『ほんとにあった!呪いのビデオ100』主演:中村オヤブン!w | ジョニー暴れん坊デップのA部屋

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※「シネマンション」のジャガモンド斎藤2023年度ベストワン作品。中村義洋オヤブン監督作品というのも、興味を引いた要因の一つ。

 

・eiga.com 作品情報 『ほんとにあった!呪いのビデオ100』

■解説

 視聴者からの投稿映像を紹介する心霊ドキュメンタリーの長寿シリーズ「ほんとにあった!呪いのビデオ」。1999年の誕生以降、ビデオ作品としてリリースを重ねてきた同シリーズの記念すべき100巻目を劇場公開。
 2022年4月、とあるスタジオで「ほんとにあった!呪いのビデオ96」のナレーション収録が行われていた。シリーズ1~7巻の構成・演出を担当し、その後もシリーズを通してナレーションを務めてきた中村義洋は、収録予定だった投稿映像のうちの1本を24年前にも見たことがあった。その映像は、理由があって当時は採用はされなかったのだが……。

 構成・演出・ナレーションは、「ゴールデンスランバー」「白ゆき姫殺人事件」「決算!忠臣蔵」などの作品で知られる映画監督の中村義洋。「ほんとにあった!呪いのビデオ」初期の1~7巻で構成・演出を担当してシリーズの基礎を築き、その後もナレーションを務めてきた中村が、100巻を記念して再び自ら演出も担当。中村をはじめ制作スタッフたちが呪いに巻き込まれていく様子を収めた。

2023年製作/97分/日本/配給:NSW/劇場公開日:2023年7月28日

オフィシャルサイト

 

■スタッフ・キャスト

演出 中村義洋 構成 中村義洋 製作 張江肇 鈴木ワタル プロデューサー 張江暁 岩村修 撮影 川島周 音響効果 ボン 編集 石川真吾 音楽 ボン ナレーション 中村義洋 演出補 男鹿悠太 木勢まりあ 久木香里奈 演出助手 石川真吾 渡辺凌駕 演出協力 藤本裕貴

■映画レビュー

評価:4.0「コロナ禍が過ぎ去った今に一石を投じた100本目。」

二ノ前さん・・・”中村義洋というオジサン”を愛でる作品でもあり、ほん呪本来の調査パートの尺がふんだんに用意されている100本目という節目に相応しかった。映像を見たスタッフたちが調査中に不可解な現象に見舞われたことを加味し、『視聴者にはその映像は見せられません』ってズルい(笑)完全なるフラグだしwwww

ほん呪が与えてくれる恐怖って、土着的進行や風習による同じ日本に住んでいるのに、異文化に触れちゃう怖さなのよね。同じ言語なのに理解できねえ。。。ってなる。それが今回もふんだんで、かつ制作クルーたちの内部事情や中村監督の可愛らしさが中和されて、丁度いいホラーだったなと言う感じ。ぶっちゃけ途中で、というか序盤からそういうことなんだろうな…みたいなのはほん呪ファンなら気がついちゃうからラストは余計な演出だったかも・・・?

 でもコロナ禍でマスクや距離感を図らないといけなくなった時代から、脱マスクに進む現在にもう一度注意を促してくれる作品になっていました。そういう意味でもほん呪は演出がしっかりしているフェイクドキュメンタリーとして位置を確立していますよね。面会のシーン面白すぎだろwwwww

※中村監督を愛でる映画、でしょうかw ホラーとしてはさすがに弱いかなと感じました。

 

●予告編

※本人が本編にしゃしゃり出てくるのは『ポテチ』以来ですか~?

 

・映画秘宝公式note 舞台挨拶レポート

シリーズ最恐の呪い!『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』で中村義洋が構成・演出として復活!観客の前で「おわかりいただけただろうか……」を生披露!

 

取材・文:後藤健児

 「おわかりいただけただろうか……」誰しもが耳にしたことのある、このフレーズを定着させた、心霊ドキュメンタリーの金字塔『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズ。怪奇現象が映った投稿映像を検証するこのオリジナルビデオシリーズも1999年から始まり、今年でついに100巻を迎えた。節目となる今回は、初期の構成・演出を手掛け、シリーズを通して現在もナレーターを務めている中村義洋が、2001年のパート7以来、構成・演出としてカムバック。『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』として、劇場公開されることになった。7月29日の東京・池袋シネマ・ロサでの上映回は満員御礼。上映後には、現在のシリーズを支えるスタッフの藤本祐貴、男鹿悠太、木勢まりあ、そして初代の中村義洋が登壇。観客からの質疑応答に応じ、大いに盛り上がった。

 記念すべき100巻で扱われるビデオは、とある市民バスケの試合を撮影した、古ぼけた映像だ。途中から不可解な赤い映像に切り替わるそれを見た者は、投稿者のみならずスタッフまでもが、何者かの視線を感じたりといった、怪奇現象に見舞われる。中村には、投稿映像に見覚えがあった。それは24年前、中村が構成・演出を担っていた頃に投稿ビデオとして送られてきたものの、諸事情により採用には至らなかった映像だったのだ。怪奇現象の被害が広がっていく緊急事態下で中村は言う、原因を突き止めるためには、投稿映像の元となったオリジナルのVHSテープを探し出すしかないと。『ほん呪』スタッフ総動員でビデオを探しまわるが、その間にも彼らは次々と呪いに襲われていく……。果たして、中村たちは歴代最悪の”呪いのビデオ”の正体を解き明かすことができるのか……。


 シリーズ初期には、VHSや8ミリ、Hi8などが主流だったが、映像メディアの発展とともに、デジタルビデオ、携帯電話やスマートフォンの録画データなども増えてきた。100巻では、1999年のシリーズ初期に投稿されたビデオが、24年をかけて熟成した呪いを令和の時代にまき散らす。初代の中村と、現在を担う新しい世代のスタッフたちがチームを組み、新旧『ほん呪』メンバーの総力戦で最恐のビデオに挑むという、まさにシリーズ総決算となる内容だ。
『ほん呪95』から演出を手掛ける藤本(100巻では、演出協力としてクレジット)、藤本と同じく95巻から参加した演出補の男鹿。そして、演出補の木勢は、今回の100巻で初めて『ほん呪』メンバー入りした。彼らを前に中村は、「(初代の頃は)29か30歳くらいでしたからね。もうすぐ53歳なので、自分でカメラを持ったり、車を運転したり……」と、久しぶりの現場復帰は苦労の連続だったことを苦笑い。
 100巻は中村演出だが、それ以外の巻は藤本が担当しているため、藤本にとっては自身の担当巻を演出しながらの100巻への演出協力・出演だった。その過酷な日々について、「地獄やと思いましたね(笑)」と正直に吐露。「いつもは自分がカメラを持ってる側だったので、映されるとは思ってなかったんですけど、客観的に疲弊していく自分を見るのが生々しいなと(笑)」とコメント。

 100巻では、呪いのビデオによってスタッフたちが怪異に遭遇していく。木勢は自宅チャイムを鳴らされても誰もいないなどの怪奇現象に見舞われ、「ひとり暮らしでそういう経験がなかったので、誰にも助けを求められないし、精神的に参ってました」と恐怖の体験を振り返った。スタッフの中でも、特に深刻な状況に陥る男鹿は「『ほん呪』に関わらなければよかった……」とまで言い、「(自身が参加し始めた)95巻以降のいろんな呪いがここに集約したんだな」と、今回のビデオがいかに禍々しいものだったのかを説明した。
 恐怖の連続だった新世代スタッフに対して、24年間も関わり続けてきた中村はさぞや余裕かと思いきや、作中のとある場面では悲鳴を上げることがあったそう。「”キャー!”って、ひどい声を出しちゃいました」と照れるように言った中村は、実はかなりの怖がりだった。自身のデビュー当時を振り返りつつ、「自主制作でデビューして、そこからは脚本ばっかりだったんですよ。演出として一番最初にお金をもらえた仕事が『ほん呪』だったんです。恩みたいなものがある。なのに、パート1の頃から、心霊スポットに行ってくれというのが本当にイヤで(笑)」と本音を漏らし、観客からの笑いを誘った。さらに続けて、「『リング』とか本当にイヤな映画(笑)」と言い、場内を沸かせた。
 100巻も中村の怖がりは相当なものだったようで、呪いのビデオに関する、とある重要な場所へ向かう際、「中村さんがなかなか車から出てこない(笑)」と藤本にバラされてしまう一幕も。結局は車から降り、皆についてきたというが、その理由を中村は「外からドアを閉めたら、車内が真っ暗になって、そこにひとりはちょっと(笑)」と、それも恐怖ゆえだったことを明かした。

 質問タイムの最後に観客から「生でナレーションをお願いしてもいいですか?」と求められた中村。静まり返った場内で、期待の表情を浮かべる観客を前にした中村は、それまでの柔和な表情から、あらたまった顔つきになる。そして、例の名調子で「おわかりいただけただろうか……」と口にした。続けて、「画面右上に虫のようなものが……」と、前日の『ほん呪100』上映中、謎の大きな昆虫がスクリーンに止まったハプニングをネタにし、観客から拍手喝采を送られた。
『ほん呪』ファンとの交流も盛り上がった舞台挨拶の最後に藤本は「100巻に限らないですけど、画面に映っていない、いろんな方々に協力してもらってるんです。これからどれだけ続くのかわからないですが、まだまだ怖がっていただける作品を紹介できればと思っております」と『ほん呪』を牽引していくことを誓った。
 これまでの『ほん呪』の歴史を見てきた中村は「最近は心霊系ユーチューバーがすごいよ、やっぱり。それとの戦いでしょうね」と映像メディアを取り巻く状況の変化に触れつつ、新世代を担うスタッフたちにエールを送った。【本文敬称略】

『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』は東京・池袋シネマ・ロサで公開中。他、全国順次公開。

●最高のJホラー『ほんとにあった呪いのビデオ』を語り尽くす

 

※劇場で観てたら、それこそ『リング』以来の膝ガクガク状態を経験できてたかもダナァー。

 

※部屋に入るときの恐怖感たるや・・・。見せ方がうまいンダヨネー、オヤビン!

 

★感想:中村オヤブンのホラーものを観続けてゆきたい。何なら濱田岳クンとのコラボ渇望~。

 

☆オマケ 月替わり企画「日めくり」カレンダー 

2月は【なかやまきんに君♪】

★2月17日(土)

 

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 「やりたい仕事が見つからない」「好きなことを仕事にしたいけど、好きなことがわからない」。そんな悩める就活生に向けて、自分の「好き」を見つける“スキサガシ”を応援するインタビュー企画の第7弾! 今回登場するのは、テレビやYouTubeなどで幅広く活躍する、ボディビルダー兼お笑い芸人のなかやまきんに君さん。単身でアメリカに渡った筋肉留学や吉本興業からの独立など、大胆にも見える決断の裏には、いつも揺るぎない「自信」があったと言います。

 

——今年1月に吉本興業を退所されてから、今は筋肉業をメインに活動されていますよね。20年以上在籍された吉本興業からの独立は、ご自身にとって大きな決断だったのでは?

なかやまきんに君:もともと僕は、「有名になりたい!」「テレビに出たい!」 という思いから、高校を卒業してすぐに吉本の養成所(NSC吉本総合芸能学院)に入りました。吉本興業にはそこから約21年間、ずっとお世話になっていましたから、独立は間違いなく大きな挑戦でしたね。でも実は、独立は4年ぐらい前から考えていたことでした。僕はいつも、「今後どうなりたいか」「どんな自分が好きか」といったことをイメージしていて、それをもとに3〜5年後のことを考えながら動くようにしています。それと同時に、冷静に、その時自分に求められているものについても見極めたいと思っていて。ここ数年、僕が発信する体づくりや健康に関する情報を喜んでくれる方々がとても増えてきたことを肌で感じていました。だから自然と、今までよりももっと筋肉業に力を入れるようになったんです。その流れの中での選択肢のひとつとして、独立がありました。

 吉本興業にいれば先輩もスタッフの方々もたくさんいますし、多方面でサポートしてもらえます。だけど、それが当たり前になってしまうのは、僕の場合は良くないなと。常にハングリー精神を持って、自分で壁を乗り越えてこそ、自信が生まれる。そういう厳しい環境に身を置こうと決意したんです。だから独立を決めた時は、不安が半分、ワクワクとした気持ちが半分でした。

——これまでも、きんに君さんは「まだ誰もやっていないこと」に多く挑戦されてきた印象です。それも、常に先を見据えているからこそのアクションなんですね。

なかやまきんに君:そうかもしれませんね。2006年に「筋肉留学」と名付けてアメリカに渡ったのも、同じように「3年後、どんな自分でいたいか」を考えた結果でした。あの時は、一歩踏み出す明確なきっかけもありました。僕は若手の頃、ネタをする時にイラストフリップを使っていたんですが、それを描いてくれていたのがレイザーラモンHGさんでした。HGさんとはジム仲間でもあり、ずっと親しくさせてもらっていて。それで僕がテレビに呼ばれた時に、HGさんのことを紹介したら、それからHGさんがドーンっと売れていったんです。その勢いを目の当たりにして、「今のまま活動を続けていても、僕は勝てない」と感じました。それがきっかけで、翌年アメリカに渡ろうと決めたんです。

——そうだったんですね。当時、きんに君さんを動かしたのは、嫉妬や敗北感……といったものだったのでしょうか?

なかやまきんに君:いえいえ! HGさんとはずっと仲間でしたし、そういう感情はありませんでした。僕は、人と何かを比べて優越感や劣等感を持つことはあまりないんです。競争心みたいなものがまったくないわけではないんですが、それよりはむしろ「いかに人と違う道を歩むか」の方に重きを置いています。とにかく誰もやっていないことや、誰とも重ならない場所を見つけて、先へ先へと動くことを大事にしているんですよ。

 そもそもこの筋肉キャラも、吉本の養成所に入ったときに、600人ほどいる仲間たちの中で「何か人と違うことをしないと」と考え、タンクトップを着て通い始めたのがきっかけでしたし、デビュー後も、次から次へと新しい人気者が現れる芸能界で、何をすれば生き残れるのかを常に考えてきました。だから、アメリカ留学を決めたのも、「まだ誰もやっていないことに挑戦しよう。そういう自分でありたい」と思ったからなんです。(後略)

※誰もやっていないこと=笑いの筋肉を使わない道、だったのでしょうかー。

 

●『価値観ステーションwith』」オープニングイベント

※スタッフ相手に発露される競争心。