今の日本の学校教育の影響もあるのか、
「自由」というものを示されると、
そこから動けなくなる人が少なからず居るようです。
「何をしたらいいんだろう?」と言う風に。
テーマが決まっていたら、、、
ゴールが決まっていたら、、、
ルートが決まっていたら、、、
能力をフルに発揮してすごい結果を出せるのですが、
それらが無い前提で
「はい、自由にしていいですよ」と言われたら、
途端に
「何をしたらいいんだろう。。。」となる。
ゲームなんて最たるものかもしれません。
自由度が売りのRPGゲームは、
好みが分かれます。
・ドラクエやFFのように「順路」が決まっているほうが好きだ
・スタート時に所属する国や職業を自由に選べるとはなんて最高だ。
私は自由度の高いゲームのほうが好きなのですが、
知り合いにしてみたら、
「このゲームってまず何からするの?」
となるわけです。
「何をしてもいいんだよ」と言っても、
「いや、まず何から始めて、どこに行けばいいんや」と言います。
「いや、やりたいことから始めたらいいよ」と言っても、
「まず何したらいい?」と返してきます 笑
自由って、人によっては捉え方が難しい・・・。
今回は例えとしてゲームを出しましたが、
仕事でも学校でも、それ以外でも何でもあるわけです。
仕事の進め方でもいろんなやり方があるわけですが、
特に新人の頃なんて「何をしたらいいですか?」となります。
それ自体は仕事に対する無知・経験の無さから来るものですが、
学校でも人生においても全部当てはまる気がします。
自由だけど何をしたらいいかわからない
言い換えたら、
・できることが何かわからない
・今やることが何かわからない
・やったことのないことがたくさんある
こういうことを含んでいます。
自由を提示されたときに
これからが一気にひっくるめられて、
「何をしたらいいんだろう」に繋がっています。
本当の自由よりも、
制限された自由に慣れ親しんできたからですね。
そういう私も、
制限された自由のほうが動きやすい部分もあります 笑
「さぁて、何しようかな?(まっさらな状態)」よりも、
「さぁて、どうしようかな?(範囲のある自由)」のほうが
考えが働き、動きやすいです。
お母さんの「今日晩御飯、何食べたい?」に繋がる部分。
それに子供たちが返します。
「何でもいい。」
お母さん、ちょいキレる 笑
真っ新な自由を目の前に出されると、
動けなくなることが少なからずあります。
自由というのは、
求めている割には案外ハードルが高いもの。
本来の生まれてきた時点での人生では
「何をしてもいいよ」がベースでしたが、
生きて行くなかで、
範囲のある自由に慣れ親しむことが多くなり、
自由のハードルを自分で上げていたことに気づきます。
もちろん、そうでない人も多いです。
自由が大好き
何でもやりたい
いろんなことがしたい
そう想う人もたくさん居ます。
そういう人は、
本当の自由を謳歌して、
そうでない人は、
自分の想う自由を楽しめばいいんだと思います。
本当の自由/制限のある自由
そういう括りをする自体、
自由とはかけ離れていますからね 笑
みんなそれぞれが
自由を喜び、楽しめばいいだけの話でした。
・・・終わり・・・