HSP(ハイパーセンシティブパーソン)と言われる超繊細な方だったり、感受性が非常に強い方で生きづらさを感じていたり、他者との境界線に困惑していませんか?
HSPだからしょうがないと諦めている方へ。
HSPであったからこその目覚め、そして安心感を手に入れられた方からのメッセージをご紹介します。
ずっと感情を出すことが嫌だったKさん
その背景には、幼少期のトラウマがありました。
そのトラウマの意味を知り、深く理解し、ご自分の最高価値にとって必要不可欠だった事を受容されてからどんどん気付きがダウンロードされているようです。
今まではHSPと巷で呼ばれる、”繊細で感受性が強い人の特性”だから仕方ないんだ、と思ってきたのですが、そういうことじゃなくていかに自分があらゆる感情に対して感じることをゆるせているか、でした。
自分の感情を感じる事を自分に赦す。 その赦せるまでの道のりに沢山の深い気付きがあったようです。
Kさんの体感をご本人から許可を得たのでご紹介します。
多分これって「感情を自分の責任」と思えるかどうかかな、と今、
私自身を見つめていて感じます。
境界線を無理なく引けるようになり始めたのは、
自分が「私が不快になった感情の責任は他者にある」と思ってて
いかに他責だったかに気付き始めたからだと思ったんですね。
でも、それに気付かず、
例えば幼少期に「お前の言動のせいで私は不快だ!」と責められるような体験をして
その思い込みのまま大人になると、
あらゆるネガティブな感情が、身近な他者のものであれ、
「私が何かしちゃったのかも…」と責められている気分になる。
なので、身近な人が怒っていても、悲しんでいても、
「私が何か悪いことをしたかも…」と顔色を窺う癖が強くて
常にビクビクして、対立を恐れていました。
感情は自分を責めてくるもの、不快にするもの、となるから
感情感じることそのものが辛いと感じてしまい、
そういう人が悩んで行き着く先が
「繊細だから」というカテゴリーなのかなぁと。
「繊細だから」と諦める必要は無い事を教えてくれました。
今まではその怒りの声を聞くだけで怖くて嫌悪感が凄かったんです。
(対自分じゃなくても怒っている人が近くにいるのが苦痛で、イヤホンで耳を塞いでいました) でもそれがラクになっていて、あれ、大丈夫だな…??って感じでそれがかなりの変化かもしれません。
このように自然に誰かの感情に飲み込まれる事が無くなっているKさん
他者のネガティブ感情に敏感になる事のない安心感を手にしているようです。
これからもどんどん新たな気付きをシェアしていただきたいと思います!
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