肺がんステージ2b 6か月で寛解
鬱 1か月で治癒
胃潰瘍 3か月で治癒
原因不明の頭痛 1日で消失
リウマチ 6か月で改善
パニック発作 2か月で寛解
アトピー性皮膚炎 1か月で改善
花粉症 翌年から無症状
原因不明の膝の痛み 2日で消失
原因不明の腰の痛み 2か月で軽快
娘さんの強迫性症状 6か月で平穏
…他
あなたはあなたのままで素晴らしい、本当の自分を思い出して進化する
ニューロセラピスト
病気引き寄せメンタルからの免疫力活性マインドマスター
よしだ順子です
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11月2日に89歳だった父が死去しました。
10月中旬から日本への一時帰国をしてしておりました。
娘と2人での10日間の東京と北海道訪問は、元気な両親や義母、親戚達とのふれあいや沢山の友人と会う事ができた充実した楽しい滞在でした。
ところが私達がロンドンに帰国した11月1日の翌日の2日、東京の89歳だった父が大動脈瘤破裂により突然他界した知らせを受けました。
つい数日前までは認知症こそ進んでいたものの、ユーモアは健在で元気そうで良く食べ、良く笑い、階段の上り下りも良くできていました。
最後に元気な姿で一緒に過ごせた事を幸運に思いながら、葬儀出席の為、急いでまた東京の実家に13時間フライトでとんぼ返りしました。
父は、ここ3年ほど前から腹部に7㎝ほどの大動脈瘤を抱えていました。認知症が進んでいましたが、手術の為の入院を頑なに拒否した為、家族や病院がなにもできる事がなく、そのまま手術も何もしないという決断に至っていました。 その代わりに定期的に訪問医師に来ていただいて経過を診てもらっていました。
医師からは、もしもの大動脈瘤が破裂した場合の策のレクチャーを受けていたので、母は慌てる事なく、冷静に対処していました。
亡くなる直前の父は、自宅で母が作った夕飯を全部平らげ、デザートまで食べ、さあ寝ようか、となった時に、突然「うっ」と言いながら胸を押さえ、それからすぐにパタッと意識が無くなったそうです。 慣れ親しんだソファーに座ったままの状態で母の隣で眠るように息を引き取りました。
亡くなる直前の3日間は、いつも父にダメ出しをしていた母も、父のやりたいように自由にさせてあげたそうです。 その3日間は喧嘩もなく、とても穏やかに過ごせたようです。
父は、そんな母との穏やかな日常を望んでいたので、満足できたのかもしれません。
突然に誰にも迷惑をかけず、苦しまずにこの世を去りました。
母は、ずっと一人で認知症の父と向き合い、喧嘩しながらも取り組んでいた介護を最後までやり遂げてきた達成感を得ているようです。
きっと父の望み通りの人生の終わらせ方をさせてあげた、という満足感もあって、あの大変だった時の事すら全部肯定できています。
母は、父の介護で悩み苦しみ、人の助けを借りながらも、
「結局、私が最後までやり遂げたかったんだと思う。」
と正直な気持ちを話してくれました。
「あんなに大変だったけれども、終わってみると大したことはなかった、と思える。」
とさえ話してくれます。
母の父に対する愛は、子供では理解できないほど深い物だったようです。
そして、父も、たとえ認知症になってまでも母の事を「幸せにしたい・喜ばせたい」という深い想いに、最後まで執着していた事が、今までの残された様々な手書きの書類から伺えました。
40年前のあの時、母の姉妹と争ったのは、結局は母を守ろうとする為だったのか。
いままで、理解できない態度を取ったのは、母に認められたかったからか。
30年前のあの時、近所の問題をイヤイヤでも取りまとめていたのは、母に不快や悲しい思いをさせたくなかったからか。
このように思いを馳せるとすべてが繋がり、父の本当の気持ちを感じ取る事ができました。
もちろん子供達や家族への愛も深かったと思いますが、何より人生最後にそばにいた人への深い愛というのは、当人以外には、計り知れない大きい物だったと思います。
喧嘩していようが、ののしり合っていようが、今自分のそばにいる人というのは、相手を何とか向上させようと、この上ない愛を発揮させるべく縁が繋がっているということに改めて気づかされました。
どんなエゴでも、その根底には誰かの為の、真の愛がある証拠。
常に誰かの為に生きたい、それが人間の想いなのかもしれません。
そんな人間の深い愛と、それにともなう心理というものを、父の人生を通して教えられた気がします。
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