)。

 

夢の中にまで、宿題になっている仕事のことが頭の中を駆け巡り、

いやぁ、休んだ気がしない!

 

んな、生活をしていました。

 

面白いですね、、メディテーションを始めてから、、

身体の様々な場所、そして

 

頭の中、脳に緊張(力み)が入ることがわかるようになりました。

 

それから、

頭の中にある緊張をほぐす感じがわかるようになりました。

 
そして
あれやこれやと思い悩む時間が減りました


 

結局、ストレスは身体の中のどこかに緊張(力み)を生みだし、そこに影響を与えているのでしょう。

場合によっては病気となるのかと思います。

(ストレスが病気の要因の一つというのが理解できます)

 

脳に緊張(力み)があると、どんなことが起きるかというと。。。

 

様々な想いや考えが錯乱し、考えがまとまりません。

 

それこそ無限ループ状態。結論でない課題を永遠に解いていこうとするような感じです。

 

おそらく、このような時間を長時間過ごしていれば、精神的に破綻してしまうことが想像できます。

 

本当に判断ミスが多くなります。

それによって、さらに負荷が増加し、判断ミスを誘います。

 

仕事のことだけでなく、

些細な、家庭内の段取りさえ、間違ったり。

周りとの距離感がつかめず、コップを落としたり、ドアにぶつかったり。

自分でも、おかしいと思うほどでした。

(まぁ、破綻する一歩手前だったかもですw)

 

おそらく、最終的には心の問題には違いないですが、気づきと共に身体の筋肉を意識的に働きかけ、緊張(力み)をほどくことによって、精神的に安定させる。負のスパイラルから脱出する、すくなくとも軽減することはできるのではないかと思っています。

 

    

ストレス → 精神的緊張 身体の力み

 

逆転させるのです ダウン 

 

    

身体の力みを緩める ⇒ 精神の弛緩(安定)

⇒ストレスの開放

 

 

 脳に緊張を与える仕草・動作

 

では、どのような仕草や動作が脳に緊張を与えるかを思いつくままリストアップしてみます。

 

1.眼鏡を架ける

前に眼鏡を直した話をアップしましたが、眼鏡自体、眼球から緊張を与えるようです。学生時分より視力が落ちて眼鏡を架けることをしていましたので、眼球の緊張と脳の緊張をさせることを強いていたのでしょう。眼鏡のレンズを変えて、良くはなりましたが、やはり、完ぺきに力みが取れるという状況までにはなっていないです。

なので、必要以上に眼鏡を架けないようにしています。

(とはいえ、こうやって記事を書いているのに眼鏡はかかせませんが。。w)

 

2.食事で、ご飯を掻き込む

普段は、箸の上げ下げではそう力が入ることはないですが、どんぶり物とかは、最後掻き込んでしまう動作をしてしまいます。その場合、口をどんぶりに持っていき、箸で残りのごはんを掻き込む動作になりますが、何かしら力が入ります。

気づいたときは緊張を緩めるようにして、少しずつ、入らないように訓練しています。

(まぁ、掻き込む動作もしなければよいし、見た目、掻き込む動作って見苦しいですよね。礼儀作法ってこのようなことも含めて確立されたのかもしれませんね。)

 

3.腕を上げる動作

私は肩を痛めた経験もあり、肩を使う動作から起因する頭の緊張がみられます。

高いところの物を取る。

重いものを持ち上げる。

肩に力が入るとそのまま頭の中にまで影響するようです。

これも腕を使う動作の時には、意識して、緊張が頭の中に行かないように心がけるようにしています。

また、入ったなと思ったら、緩める。ということも意識します。

 

4.前のめりになった状態での歩行

急いでいたり、考え事して歩いていると、どうやら頭の中に力みが入るようです。

大体、そういうときは前傾姿勢となっていますね。そうすると頭を首で支えることになりますので、その分余計に頭の中に力みが生じるようです。

なるべく、背筋を伸ばし、肩に力が入らないようにして歩行することを心がけるようにしています。

(これもきれいな歩き方になるし、、昔、宮廷の方々は烏帽子をかぶっていましたね。烏帽子をかぶると、姿勢がよくなりますね。まっすぐじゃないとみっともないw

そういう意味でも、昔の人々は、身体の動作が与える精神的心理的影響を知っており、自然に体の使い方、所作、立ち居振る舞いを厳しく仕込むことをしたのではないかと想像しています。いつの間にか所作や躾という形にとらわれ、その奥にある理由を忘れてしまったのかもしれません。)

 

ほかにも頭の中に力みを与える動作はあるかと思います。

その時は、また追記したいと思います~ニコニコ

 

それから、、

アジナーチャクラへの集中の時の感覚と上記の状態のときの力みは全く感覚が違いますよ。

 

長々と書いてしまいました。

最後まで読んでいただきありがとうございました愛

 

 

 

 

 

の続きです。

マントラや祝詞を唱えるとともに音階も重要ではないかと思い立ち、調べてみましたら、いっぱいありますねーーー

 

出てきました!

 

ソルフォジオ周波数

 

 

 ソルフォジオ周波数

 

 

これだけたくさんの方が話題にしてたり、ソルフォジオ周波数をもとにした音楽(BGM)がアップされているんですね。。。

(なんでいままで引っかからなかったんだ?)

 

ヒーリング能力があるんですね、、周波数に。

 

なかには幸運を引き寄せます!と謳うものもあり。

 

いろいろ聞いてみました。

 

たしかに何かしら効果はありそうな気もします。

(なかにはかなりパワーがあると感じた音楽もありました。照れ

 

こまったことに、周波数成分が若干異なるのがあり、、

 

528Hzと582Hz

369Hzと396Hz

と二説(中には同じ記事で違う記述してたりw)

 

444Hz vs 440Hz vs 417Hz

の三説

 

なにが本当のソルフォジオ周波数なんかい!

 

と思ったりしてw

 

自分自身はあまり音楽の素養がないのでこれらの周波数が含まれているのかよくわかりません。

ただ、気持ちいいと感じます!w

 

いろいろ探して、まぁ、最大公約数的には

 

・174Hz・・・意識の拡大と進化の基礎
・285Hz・・・多次元領域からの意識の拡大と促進
・396Hz・・・罪、トラウマ、恐怖からの解放
・417Hz・・・マイナスな状況からの回復、変容の促進
・528Hz・・・理想への変換、奇跡、細胞の回復
・639Hz・・・人とのつながり、関係の修復
・741Hz・・・表現力の向上、問題の解決
・852Hz・・・直感力の覚醒、目覚め
・963Hz・・・高次元、宇宙意識と繋がる

 

が正しそうですw

 

で、チャクラと相関しているようで、

 

 

 ソルフォジオ周波数とチャクラ

 

 

 

によると

 

第1チャクラ 396Hz

第2チャクラ 417Hz

第3チャクラ 528Hz

第4チャクラ 639Hz

第5チャクラ 741Hz

第6チャクラ 852Hz

第7チャクラ 963Hz

 
だそうです。
 
本当かどうかはわかりませんので、実験(体験)です!
 

 

 実験

 

いま無料でもサンプリングできるPCソフトあるので、これらの周波数の正弦波の音サンプルを作成して、音を流してみて、実際自分の身体のどこ部分が響く(集中できるか)という実験をしてみました。

 

あくまで私の感覚ですので、、

 

定説          私の体感

       285Hz 第1チャクラ

第1チャクラ 396Hz 第2チャクラ

第2チャクラ 417Hz 第3チャクラ

第3チャクラ 528Hz 第4チャクラ

第4チャクラ 639Hz 第5チャクラ

第5チャクラ 741Hz 第6チャクラ

第6チャクラ 852Hz 第7チャクラ

第7チャクラ 963Hz  

 

んな感じです。

一つずれているような気がします。

 

となると963Hzは第8チャクラ?w 

(そうかもしれません。)

 

でも、まだまだ、道の途中であり、なにが正しいということは言えません

現時点での体感として、このように感じるということです。

 

それから、正弦波をずっと聞いているのはややよろしくないかもしれません。

なんか、ふらふらするような感じもあり、、

自然の波形ではありませんので、それなりに変な影響があるのかもしれません。

 

そして、マントラや祝詞を唱えるとき、、

私は、528Hz,639Hz,741Hzを行き来する感じで唱えていたようです。

ときどき852Hzに行きますけど。。

 

そういうところは無意識のうちにチャクラに働きかけるように唱えていたのかもしれません。ニヤリ

 

それから調べていくうちに純正律とうキーワードも

 

 

 ソルフォジオ周波数と純正律

 

 

ソルフォジオ周波数を提唱したレオナルド・G・ホロウィッツさんは440Hzは悪の支配者が人類を操作するために生み出したツールだと。ガーン

 

音の中に不協和音を入れることで人間が知らず知らずのうちにストレスを感じ、変調を来すと。ソルフォジオ周波数をもとにした純正律の音で音楽を構成すると、不協和音がなく、安定した調和のある音楽になるし、ヒーリングや心の安定をもたらせる。と主張しているようです。

 

現代の音楽は平均律で調音されているという話もここで知りました。

(不勉強でしたえーん

純正律で調律されたものよりやや不協和音が混ざっている感じでしょうか。

ですので、現在の音楽は若干不協和音が埋め込まれたものといえます。

だから、いつもまにかストレスを持ってしまうのか??ww

 

純正律は、それで不協和音がなくなるというところでは、人間の耳には心地よく響くわけですから、それはヒーリングや心の安定を促すと思います。

ユーチューブでも、純正律の音楽を提供していらっしゃる方もいるので、聞いてみました。なんとなくきれいですっきりしますね。

代表的にはのはエンヤさん。

たしかに彼女の音楽はこころに優しく響くものがあります。

 

そこで見つけたのが、この記事。

 

 

音に善悪はないでしょう。それより純正律で構成された音楽のほうがよほどスッキリして、いい音楽になるのでは?ということです。

 

うーん、私もこれを読んで、こちらの見解がよいのではないかと思うようになりました。

 

どんな周波数でも、被せてきたらきれいに調和したハーモニーにもなれば不協和音になることもあります。

 

実際、ソルフォジオ周波数の全9波を正弦波で流すと、ややハウリングします。えーん

(PCのスピーカの質の問題あるかもですがw)

 

 

 願い

 

 

いろいろな波の組み合わせとそれぞれのボリューム、発するタイミングを合わせれば、多様の波の総和は、より、調和のとれた響きになるのではないでしょうか?

 

作詞作曲、編集の工夫という作り手の努力と、演奏者のエッセンス、聞く側のセンスの鍛錬ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

にて、
コンピュータシステムによって人間を機械化に追い込んでいる。

と話しました。

 

 

 テクノロジーと競争原理

 

 

コンピュータという言い方もよりも、コンピュータネットワークといったほうが適切かもしれません。

 

もともとコンピュータや通信テクノロジーは競争原理の中から生まれました。

 

より高速に計算できて結果がだせれば、競争相手に勝てる。

いち早く情報を伝達できれば、競争相手に優位に立てる。

さらに正確さと予測が可能になれば、優位性を保持できる。

 

そこには、新たな価値創造となる?(筈)

ただ勝敗だけ残っているか。。。

 

根底には、競争が善であるという価値観です。

 

競争が新しいテクノロジーを発明、発展させ、社会を豊かにすると。

 

協調、調和という本来もっている人間の心理さえも、組織という限られた世界の中に閉じ込められ、組織間の競争(抗争)に組み込まれてしまっている。

 

スポーツってそもそもそういう感じですよね。

対決が前提。チーム戦の場合、チームワークが勝つためには大事。

スポーツの中であれば、楽しんでいけますがね。

ノーサイドっていえば終わりw

 

まぁ、スポーツは、勝つためのトレーニングなり、思考方法について学ぶフィールドであり、社会での競争力アップのための準備運動的なところもありますね。グラサン

 

社会全体が、誰も彼も、競争に組み込まれ、精神を削って生きている世の中ではないでしょうか。

 

ビジネスであれば、組織間競争の中で、数字をもとにした目標に設定され、それにむかって邁進せざるを得ない、チームワークも一つの縛りとなり、プレッシャーとなる。

競争することで儲けがでる。競合他社から奪うこともできる。

 

常に差異をつけられ、差を埋める努力をさせられる。(追う側)

もしくはさらに差異をつけるように仕向けられる。(追われる側)

ビジネスの世界であれば、何かしらの価値をアピールし続ける必要がある。

 

組織内を観れば、システム自体、膨大な情報から正確性を提供するようになると、管理職の管理のためのツールとなり、歩兵はコマになり下がる。階層が増えるとさらにひどくなる。

 

また、よく強調されるのが生産性である。

 

 

 生産性

 

 

生産性とは

 

こなせるタスク(案件)の処理時間をすくなくすること

一つのタスクの成果を拡大させること

 

単位時間あたりの成果(獲得する札束とか)を最大化すること

 

となる。

 

コンピュータやそのネットワークは、その生産性を上げるにはもってこいのツールである。

 

本来なら、短い時間で大きな成果をあげることによって、余暇が生まれるはずであった。

 

ここに競争原理が機能すると、

 

短時間にタスクがこなせるなら、1日、1週間、1カ月の期間の中でより多くのタスクをこなせるという方向に走ってしまう。

 

小ロット受発注での数をこなす!的なwww

 

結果、より多くのタスクをこなすことを強いられ、さらに競争の中にダイブするしかなくなる。

 

ここにきて、心を疲弊させ、自分自身の精神をコントロールできずに苦しんでくる人間が多く排出されてきているようになっていると思います。

 

こころを消し、機械的に作業するだけの人。

こころを消せず、こころの中の整理がつかなく、苦しむだけの人。

苦しみのはけ口を他人にあたる人。

 

結局、競争原理の中では、勝者と敗者が生まれる。

このテクノロジーは、いまのような使い方を続けていると、ほんの少しの勝者と多数の敗者に分けていくでしょう。

 

社会は根底の部分で崩壊しそうな予想です。

 

機械学習が取り入れられ、さらに拍車がかかってきている。

 

その社会は善なのでしょうか?

 

 あらたな価値観の醸成にむけて

 

コンピュータと通信の高速化は

私たちに、より早く、より多くの情報を提供できるようになってきました。

個人が情報を発信することもできるようになってきました。

いままで知らなかった裏社会の話もしれたり、地球の裏側の話もすぐに入ってくるようになりました。

秘密にされていた事柄もネット上にあったりして。。

情報をうまくまとめてくれるサイトもありますし、検索エンジンで探す手間も減っています。

多くの人々がどのようなことを考えているのかもわかるようになってきました。

価値観の違いも見え始めています。

その中で、自分と共振する人々との接触もできるようになってきました。

 

まずは、知ることができるようになってきましたことが大事かと思います。

 

知ることから、コミュニケーションはでき、共通認識、共通理解が促進されるでしょう。

いま相互に利益相反する対立組織かもしれません。でも見方を変えれば、利益共有する立場になるかもしれません。

 

最近知った量子力学的観点からすれば、いまある物質なんて世界を構成するほんの5%。

むしろ、多くの部分で共有や共振しているといえるでしょう。

生死も意味がないかな?

 

多くの人々が、その意識に理解が深まってくると、このコンピュータとそのネットワークは、効率的なコミュニケーションツールとなり、社会全体は、むしろ加速度的に、価値感の変更と、世界全体での共通認識が醸成されると思います。

私は、競争原理に代わる共振共鳴の原理が前提となるのではないかと期待しています。

 

まぁ、いま社会をコントロールしていると思っている人々やそのコントロールを奪おうと思っている人々にとっては、競争を煽る、競争を優位にするツールとして使っていますが、気づく人々が増えれば、そういうツールとしての使い方はだんだんできなくなるでしょう。(きっと)

 

 

何事もツールも使い方次第。

 

アセンションといわず、社会の構造を変革し、調和をもたらす社会を確立することを目指したいかなと思っています。

言い方を変えればアセンションの中身がこのようであることを祈っています。

(新な特権階級的なものを作らないようにね)

 

ちと長々と書いてしまいました。

メディテーションを継続している中で、競争にとらわれていた自分を見出し、今は違う見方の在り方の模索と、ついつい競争に思考が行ってしまう自分との葛藤を吐露してみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました愛