金色の記憶③靴磨き | 日々のこと

日々のこと

女には2つの頭がある。
ひとつは天に近いほう、もうひとつは土に近いほう。案外、上のほうがいつも役に立たない。

気持ち悪がられる虫がいて、
誰かに押し付けずに引き受けた腐ったものを沈めて
混ぜた先に。
何か豊かなものが実ればいいのに。

子どもを生む何年も昔、

大人になるつもりもなかったのに

大人にならざるを得ず、

運悪く、もしくは運よく

超氷河期時代に、透明人間なまま社会に出たたために

社会でぶつかりながらも

他者からいろんな「色」の欠片をもらっては、

かき集め始める。

 

承認のまなざし。

そこにいていい、お前はそこにいるんだ、と。

 

親からはついに、そんなものを一度も受け取ることはなかったが、

厳しい社会の中で、出会う多くの人、他人は偉大だ。

本当に貰いっぱなしで、私はいまだに何も返せていない。

 

 

ブラック企業という言葉もない時代の広告営業。

はいこの一区間すべて飛び込み営業ね、

はいこのビル、一階から上まで飛び込み営業ね、というような

もうすさまじい(笑)ブラック具合で黒すぎて、むしろそれが普通だった。

残業当然、セクハラ当然。

 

むしろ、飛び込み営業で飛び込んだ先では虫けら扱いなので、

事務所で怒鳴られているほうがまだマシなほどだった。

(人は名刺交換して名を名乗って、はじめて人になれる)

 

 

自分がどこを走っているのかもわからない。

なりたいもの、なにそれ。

夢?なにそれ。

社会のすべては敵にみえたし、

15分ごとに公衆電話で会社に連絡するたび

(携帯ない時代らしい、報告の仕方だな)

 

「お前、あと一枠どうするねん!?」と、

ノルマ達成のみを迫る先輩から罵声を浴びる。

(「どうしろったって…」)とは言えない、なんとかするしかない。

 

ビルの大群を眺めたところで

自分の居場所なんかないような気がしたし

実際、居場所なんかなかった。

ないからこそ、どんな仕事でも、

どんな扱いをされても、この身にふさわしいと思っていたのだろう。

やりたくない、これは私の仕事じゃありません、

そんな風になぜ言えなかったのだろう。

 

もっと自分を大切にすることもできたのに。

当時は言えなかった。

 

・・・はやく消えてなくなればいい、

自分もこの世界も。

空を仰いでも、待てども待てども

大魔王は降ってこない。

 

 

そんな営業時代のある日、

一件アポイントメントが取れた。

行ってみると、経理事務の求人募集をしていたとある会社で

昭和2年に建てられたという西洋建築の美しいビルのなかにあった

 

ここだけが別世界のような、タイル張りが美しい古い建物。

木製の木箱の郵便受けに、天井の装飾まで凝っている。

 

アールデコ調の雰囲気に圧されながら、

事務所の扉を開けると、その人はいた。

 

さながらジュード·ロウと渡辺謙を足して割ったような、

白髪はめだつがキラキラした目に、葉巻をくわえて。

 

葉巻・・・映画でなく実際にあるんだな、など思いながら、そのもくもくとした煙を見ていた。

 

 

「えらい電話と雰囲気ちがうな、まあ、座れ」

と社長に言われ、ひととおり広告の案内をし、

あたりをキョロキョロ見渡すしかなかった。

 

「雰囲気のある建物ですね・・」

「そうやろ、このヒビがええんや~」

と、白壁のヒビを愛しそうに撫でていた。

 

ヒビも味がある、と愛することができる人からみると

私もよっぽど可哀想に見えたのか。

お前、仕事楽しいか、など言われ、そうこうするうちにそこに拾われることになる。

 

朝7時に掃除機かけて、

コーヒー豆をミルして挽いて、

淹れたてのコーヒーを準備して。

 

不況の煽りで、倒産し

その会社にはたった数カ月しかいなかったが、

今でもよく覚えている。

 

私がいつものようにあれやこれやしていると

社長が急に、

「お前、その靴はなんや」という。

 

普段は拾ったスニーカーを履いていて

就職活動の際は、あんまりお金がなかったので、

古着屋で中古の革靴を買ってずっと履いていたのだ。

 

まあ、ただでさえ古靴がますますボロボロになっていた。

 

「普段、履いているスニーカーやったらええけどな。

革靴はちゃんとしたほうがええ」

 

社長は私からそのずたボロの靴を受け取ると

慣れた手つきで磨き始めたのだ。

私が呆気にとられていると、

「俺が小さな頃はよく親父の靴磨きしとったけどな・・

お前らの世代は靴の磨き方もしらんやろ」など言いながら、

シュッシュと磨かれ、

ボロ靴はどんどんきれいになっていく。

 

黒光りする靴を受け取って、

私は・・・、なんともいえない気持ちになっていた。

 

親を含めて、

人から「思いやり」をもらうことなんて、本当に砂漠から

ダイヤモンドを拾うくらいに、難しかったあの頃は、

ただ、ボロボロの靴だけが私の足元にあったし、

誰も、自分すらもそのことに対して気にもとめなかった。

 

「思いやり」。

思いは、相手にやるもので、やってしまうから、

何も見返りなくやってしまうから

相手が自分にくれるから、最初はびっくりする。

慣れていないから、「驚く」のだ。

 

後で振り返ってありがたいなあ、と

その人に対して心底神様めいたものを感じても、目の前にはいない。

 

ただただもらったんだな、

何も返せない自分、返してもらおうともしない相手、

それでも受け取ったのだな、と。

 

何十年ぶりかにそのビルの中のカフェを取材することになった。

昔は男女兼用のトイレ(笑)だったのに、きれいにリフォームされ、

ブティックや雑貨店、最近注目を浴びるレトロ建築らしい

流行の店がテナントで入っており、

もう一般の企業はほとんど入っていなかった。

 

 

何十年かぶりにこのビルで飲む、

琥珀色に波打つコーヒー。

 

 

・・・次の曲がり角、

とりあえず、次の曲がり角まですすんでみよう、

とただ走ってきた。

いつも目的なく走っているうちは

自分が何を望んでいるのか

自分が誰なのかわからない。

 

途中誰も教えてはくれない。

 

山や空、海

朝日や夕日、風が吹いては

慰めてはくれたものの

私はどこか空しかった。

 

自分の中に何があるかも、

なにもないことすらも、

目をそらし

見てはいけないはずだった。

 

取り出して眺めないうちは

どこを目指して走っているのかも分からなかったのだ。

 

今は

自分のなかに自分が戻ってきたので

風が吹いているのがわかる。

 

振り返ってみると、

それとは気づかずに

受け取っていたものの大きさも、

今になって、ようやくわかる。