ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。
『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。週刊少年ジャンプ編集部 Vジャンプ編集部
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※先生と親交の深かった方々からのコメントもあります↑↑↑
2024-03-08
昼過ぎに目覚め、LINEを見て飛び起きました。すぐにテレビを付けるも私が見た時間にはワイドショーでは扱っておらず、ふざけるなと思ってSNSを開くと、情報が多すぎて反射的に閉じてしまう。しばらくSNSは見ないと思います。悲しいとか嫌だとかいうよりも、現実味がありません。思考が止まってます。
お会いしたこともありませんし、誇張表現でも何でもなく、私にとって神様です。「会ってみたい」という気持ちすらあまり湧かなかった。「ありがとう」「さようなら」と子どものような言葉しか出てきませんが、いつまでも子どものような気持ちにさせてくれたのは鳥山先生です。ドラゴンボールが好きです。SAND LAND、DAIMAも楽しみです。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
●DB Ondo (Bon Dance Song) 【DB Geinin(Comedians)]】
・NEWSポストセブン【鳥山明さんの真実】原稿を紛失されても怒らない「謙虚さ」、変わらなかった「地元への愛着」、一貫して描き続けた「家族の力」
3月1日、漫画、アニメ界に偉大な功績を残した鳥山明さんが、急性硬膜下血腫のため68才でこの世を去った。生前、「自身のイメージがついてしまうのは嫌」とメディアとは距離を取っていた鳥山さん。描き出したキャラクターは世界中に知れ渡っていても、彼自身の素顔はあまり知られていない。『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』を生み出した稀代の漫画家は、どんな少年時代を送ったのか。
「愛知県生まれの鳥山先生は建材会社に勤務する父とパート勤めの母、妹の4人家族でした。幼い頃から絵を描くのが好きで、自分が欲しいものを描写するのを楽しむ少年でした。ディズニーアニメにヒントを得て、デフォルメした動物を描くのも好きだったそうです。鳥山先生の特徴でもあった緻密な描き込みとデフォルメの素地は、幼少期に培われたのでしょう」
グラフィックデザイナーを志して愛知県立起工業高校(現・県立一宮起工科高)に進学。卒業後の1974年にデザイナーとして広告代理店に就職するも、残業ばかりの激務で約3年で退職した。転機は1978年だった。「仕事を辞めてこれからどうしようかと思案していたとき、ふらっと立ち寄った喫茶店で少年漫画誌をめくったところ、賞金10万円で新人賞を募集しているのを目にしました。そして10万円欲しさに漫画を描き始めたのです。受賞は逃したものの集英社の編集者の目に留まり、1978年に『週刊少年ジャンプ』に掲載された読み切り作品『ワンダーアイランド』で漫画家デビューしました」(前出・漫画誌関係者)
デビュー作から大ヒットとはいかなかったが試行錯誤を重ね、「女の子を主人公にしたら」という編集者の意見を取り入れて生まれたのが、『Dr.スランプ』だった。1980年に連載が始まると瞬く間に子供たちの間で話題に。「んちゃ」「うほほーい」など数々の流行語が生まれた。
※鶴瓶さんとも交流も懐かしいですね。深夜ラジオ「ミッドナイト東海」で、まだちっとも売れてなかったころの電話のやり取り(一リスナーとして)をよく覚えてますわ。
●【追悼 鳥山明】たくさんの感動をありがとうございました!鳥山先生の解説をまとめました。【山田玲司/切り抜き】
★感想:サウナのTVで最初に知る。いきなりフワ~ってなっちゃったよ。整ったわけでもないのに!
☆オマケ 月替わり企画「日めくり」カレンダー
3月は【もう中学生♪】
★3月10(日)
『ティッシュ列車はティッシュポッポだねぇ~♪』
◎もう中解説:ティッシュに描かれたアザラシと
2時間にらみ合いになったことがある。
相手が勝ちました。
※にらみ合いっていうか、、、「にらめっこ」やね。細かいチェックができてないゾ。
※どっちのタイプのアザラシティッシュでしょうねー