僕は東京、子供たちは北海道です。



そう簡単には会えません。


会えるのは、いつも帰郷できるとは限らない、年に3回の休暇時期のどれかだけです。



それで帰郷したときでも、離婚した相手は、満足には子供たちには会わせてくれません。。。


(ちなみに、言い忘れましたが、決定的な離婚原因は相手の秘密の多額の借金です。)



そんな中、子供たちを相手の実家に迎えにいったとき、数年ぶりに顔を合わせたときがありました。



その時のことは忘れません。。



ぎょっとしたので。。




元配偶者の顔は、死神のような形相になっていたからです。。げっそりと表情もなくうつろな目。血色もわるい。。



こんなこといいたくないですが、以前はスカウトされるくらいの容姿だったのに。。





その後、この実家は、この人のために、いろんな問題に直面していきます。。


あまりくわしくは言いませんが、一番気にかかるのは、子供たちです。


でも、子供たちはそんな母親でも、健全に育ってくれてる。。



母親は、仕事せずに、毎日飲んだくれて、嘘や悪態は続いてて。。。


精神科にも世話になってるとのことでした。。




僕の職場に自作自演で弁護士事務所を装い、僕を訴えると電話してきたことさえあります。


数年前まで、実家の親や子供たちとも衝突が絶えないとのことで消耗して長女が電話してきたりしました。。


僕なきあと、その攻撃の矛先は長女に向けられてるようで、ありえない攻撃をうけています。


僕は、よく理解できます。。よく相談にのりました。生活もひどい。。


でも、長女は気丈です。さすが僕の子です。




その頃僕は、心の傷は完治してなくても、もう、神に対する気持ちは、全く揺るぎないものになっていました。


もはや、神を信じない人の想いの強さを、はるかにしのぐものだという自負がありました。


その頃は、自分が苦しくて祈るときでも、その祈りの中で、問題をかかえてるほかの人を祈りなさいという、イメージをくりかえし感じていました。


ここまできたら、次はもう他に祈りを向けなさい。そうするのが本来の姿なのだから。。と言われてるようです。


心の中に神様を感じられるのです。


(しかし、油断するとすぐ道からはずれます。。それもイメージできます。)




たしかに、他を祈るという本来の祈りになってから、自分の心はどんどんより軽くなって晴れ渡っていきました。


数年前の鉛のように垂れこめた殺伐とした空虚で重い暗がりが、嘘のように心からどんどん消えていきます。








去年、10年ぶりに、相手方の義父さんから電話がありました。


驚いて出ると、


娘(元配偶者)は、精密検査はこれからだけど、専門医が言うには、99%末期ガンで、余命も数週間だろうとのことでした。


いままでも、何回か検査入院とかしてたらしい。(言うこときかずに勝手に病院から帰ってきてしまうらしいが・・)


今回ばかりはそうゆうことで覚悟してるから、一応僕にも伝えておこうと思ってとのことでした。



正直な僕の最初の感想は。。。


それは、そうだろうな。。。  これで楽になる。。


でした。



僕の母にそれを伝えたときも、この母ですら、ねぎらいの言葉らしいものは出てこなかった。


母は、僕の消耗具合を見てますから。。



この人は悪しきものに心を奪われてるのだろう。と解釈せざるをえませんが、どこか片隅に「死ぬなんて・・・」という思いがありました。。

子供には母なのだ。。。あんなんでも。。



そして、自分でも驚くのですが。


祈りました。そんなに強くではないですが、しばらく彼女を祈りの中でフォーカスすることにしました。


安らかに逝けるようにとの思いが強かったです。。。




それから1か月ちょっと経ちました。。


余命数週間といわれてたはずだがどうなったのかと、気になりだした頃。


義父さんから電話があり、


不思議なことに、


医者も不思議がって、2度検査したから連絡が遅くなってしまったのだけど、末期がんの兆候はすべてあるのに、検査で数値が出ないとのことで、その後、見た目にも回復の兆しがでてきてるとのこと。

それで、また様子をみることになったとのことでした。。


つい数日前まで、死ぬほど苦しんでたというのですが。。

本人には最後まで伝えずに逝ってもらおうとしてることも義父さんから聞いていたくらいです。



僕の親戚に看護師(婦長)がいて、その人がいうにも、腹水でおなかが膨れる状態は、ほぼ末期で、絶望的とのことでした。。



なのに・・


神様はどんな目的で彼女に、命を与えたのかわかりません。


神が手を下すときは理由と目的があるからです。



あ、僕の祈りのおかげだとは言うつもりは、あまりありません。


(義父さんは母と僕の信仰のことを知っていて、この家でとりあえずは聞く耳もってくれてた唯一の人です。最後に藁にもすがる思いで、祈りを向けたのかも・・とも思っています。)


僕は相変わらず、関わりあいになりたいとはさらさら思ってませんが、彼女がこの先、奇跡的に助かるなら、


光の道を歩めるようになることには、心から祈ろうと思います。



その後、数か月経ちますが、まだ連絡はありません。。。


僕からはしません。





それとも・・


アセンションを選ばなかったってことなのでしょうか。。。


わかりません。。


やはり、真意は神のみぞ知るです。。。

離婚した配偶者と結婚生活のことを、フラッシュバックさせることは、


ほとんどしませんでした。PTSDのようなものです。



このブログで書こうと思いましたが、


相当なストレスとネガ感情に襲われそうです。。。。




僕は、昔からよく言います。


人間関係は、いかなる場合も50/50なんだと。


DVを受けるような関係であっても、目に見えないレベルで50/50なんだと。。。




それを前提にして話しますが、



結婚生活は、とにかく消耗しました。。


よくしよう。よくしようと、問題があれば、それならば自分が変わろうと。


しかし、そうすればするほど、なにかが吸い取られるようによくない方向へいきました。



配偶者は病的に嘘つきでした。


この事実は、相手のみならず、自分自身も信じられなくなるのに十分すぎるくらいのことでした。


相手のためによくしようとすることのほとんどは、踏みにじられ、上げ足をとられるかのように、問題が発生するたびに悪いかたちに置き換えられ、噴出しました。


態度も言動も、別人のように最悪でした。

当然、対外的には感じのいい人でした。・・よくある話しですが。。


結婚する前から、少し人(僕以外)を見下したり、嘘をついてるのかな?と思わすようなことはありましたが、若い自分はそんなに問題視してなかったということもありましたが、なぜそんな人になったのか、その原因が絶対どこか自分にもあるのだろうと思うと、よりいっそう消耗しました。


自分のことは物質的にも精神的にもどんどん我慢しました。


がまんにがまんを重ね、もうどうしようもなく気持ちが爆発して、一度手を上げたときも、ここぞとばかりに、ずっと暴力夫と罵られ続けました。口外もしてたはずです。


もう無理だと思ってからも、かわいい子供たちのために音楽活動をあきらめ、平行してやってた仕事一本にして家のことをしました。(相手は片づけができなかったので・・)その間、2年ほど。


最後はなにもかもが嘘と悪態だらけ。。


僕の態度も最悪。。。なるべく子供たちの前では争わないよう注意していました。


相手の冷血な理不尽さと話しにならない感じはもう病的で、人間じゃないんじゃないかと恐怖感を覚えた時もあるほど。


僕が最後に大きな声を上げた言葉は「絶対にオマエのような人間にはならない!子供たちにも絶対になってほしくない!」

でした。


そして、最終的に協議離婚したとき、(これがまた、時間がかかり、さらに血の一滴まで消耗する。)


まさに、夢も希望もやる気もすべてなくなっていました。。



僕は別れても実家に帰るつもりはなかったので、相手が実家に戻るならばということで相手方のおじいちゃんおばあちゃん(といっても若い)に子供たちを託し、この人も母の仕事だけはするだろうという思いと、下の子はまだ小さいから、こんなんでも母親が必要だろうということで、手放しました。


一人になり、数日かけて部屋を整理し、片づけ終わったとき、


はじめて号泣しました。。



ちょうど、10年前のことです。





そこからは空白の一年。。


見るモノに色が無い。。


食べるモノにも味が無い。


ただ息を吸って吐くだけの存在。。


機械のように、朝起きて仕事にはいきました。自分を機械のように思わなければ生きられませんでした。


夜は寝るときに、明日の朝は生きて目が覚めるかを本気で心配しました。


体調も壊し、入院。手術は奇跡的に紙一重でしなくて済みました。







あまりのつらさに、神様を本気で想いました。


「助けてください」と。「どうしたら楽になるのでしょう」と。


最悪にこじれた最後の数年は、神様も精神世界も頭にはなかったのです。


精神世界は、結婚後からどんどん遠ざかっていましたが。





直感というのでしょうか。。


祈るたびに、何かが、微か~にひらめくのです。


最初は、日記をつけようというものでした。


日記は精神的リハビリに、すごくいい効果がありました。



テレビをみようとか。


僕はほとんどテレビを見ないヒトだったので。


外出する気なんてまったくなれなかったので、これはちょうどよかった。


そしたら、そこには毎回必ず2~3個(個?)の心救われるシンクロがありました。


これには本当に毎回、毎日、驚きましたが、一番救われました。


僕はこの時の、驚くべきシンクロの数々を、目に見えない人々(情熱をもった人々)の善意の時空を越えた作用だと思っています。



それでも、心苦しい毎日は依然として続きます。


なぜなら、離婚後も、いろいろと苦しめられたからです。


直接的にも、間接的にも。。


迷惑な置き土産がでてきたことも。。(勝手に僕名義で作ったカードの負債処理問題であったりとか。。)




そして祈る。。


微かにひらめく。


それを繰り返しました。


ひらめきは文字であったり、情景であったり、イメージであったり様々でしたが、


なぜ、無数にある物事から、それが心に浮かぶのか、わかりません。


すぐにわからないこともあります。比喩的だったりします。


しかし、それらの心に浮かんだものは、必ず意味のある作用をしました。




そうして、日めくりカレンダーを毎日めくるがごとく、ゆっくりと回復していく実感をもちました。




祈りは自分のためにしてもダメだと、よく言われてました。


自分以外のことを祈ることが大事で、それが自分が救われる一番の近道なんだと。




もちろん、知っていました。


でも、あまりのつらさに祈っていました。


そして比喩的に諭されました。


それはもともと自分の中にある答えのほうに、顔をくいっと向けられたようで、


なにか、バシッと確定的なものが天から降ってきたという感じではありません。


だから、“微かな”のですが、


こんなことが、数十回以上あったのです。



そして、感謝の意とともに、自分が癒されているのを感じていました。






あの、子供の頃の、真剣に祈ったのに、全く何も変わらなかったのとは、


明らかに違うことも実感していました。(笑)

母の信仰に、少しずつ理解ができて、教会に母と行くようになったのは、高校になってからでした。


それでも、なんかいやだなという思いを引きずりながらです。


そのころ、自分の道を自分で選んで歩いていこうというアイデンティティを持ち、

どちらかというと父親似の理論派左脳系だった自分は、母の信仰をを認めつつも、完全に一線を引いていました。


というのも、


左脳系ながらも、中学の頃から、不思議体験をするようになり、


いろんな考えを情報として感覚的に受け取るようになり、世の中の考えとズレがでてきました。


非物質界の存在についての世の中との認識のズレです。


世間では、そんなこというのは、普通に変人あつかいでしたし、実際テレビなんかにでてくる、その方面の人というのは、やらせでしょうが、やはり、変人ばかり。

茶の間は盛り上がりますが、インチキな変人ばかり。。。


まともに、そういう世界を話す人はまわりにおらず、地方という土地柄もあり。。


母は、若干盲信的であったし、信仰という方向性だったので、


そんなことで、どうにもその頃の僕のキャパの中では、自分のなかで不思議体験と信仰が繋がるものではありませんでした。なぜなんでしょう。。。

(この感覚のズレは後々、最近まで腑に落ちずに引きずることになります。。。)

それで、母を認めつつ、参拝を勧める母に付き合いながらも、信仰を本格的にするつもりはないという気持ちでいました。






世の中は、なんか違うんじゃないか・・目に見えない世界はあるんじゃないか。。という思いは増すばかりでした。

僕は、自分がおかしいんじゃないかと思ったりしました。。




そんな時、英会話教室で出会った、年上の女性に


シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」(本)を紹介されました。



この本を読んだ時、1ページ1ページが宇宙のように感じたのを覚えています。


目の前が、ワーッと広がった感じがしました。うれしくなりました。(笑)


こんな本があるなんて信じられない!と思いました。


ここから、精神世界というものを知って、少しずつ自分なりに探求するようになりました。


が、


ヘタレな僕は、金縛りから始まるなにかのコンタクトを、恐怖心から拒否しまくってたので、


なにかが劇的に変わるということはなく、やはり感覚として少しずつ覚醒していってたように思います。


非物質界に対する確固としたものをつかむでもなく、もちろん、信仰というものとの位置付けなどは


眼中にもなく、高校時代は流れていきました。



そのころ、「バシャール」や「エクトン」の本(VOICE出版)にも出会いました。


あまりに、衝撃的でした。内容もさることながら、


だって、宇宙人でしょ??これ!と。(笑)


すごく興奮して、高揚したのを覚えています。




友人にも自分はそういう方面にすごく興味がある人間なんだということを、カミングアウトもして、


本を薦めたりしました。


しかし、地方の一高校生という環境では、バシャールの言葉の本当の意味や真実性をしっかりとらえることはできてなかったと思います。


なにせ、あまりに素晴らしすぎて、非現実すぎて、高校生の自分にはにわかに実践するには、ガイドになるものも、踏み出す土台(世の中の空気)も勇気もありませんでしたから。。。。


でも、ずっと心には残り、今になって、やっと、バシャールの言葉が手に取るようにわかる感じになりました。。



こうして、バシャールという存在に触れたのも、もはや20年も前のこと。。。



なんてことだ。。。僕は。。。orz(笑うしかないな…)







高校を卒業し、東京にきて音楽の勉強に打ち込みました。


東京の本屋には精神世界の本がいっぱいあるので、うれしくて、


そんなにたくさんではないけど(お金ないから…)いろいろ読みました。


中には、なんだかよくわからない、わざと難しくしてるようなものや、胡散臭いものも拾い上げてしまったりしました。お金ないのに。




そして、これからの3年間くらいは、不思議体験のオンパレードだった頃です。


そのことは、「不思議体験備忘録」のカテゴリーで引き続きアップしてくつもりです。




そして、信仰に対する気持ちは、以前よりずっと気持ちが向きはじめ、


お祈りも少しずつ(空気を噛むような感覚ながら)するようになっていました。


このカメの歩みながらも、心境の変化を説明できるものはありません。


唯一説明できるとしたら、母の想い(祈り)だったとしかいえません。



でもなぜか、自分のなかでは、精神世界と信仰は完全に別物になっていました。





ちょいちょい書いてますが、僕はバツ1です。


配偶者は高校の同級生でした。ずっと一緒にいた相手でした。


若くして、結婚しました。20代前半です。


音楽の世界でも幸先悪くないものを感じていたときですが、事情があり結婚しました。



そして、結婚した頃から、不思議体験は激減していきました・・


それは笑い話でもなんでもなく、本当に暗黒の幕開けになりました。




(続く)