好評連載中「感情記憶をほどいたら、地上が楽園になった」シリーズ。
前回は、第30回 7つの感情記憶(3-2)恐れ「怖すぎて死んじゃう!」の罠 でした。
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楽園からうっかり遠ざかってしまう勘違いトラップ「7つの感情記憶」、いよいよ、4つめに入ります。
これも、なかなか、ヘビーで苦しいやつですね。
その名も、「無価値感」。
一例を挙げてみますと、
・どうせ、わたしなんて……
・ありのままのわたしには、価値がない
・もっと、よくならなくっちゃ! 努力しなくちゃ!
という感じでしょうか。
つまり、
「何もしていないわたしには、価値なんてない」
という気持ちのことですね。
しょぼんぬ
これ、どうでしょう?
お心当たり、ありますか?
「あるわー! あるある!」という方もいらっしゃれば、「いまいちぴんとこない」という方もいらっしゃるかも。
こう考えてみると、どうでしょうか。
あなたがやることといえば、ただ、息を吸って吐くだけ。
好きなときに起きて、昼寝して、おやつを食べて、やりたいときに、やりたいこと、し放題。
もちろん、したければお仕事をするもよし、ひたすら趣味や遊びに徹するもよし。
何もやりたくなければ、ただひたすら、ごろごろ昼寝。
さて、
このような状態で、
周りのひとや、社会や、仲間たちに、「いいねー!!」と受け入れられ、認められ、愛される自信は、何%くらいあるでしょうか?
もし、100%でしたら、文句なしに素晴らしいです。
そういう方は、きっとすでに、楽園にいらっしゃいますよね(笑)
もし、パーセンテージが5割を切っていらした方、
もしくは、
「そんなこと、無理でしょ」
「そんなこと、許されないでしょ」
と、「罪悪感」や「怒り」「諦め」その他、もやもやとしたものが発動した方は、深いレベルでは「無価値感」を持っている可能性が高いように思います。
「もっとよくならなくちゃ」という思い自体は、様々なことを動かすモチベーションになるようにも思えますが……
何が困るかというと、失敗したり、喧嘩をしたり、嫌なことがあったりと、一旦、自分を取り巻く状況が悪化すると、とてもつらくなってしまうところなのです。
そうなると、うまくできなかった自分を責めはじめますね。
そうすることで、「もっとよくならなくちゃ」のスパイラルに、どんどんとはまっていってしまう。
これね、無間地獄なんですよ……!!
でもきっと、このような状況におこころあたりがある方も多いのではないでしょうか。
我々がつい、間違えてしまうポイントはですね、
ひとは、つい、「もっとよくなる」を目指してしまう
ということ。
それって、いいことじゃないの?
と、一見思えなくもないのですが、次の2つの例を比べてみましょう。
A)「わたしには価値がある」
がベースにあって、
「まだ自分にとって、未知の分野やスキルがあるから、チャレンジしてみたい(わくわく)」
という状態。
B)「わたしには価値がない」
がベースにあって、
「もっとスキルや資格を身につけなければ、わたしなんて相手にされない」
という状態。
AとB、一見、状況としては似ているようで、まったく違うということ、わかるでしょうか……?
Bは、「よい」「わるい」にもとづいた、二元のものさしの判断をつかっていますね。
(何それ? というひとは、わたしたちを苦しめる3大ものさしのお話、復習してみてね)
つまり、わたしは「わるい」から、もっと「よく」ならなくちゃ、と考えるこころの動き、ということです。
それに対して、Aは、「ありのままで、すでによい」。
それでいて、「さらに変化したい、新しいかたちを体験したい」というこころの動き。
「今のままでも十分OKだけれど、もっと楽しみたい!」という感じかな。
二元性にもとづいた感情記憶がすくない人、ほどけている人は、このような感覚に近いところで生きていらっしゃると思います。
無価値感をもっていると、とっても苦しいですね。
自分には生きている価値、存在している価値がないって感じるのは、とてもつらいことだもの。
だから、ひとは、様々な条件をゲットしようとする。
健康、資格、地位、お金、パートナー、評価、手に職、などなど……
「これさえ持っていたら、安心!」って感じたいのね。
でも、深いところまで突き詰めてみると、決して安心はやってこないの。
「何もないわたしは、だめなんだ」っていう感情記憶を、深いところで持ち続けている以上、
「もし、すべてをうしなったらどうしよう?」
「いつか、だめになったらどうしよう?」
と、恐れ続けることになるから、ね。
次回は、人はなぜ、無価値感を抱くのか? ということを、もう少しくわしく書いてみようと思います。
お楽しみに〜。
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