●【妄想】ヒクソン戦 こうして攻めれば 勝てたかも(船木誠勝)
※あの世紀の一戦からもはや四半世紀経つが、船木選手がしみじみと振り返っていたー。
※過去の試合の話はやっぱオモロイ。
●船木誠勝VSヒクソン・グレイシー
※この、桜庭ホイス状態の間に関節でも取りに行ってたら勝てていたのかーーーー。
ヒクソン・グレイシー息子であるホクソン・グレイシーは、2000年12月、ニューヨークのホテルの一室で死体で発見されました。それは身元不明死体であったため、家族に知らされることなく埋葬されました。身元が判明したのは2か月も経ってからでした。ホクソンの血液からはアルコールとドラッグが検出されましたが、それが死因となったようです。
2000年10月、19歳だったホクソンはロサンゼルスの両親のもとを離れ、モデルを目指してガールフレンドと共にニューヨークに向かいました。数週間経つと家族への連絡は少なくなり、2001年の1月末にはすでに1か月連絡がない状態でした。ヒクソンはニューヨークにジムを持つ従兄のヘンゾ・グレイシーにホクソンの調査を頼みました。ヘンゾは2月7日にホクソンのガールフレンドをマイアミで見つけましたが、彼らが別れたと知らされました。ヘンゾはその日のうちにニューヨークに戻り、病院や警察を当たり始めました。そして警察のファイルから、ホクソンの腕のタトゥーにより身元不明死体をホクソンのものだと確認しました。そのタトゥーとは「世界最高の父:ヒクソン・グレイシー」という文字でした。ホクソンは12月にマンハッタンのプロヴィデンスホテルにて、ドラッグの中毒症により死亡していました。ホクソンの死体は貧困者用の墓地に埋葬されていましたが、そこから掘り返して火葬にし、その遺灰はホクソンが好きだったマリブビーチに撒かれました。その年、MMA史上最も注目を集めていた試合、桜庭和志と対戦する予定だったヒクソン・グレイシーは、試合をキャンセル。その後二度とプロとして試合することはありませんでした。ヒクソンは息子の死を乗り越えることは人生で他に比べようのないほど厳しいことだったと言い、その後3年間はまったくトレーニングをすることができませんでした。
(中略)
ホクソンのこと書きながら、知っていたこととはいえ、ちょっとうるうるしてしましました。ただ単に息子が亡くなっただけではなく、身元不明死体となって親の知らないうちに埋葬されていて、それを特定できたのが、父親を称えるタトゥーだったなんて、親としては悲しすぎますね。。。
★感想:四半世紀って・・・コワ。
☆オマケ 月替わり企画「日めくり」カレンダー
3月は【もう中学生♪】
★3月22日(金)
『タンスにシール貼ると「イェイ」な気持ちになるねぇ~♪』
◎もう中解説:大き目のシール、通称ステッカー。不意のシールがうれしいですね。
ティッシュ、クリアファイル、マグネット、ボールペンも悪くないけど、
シールをもらえたら走り出したくなる。貼らないけど。
もう中学生のイラストステッカー、2023年リニューアルver.です!!
ステッカーサイズ:タテ86mm×ヨコ60mm 内容:2枚入
【ネコポス可:50枚まで】
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※ほんで、シールのグッズ出しとんかーーーい!と言いたくなった。可愛い絵柄や♪
☆細かすぎて伝わらないシール動画
●【切手の行先は…?】貼られてどこへ行く?
※切手もシールの一種でしょう、ということで。