丘 奈凰妃(おか なおひ)が、
「見えないものを見る人」
「ほんとうのこころの声を通訳する人」
「あなたのこころをぽんと押す、ヒーラー兼石屋」
にころがるまでのストーリー。
前回の記事は 6.5「地球に居場所がない」と思い込んでいたお話 でした。
このシリーズを書くたびに、丘の内面ウーウー大火事という話を書きましたが、今回いよいよ、どうやら思い出したくなさすぎるのか、筆が止まってしかたないゾーンのお話を書いてまいります。
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丘の中に幼い頃からあった、「どうやって人と付き合っていいかわからない」という感覚。
これは恐らく、小学校に上がる前からの感覚だと思うのですが……。
友達の作り方が、わからない。
どうやったらトモダチになれるの?
ぽかーん
という感じでした。
大人は、
「なかよくしなさい」って言う。
「自分から声をかけなさい」
「いれて、あそぼ、って言ったらいいよ」って言う。
でもそれは、わたしにはとてもハードルが高いことだったのです。
強い思いとして残っているのが、「集団の中に居場所がない」という感じと、友達に対して「どう振る舞ったら正解かわからない」感覚。
恥ずかしがり屋、人見知り、などで片付く部分もあるのかもしれませんが、わたしにとって、友達の輪の中に入るということは、「いつも緊張する、とても難しくて深刻なこと」でした。
初めての場で周りの子に話しかける時などは、自分ではまるでロボットのように覚束なくてガタガタした感じのイメージ。
「わからない、こわい」という気持ちが常に先に立ち、うまくいかずに拒絶されることが前提だったようにも思います。
クラスの中心にいて、何人もでかたまってわいわいと楽しそうに遊んでいる子たちがうらやましくもあり、同時に、「自分には無理だ」という絶望的な気持ちもありました。
「正解を教えてほしい……」
そんな気持ちだったように思います。
小さい頃から、テストや授業の問題の正解はすぐわかった。
それが楽しかったし、自信もあったと思います。
社会的な場において、こういう振る舞いや正解が求められているんだということがわかれば、その通りにするのは全く苦ではなかった。
ただそれが、子供相手になると、すごく怖かった(自分も子供なんだけど)。
だって、子供って、すごく気まぐれだし、根拠や理論がまったくない行動するじゃん、っていう(妹と毎日終わりの見えない喧嘩を続けていたのも、おなじ理由ではないかしら……)。
たとえば、幼稚園の時に、お友達と思っていた子から、ある日急に「くさい、近寄らないで」と言われたこと。
小学生の時、休み時間のゴム跳びで、ある日急に「なおちゃんは背が高いから(ゴムを持つ番になると、ゴムの高さが高くなって)跳びづらいから、入らないで」と言われたこと。
いやいやいや、理不尽ですやん……!!
正解ないですやん……!!
どうすればいいんすか、これ。
解けない問題に固まって、どうしようもなくて、心だけ静かに傷つく、そういうことが何度となくあったと思います。
大抵ヒエラルキーのてっぺんにいる、友達が多い可愛いリーダー格の子が、突然そういうのかましてくるんだよね……。
今思えば、理由なんてどうでもよくて、その子達のほんのきまぐれだったのかもしれない。
もしくは表向きの理由とは別に、わたしを嫌う理由があったのかもしれない。
それは未だに謎なのですが、わたしの心に深い痛みの爪痕が残った出来事でした。
我ながら今回、全くすくわれない話のまま終わってしまいました……。
次回、
8. そしてわたしは、選ばれし者ではないのだ。いや、知ってたけど。
につづきます。
(20時に更新しています。更新したらリンクを貼りますね)
また近々お会いしましょう♪
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