この頃、メディテーションに時間をかけて、頑張ってました。

 

やればやるほど、変化があります。

 

調子に乗って、2時間ぐらいやるようになっていました。

 

けど、意識の集中は、そう長くは続かず。

 

1時間を超えると、集中力が切れてきます。

 

それを超える必要があると、勝手に思って、さらにメディテーションを続けていました。

 

身体はシッダアーサナをしていますが、、

(結構様になっていると思っている自分w)

 

心は、散漫。

 

チャクラに意識を持っていっても、そのうち、家庭のことやら、、仕事のことが思い出され、、

あーでもない、こうでもない。

 

おっと、チャクラに集中してないぞ!

 

戻るよーー

 

って、

 

アジナーに集中するのが比較的楽にできるので、アジナーへ。。

 

んで、、ムーラーダーラにいったり、、

 

スワーディシュターナにいったり。。

 

とやっているうちにまた、仕事のこと、、家庭のこと、、世界情勢のこと、、芸能界のこと。。。w

 

っていろんな想いが出てくる。

 

またまた、意識が外れていると、、思い立ち、、

 

また、アジナーへ。。

 

そんな繰り返し。。

 

客観者の確立がまだまだ。。

 

そのうちに、なにが本物なん?

 

とか。。

 

むしろ、落ち着かない状況に。。

 

でも、長くやることで、その壁は超えられる!って思っていました。

 

ここ2週間ぐらい、そんなかんじで、1日2時間から3時間やっていました。

 

そして、先日、

師匠のメディテーションクラスで瞑想をして、集中力を切らすまいと一所懸命に集中しようとしても、、眠気はくるし、集中力が続かない事態に。。

 

クラスの終わりに師匠より受講者にコメントが出されます。

 

師匠が私に

 

「最近、サボってない? 今日のメディテーションは過去1,2になるぐらいできていないよ。氣がゆるんでいない?真剣さが感じられないんだよ」

 

(実際、一つ、氣がゆるむ状況(仕事系)もあるが、それでさえ本来は氣がゆるめる状況ではない筈である)

 

私が

「いや、そんなことはなく、此処のクラスにいると何故か眠くなるんですよね。最近は毎日2時間瞑想していますし、サポっているわけではありません。まぁ、でも途中で集中力がかけてしまうことが多くて」

 

師匠

「集中力が切れて戻らないなら、そのまま続けないほうがよい。そのまま続けたら、意識が散漫なままの状態が癖になる。逆に瞑想にはならない。途切れ始めたら、止めてもいい。」

 

 

あーーー

(心の声)

 

どこかに、回数を多くすることや、時間を長くやれば、

それだけ瞑想が深くなるもの!と自己満丸出しの状態でした。

 

一回一回の瞑想状態のクオリティを高める

(時間の長さは気にしない)

 

とすべきと教わった。。。

 

師匠には感謝です!

 

自分一人でのトレーニングは我流になりやすい。

いつの間にか我流を通すことになっていることに気づかせていただきました。

 

また、自分の中で焦りがあるのかとも思いました。。

 

まだまだですねー

いろいろな心のトラップがあるんですね。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

赤ちゃんのお世話や介護に欠かせないのはおしり拭き。

 

いろいろな製紙メーカーからおしりふきが販売されています。

 

拭きとりやすさ、コスト、トイレに流せるかが選択の基準となるでしょう。

 

皆様は、どのブランドをお使いでしょうか?

 

いろいろ試しました。

 

で結局、、私の場合

 

 

 

 

の一択になっています。

 

 

 

ほかのメーカーのおしり拭きよりやや高め。

トイレに流せない。

というデメリットはあります。

 

しかし、一枚で拭き取れる量がダントツ。

保水量も多く、エンボス加工もあり。最高だと思います。

結果、使用する枚数が減ります。

 

トイレに流せる系のおしり拭きは、破れやすく、2枚重ねで使ったり、細かいところを拭きとるのに何枚も使ったりします。

 

トイレに流せるとしても一遍に流すことができないこともあり、2回に分けて流すことも。

 

実は、水道料金にやさしくない。

大量の紙を消費する。

 

ということになるかと思います。

 

パンパースですと、拭き取る枚数が少なくなるので、大きいものをトイレに流し、神はおむつにくるんで、廃棄したほうがトータルとして環境にやさしいし、コストも下がるという結論に達しました。

 

数円、数十円をケチって、実はコストがかかっていたり、手間がかかることもあります。

 

※ でも最近のトイレに流せる系も昔よりはちゃんと拭けるようになりましたので、最後はご自身の判断で選択してくださいね。

 

ちょっとした話ですけど、、氣になったことをアップしてみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

家の中にはいくつか鏡がある。

よく使うのは、洗面所とバスルーム。

 

水回りは、どうしても水滴がつき、洗剤もついてしまいます。

水垢、石鹸カスは付着し、カピカピなったら掃除しておかないとなかなか落ちません。

バスルームは月一ぐらいかな?

洗面台に至っては半年に一度。

全体を綺麗にするのは。。(少ない?w)

 

ほんと、汚れを落とすのにてこずるものです。

最近の洗剤はかなり強力なので、時間をうまく使えば、綺麗に落とすことができますが。

 

しかし、洗面台にしても、バスルームにしても、使用後、ちょっと拭くだけで、綺麗を保てますよね。

 

なんでやらなかったのだろう?

 

日々のちょっとしたことだけで、綺麗に保つことができますし、月一や半年ぶりに大がかりに掃除する手間が軽くなることは間違いないです。

 

なので、最近、気づいたら、鏡を拭くことにしています。

 

綺麗になりますし、部屋が明るく感じます。

 

 

さて、心も同じではないでしょうか?

 

日々、過ごしていると、心にちょっとした澱が付着するものです。

これを放置しておくと、澱が固まって、なかなか取れず、硬直した状態になってしまったり、考え方や感情に歪が出てくるのではないでしょうか?

 

師匠より

「スシュムナー管の詰まりは、過去世からのカルマである。それを掃除しないとクンダリーニは覚醒しない。しても危険なことになると。詰まったところからスシュムナーをそれてクンダリーニが変な方向に流れる。」

と教わっています。

 

鏡を例にしましたが、心も同じ原理が作用するのではないかた推測しています。

 

凝り固まったものをごっそりとるのは大変なエネルギーが必要でしょう。少しずつであれば比較的かるく綺麗にできます(時間が必要になりますけど)。

 

また、日々沈殿していく澱も掃除は欠かせません。

 

日々の終わり、リセットする意味で、瞑想はよいと思います。

自分を見つめ、クリアにしていくイメージと共に。。。

 

リセットとして携帯でネットサーフィンしても、心は休まらないです。

瞑想を10分でも15分でもやってみてください。

 

最近、ようやくスシュムナー管の通りがよくなってきたと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

やその前のブログにて静かな世界を作る工夫について話をしました。

 

今日は、全く違う意識が生まれました。

 

 

 静かな世界

 

 

「静かな世界」は「音が聴こえない世界」ではありません。

 

雑音が少なくなる世界といえますかね?

 

そうすると、何かに意識が集中する感じです。

 

雑音とともに様々な思念が沸き上がり、自分自身も落ち着かない感じとなります。

 

なので、雑音の少ない環境や時間を持つことによって、その時間を瞑想や、気持ちを落ち着かせたままとすることに使うことができます。

 

やはり、24時間中、落ち着く時間をある程度長めに持つことは、精神的に、スピリットとしてもよいことと思います。

そのことを継続しているの、本当の自分自身を見つめる、と対話することが期待できます。

事実、私自身も、以前よりはるかに精神的に落ち着いているかと思います。

 

現実は、回りからすると大変な状況に見えるかもしれませんが、

 

私自身は、それで?感じ。

それより、この今を生きていられる、活かされている、ことがこの上ない経験と喜びと思えるようになってきています。

(まぁ、結果としてどうなるかはわかりませんがwww)

 

 

 静かなる世界

 

PayPal.me/FelixMittermeierによるPixabayからの画像

 

朝、通勤しているとき、玄関でてから駅まで向かう間、、、

 

空気が澄みわたり、静かなのです。通勤のため駅に向かう人々は、いつも通りいます。

 

いままで、その人々を観ながら、また、靴の音、車の音と聴き、世話しなく思い、自分自身の気持ちも昂り、騒々しい世界に溶け込んでいました。

 

今日は、同じ風景なのに、なぜか世界が静かなのです。

 

「すーーーーーーーーーっ」

 

と。

 

あれ、異世界に入った?という感じかもw

 

(ちなみに、ノイズキャンセリングイヤホンは着けていませんでした!)

(むしろ、この感覚を楽しむため、イヤホンは外したまま)

 

 

 

 見ている世界は心の在り方次第

ということで、思ったのは、

 

同じ環境や同じ世界であっても、自分の感覚、想い次第で見え方が変わる

 

ということ。

 

みんな、いろいろな想いを持って、悩みを抱えながら生きているものでしょうが、自分の感覚や思いを転換してみるだけで、世界が違って見える。

 

良くも悪くも、自分次第。

 

と思ったんですねー

 

この感覚がつづくか、、どうかは、わかりませんが、この感覚は大切にしたいです。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

メディテーションを行うときによくスシュムナー管をムーラーダーラからサハスラーラチャクラまでのルートとしてイメージするように言われます。

 

スシュムナー管をイメージする際、途中なかなかイメージできない、詰まった感じで通れないという感じを受ける箇所があります。

 

一つの関門が腰椎と胸椎の間と思います。

 

に一つの方法として横隔膜の柔軟性確保と思われ、呼吸方法の工夫がが関門を超える手がかりとなると思います。

 

もう一つの関門が頸椎から脳の間にある蝶形骨あたりではないかと推定します。


にて頭蓋骨が鳴ることがあると言ってますが、感じるところからすると、主に、蝶形骨と側頭骨と頭頂骨の継ぎ目が鳴るとようです。

(Humanbody 株式会社アヴィスさんのサイトよりお借りしました)

 

ここは呼吸とかどうすることもできないかと思われます。あくまでイメージにて骨の継ぎ目が緩む感じをつくり、脳を開放する、柔らかくすると思っていくしかないかと思います。

 

まぁ、通常のメディテーションを行うことで感覚的にはわかるようになるのかと。

ちょっと意識して頭蓋骨を緩める感じをメディテーションに取り入れてみると、メディテーションがまた違った形、深くできるような感じを掴めると思います。

 

しらべてみますと、「蝶形骨リリース」というマッサージ?整体術?あるようです。

 

 

実効性は試したことがないのでわかりませんが、ここがポイントであり、矯正することが効果的であるということでしょうか。

 

蝶形骨まわりが緩むとスムースなスシュムナー管の通りが期待できます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。