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その7 情けない日々

 「こちら○○消防署の救急隊員ですが…」
電話に出ると父が路上で倒れて、近くにいた人が救急車を呼んでくれたと言う。だが、本人は転んだだけだからと言ってそのまま家に帰ってしまったそうだ。その人の見たところ、だいぶ酔っているようで心配なので様子を確かめて欲しいと言う。父に電話をすると
「そうなんだよ。転んじゃってさあ。たまたまつかまるものがなくて起き上がれなかっただけなんだけど…」
まあ、多少酔っ払い口調ではあったが大丈夫そうなのでその日はそれで終わりにした。だが、その週末
「こちら××診療所ですが、お父さんを迎えに来てくれますか?」
今度は本当に救急車で病院まで運ばれていた。本人はもう大丈夫と言って帰ろうとしているらしいのだが、あまりに酔っているのでこのまま帰らすわけにはいかないと病院側は言う。
「悪いな。」
迎えに行くと酒臭い父はこう謝った。このまま家に帰せばまた飲むに決まっているので、その日はうちに連れて行くことにした。車中言い訳をしつつ出た言葉が
「本当にたいして飲んでいないんだ。」
そんな言葉に私は切れた。
「それだけ酒臭いのに飲んでないわけがあるか!だいたい一週間に2回も救急車を呼ばせる馬鹿がどこにいる!」
「すみません。」
本気で父を叱ったのはそのときが初めてだった。生活費を2週間で使ってしまったときも、そこまでは怒らなかった。子供にとって父親は怒られる存在。まさか自分がその人を叱るなんて。しかも「すみません」と謝られた。寂しかった。
 そんな父にとっても情けない日々を過ごす中、祖母が他界した。年齢的には天寿をまっとうというにふさわしいもの。だが父にとっては最後の心の支えを失ったような気がした。そうははっきりと言わなかったが、少なくとも月に一度は祖母を訪ね、多少の小遣いをもらっていたふしがある。昔の祖母はかなり厳格だったようで、詳しい事情は聞かされてはいないが、父と母はその厳しさに耐えかねてか家を出たらしい。私が物心ついたときにはすでに和解し、折々に訪ねるようになってはいたが、たぶんそれで父が長男なのに家を継がなかったのだろう。その年はさすがに老人性痴呆というのか、もう頼れるといえる状態ではなかったことが幸いし、訃報にも父は取り乱すといった状況ではなかった。私が行くと、いつも「あいつを頼むよ」と父の心配ばかりしていた祖母。その意味では父は親不孝者だと思う。が、最後の親孝行と言えるのは、あの世へ向かう順序を間違えなかったこと。
 祖母の四十九日が過ぎると、母の七回忌だった。なんだかんだであれから8年。ここまで良くやってきた。三回忌の時はまだ涙が止まらない父であったが、さすがにこの時は淡々としていた。自分の親を失ったことでやっとひとり立ちできたのか。だが、生活ぶりは改善されない。あいかわらずのお酒とパチンコの日々。何度か「最近お酒ぜんぜん飲んでいないんだよ」とか、「パチンコぜんぜん行ってないんだ」とか言うときがあったが、それはどうやら2・3日間のこと。一週間もすれば元通りの生活に戻ってしまう。そろそろ妻も不安になってきたようで
「通帳が空になったらどうするのかなあ?」
と言う。まあ、ダメになったら我が家への強制収容か。もちろんお酒、タバコ、パチンコ禁止で。実際窮屈な暮らしにはなるが、父は食べるのには困らず、こちらも年金をすべて預かれば大もうけ?いや、一応小遣いは渡さないと。でも、それじゃあパチンコに行く?お酒も飲む?だんだん現実的な問題として悩むようになってきた。だが、その悩みもそう長くは続かなかった。