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その3 偽りの日々

 母にとって楽しかったであろう日々が始まった。私にとっては末期癌であるという事実を隠し続けなければならない、いわば偽りの日々。
「先生は何を食べても、何処に行ってもいいって言ってるよ。癌じゃなかったんだし。」
「そんなこと言ったって、油ものばかり食べるのは良くないし、出歩きすぎもどうかなあ。」
私も医師の「なんでも」は聞いていた。が、それを言うと“助からない人”にかける言葉のような気がして、あえて“注意”をし続けた。入院前は太りすぎていて、ちょっと歩いてもふうふう言っていた母は、退院後少し健康的な感じに痩せて体調は見るからに良さそうだった。よく妻と子供をさそって遊びに出かけていた。出かけないときでも父の車で私の家(社宅)を訪れた。以前は私が月に一回実家に行くことを習慣にしていたが、孫の顔見たさに毎週むこうから訪れるようになっては、すっかり実家には行かなくなっていた。
 手術直後に「持って3ヶ月」と言われた母であったが7月を迎えても変わりないように見えた。そして8月、我が家の引越し。「子供たちは私が見てるから」と言ってまっさきに新居に上がり母は楽しそうだった。確実に死に近づいている人には見えなかった。赤飯やおでんを用意してきて、我々や手伝ってくれた友人たちにも振舞ってくれた。思えば元気だったのはそこまでだったか。あるいは「引越しが終わるまでは」という緊張感が母を支えていたのかもしれない。
 転居して少し遠くなったので両親の訪問頻度は確実に落ちた。あるいは体調も落ちてきたのか。
「この頃食べ物の味が変に感じるんだよね。薬の副作用かなあ。」
たしかに本人にはそうとは言っていなかったが、弱い抗癌剤は飲んでもらっていた。一応私から医師に尋ねると
「それは薬のせいではないでしょう。癌によって体が弱ってきた一つの兆候だと思います。」
そんな話は母にはできない。ただ、手術後口癖のようになっていた「癌じゃなかったから」というせりふがいつのまにか母の口から消えていた。それに代わって「薬の副作用じゃないのか」と言うようになった気がする。自分の病気に気づいたのか?それでも、祖父の法事で会った母は、元気だった。引越しの時とさほど変わっていないように見えた。
 9月になると「あまり食欲がない」と言うようになった。
「じゃあ、たまにはうちに来て2・3日泊まっていったら?」
と言って10月の初め、母をうちに呼んだ。
「バスが行ったばっかなんだけど。」
と駅から電話してきたので少し不機嫌に私は答えた。
「そんなすぐに支度なんかできないよ。迎えに来いって言うの?」
「いや、いいよ。次のバスで行くよ。」
しばらくしてチャイムが鳴りドアを開けた私は驚いた。母はすっかり痩せこけ別人のようだった。というか「どなたですか?」と言いそうになった。後悔した。迎えに行くべきであった。一息ついたあと母が「目が回る」と言い出した。また「薬の副作用では」と言い出した。しかたがないので医師に電話するといつもの答え。
「そんなはずはないってよ。疲れたんだろうから少し寝れば。」
そう言って休ませると少し元気になった。食事になると、電話では「食欲がない」と言っていたはずなのに良く食べた。少し安心した。帰る日には「近くで久々に友達と遊びに行く約束をしてあるから。」と言って駅の近くで私の車を降りた。その後姿を見ながら、こんなことを繰り返していれば「まだまだ大丈夫なのでは」と思った。
 しかし、再入院はその約一週間後だった。食事がまったく取れなくなったそうだ。うちではちゃんと食べていたのにと、少し父を「面倒だから入院させたんじゃあ」と疑った。私の認識が甘かった。あとで聞けば、うちに来たときは心配かけまいと無理して食事を押し込んでいたらしい。あくまでも気丈な母であった。考えてみれば「あと3ヶ月」と医者に言われてから半年が過ぎていた。医者が大げさだったのではなく母が人より強かったのだろう。体も気持ちも。