「良い事をすれば、良い事が返ってくる」「与えた事は、自分に返ってくる」など、仏教の教えや宇宙法則などの種まき理論がありますね。
しかし、一生懸命善い行いをしたり、誰かの為に労力を沢山使ったのにもかかわらず、
感謝されるどころか裏切られたり、仕打ちを受けたり、といったようないくらやっても「報われない」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな種まき理論の落とし穴を、私の気付き体験から今日はお伝えしていきますね。
これを知っておくと、本当の種まき理論が発動し、報酬を受け取れるようになるかもしれません。
周りから報いを受けたくて、それをしたわけではない
どんなに困難でも目の前にくる事をやり、それによって自分も周りの人も救われた
私はとても頑張った!
こんな時、自分自身を誇りに思えると思います。
しかし時と共に周りからの称賛がなくなり、そのやった分の出来事は「誇り」から「卑屈」へと簡単に変化してしまう時があります。
「卑屈」から脱却させようと、無意識に自分から相手に「見返り」を求めだします。
ここで恐ろしいことは、「見返り」の精神は、自分が誇り高くやってきた事を一瞬にしてキャンセルアウトしてしまうことです。
分かりやすいように私の身内の話と体験談を話しましょう。
86歳の叔母
4人姉妹の長女として生まれ、戦後の食糧難の中、無我夢中で家族や妹達の為に食料をかき集めました。
極限に空腹の中、リュックを背負いながら必死に家族の為に食べられる物を探し歩いた日々は、それはそれは壮絶だったことでしょう。
大人になってからも家を守る為にシングルを貫き、家を建て、一人で両親の面倒を最後まで見ました。
4人姉妹の内の下2人は、わかいうちに好きな人ができると、それぞれ勝手に家を出て行ってしまいました。
感謝も有難みも礼儀もなく、勝手に出て行ってしまった事を許せなく、2人とはそれ以来音信不通です。
(私の母は次女で、礼儀と段取りを踏んでから嫁に出たそうなので叔母からは信頼されています。)
叔母から学べた気付き
私は、日本に一時帰国する際はできるだけ一人暮らしの叔母のところに顔を出しに行きます。
行く度に、どれだけ自分が戦後に頑張って家族や妹達を支えたか、私に何度も話します。
「叔母ちゃんは本当に頑張ったんだね。」
と、私なんかが同意してあげた所で、叔母の心が癒されるわけではありません。
それどころか、私の事を母に悪く言うようになってきました。
「あの子は全く分かってない!」
私は、なぜ悪く言われなければならないのか、と不満を覚えました。
「何度も顔を出して、話を聞いてあげて、旅行も連れて行ってあげたのに、そんな事言われる筋合いない!」
しばらくイライラしてから、気が付きました。
自分の中に「見返りの心」を持った瞬間、 その人の為にやった事すべてが反対の意味を持ってしまうことを。
自分の意志で叔母に対してやった事、与えた事、それを後から「あんなにやってあげたのに感謝ぐらいしてよ!」という見返りを叔母に求めた瞬間、叔母との良い思い出が、まるで卑屈で嫌な出来事にすり替わってしまったのです。
叔母自身も、もしかしたら70年以上経ってもなお「見返りの心」があるのかもしれません。
戦後から自分が家族を支え、長女としての自分が守り抜いたのだ、という誇りは、最も自分が認めてあげられること。
妹達からの承認より、「自尊心」を持てた時、きっと辛かった出来事も誇り高く乗り越えられた思い出に変える事ができるのかもしれません。
叔母も私も同じ見返りの心が生じていた事に気が付いた時、叔母への苛立ちが消えました。
きっと、叔母は誰かに「自分がやってきたことの誇り」を取り戻してもらいたかったのかもしれません。
自分で与えた事、やった事に対して相手に「見返り」を求めてしまう時、その出来事は「自分の誇り」から「卑屈な自分」へと変化してしまいます。
「やった分だけ返ってこない」と感じるとき、もしかして見返りの心を持っている時かもしれませんよ?
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