金色の記憶②麦畑 | 日々のこと

日々のこと

女には2つの頭がある。
ひとつは天に近いほう、もうひとつは土に近いほう。案外、上のほうがいつも役に立たない。

気持ち悪がられる虫がいて、
誰かに押し付けずに引き受けた腐ったものを沈めて
混ぜた先に。
何か豊かなものが実ればいいのに。

私は子どもが嫌いな子どもだった。

正確に言えば、子ども時代がなかったので

子どもを嫌いにならざるをえない子どもだった。

 

14、15の中学生頃、通学路で友だちの女子とこんな会話になった。

 

友人K「私ら、これから彼氏も見つけなあかんし、結婚もしなあかんし、子どもも生まなあかんねんで~。」

私「なんで?」

友人K「だって、老後の面倒とか見てもらわなあかんやん」

私「ふーん・・・私は生みたいとは思わんな・・」

友人K「じゃあ、老後どうするん?一人やねんで!」

私「・・・」

 

だいたいこんな内容だったように思う。

老後の心配をし、老後のために結婚し子供を生むのが当然と語る、

14の女子の思考は現実的過ぎて、私にはまったくピンとこなかった。

しかも、私はまったく想像することができないでいた。

大人になるのも漠然としていて、何もやりたいこともなかったし、

だいたい、自分が20歳やそこらで空から大魔王が振ってくるので、

大学卒業くらいには自分ごと世界も消えるだろう、くらいに思っていた。

 

思えば、親から自分の色を奪われて育ったがゆえに、

透明なまま生きていると、

自分が透明なのも自覚がないがために、

ふらふら「なんとなく」嫌いなものが増えていく。

 

子どもも嫌いだった。

無邪気に母親に甘えている小さな子をみて

「かわいい」と叫ぶ女子たちの黄色い声に眉をひそめては

心の中で気持ち悪っ、と心の中でつぶやいていたほどだ。

 

自分がその子のように、

子ども時代なら当たり前にできる、それをできなかった、から、

それを知りたくないから、見たくないから

ただ何となく「嫌い」だったのだろうが、それは知らないまま

子どもが嫌い、という思考になってしまったのかそれは分からない。

ただただ「嫌い」だった。なんとなく。

 

ただ、人は透明なままでは生きていけない。

 

あがきながらでも、色を取り戻し始めるのは

社会にでて「違和感」をひとつ、ひとつ片づけはじめてからやっとのことだ。

「何か人と違うらしい」

「自分はちょっと頭がおかしいらしい」

なぜ、他の人がいいと思うものや

憧れに対し、ちがうと感じるのか。

 

 

まったくわからない、

親から色を掴まれたままの透明人間だからだ。

そもそも、自分というものを育てようとするたびに

こそこそ種を植えては

「どこまで育ったんだ!?」と引っこ抜かれていては育つものも育つはずがない。

 

子どもなんて、絶対生まない、そう考える方は必ず何か根っこに親との問題があるんじゃないか、と思う。

 

私は生むのが偉い、とも思わないし、

女は生むべきだ、とも思わないし、

ましてや子どもを生んだほうが女の価値が上がったり

人として価値が上がったり、ということはまったくないと思う。

 

むしろ、母親になろうが、なるまいが、

人間的にも思考も成長が止まってしまう女性も、

身近な人間含めて星の数ほど知っている。

 

ただ、絶対子どもが嫌い、という思考の「絶対」が危ういのは確かだ。

その絶対を眺めてみると、

見たくない現実があったりする。

 

 

その「避けている」部分に学びがあるからこそ、

「避けてとおりたい」。

 

 

経緯は省くが、子ども嫌いが

子どもを生んでみて

何がいいか、と聞かれたら

人間の「はじめて」に

自分が気づかないことに、

立ち会えることは、贅沢なことだと思う。

 

出産。

自分の子を生んで感動で涙、

なんて嘘だと思う。

自分に酔っているだけだ。

痛みに耐えた自分、がんばった自分。

 

それを生んでない女が嘘だ、というと世間はこういう。

「知らないからでしょ」と。

感動できないなんて、人間として欠陥がありそうで

可哀想な、気配すらする。

 

ただ、感動は外から強制されるものでなく

内側からわきおこるもので。

 

あんなオートマチックな分娩台に乗せられて感動なんてなかなかハードルが高いぞ。

生んでみても思う。

出産なんて、自分以外の力を借りて生んでいる。

あんなのは自力ではなく、他力だ。

宇宙じみている何か自分以外の力がないと無理だと思う。

 

お腹を痛めて生んだ子、

その言い方も嫌いだ。

 

それを選んだのは自分だろう。

まるで痛みがあったから、その損した分、

痛かった分を取り返したいみたいに聞こえる。

 

 

私は出産した子どもをお腹に乗せられた時は

「なるほど、生ぬるいな」、としか思わなかった。

感動ではない。

 

なるほど、体内の温度を皮膚にのせる機会はあまりないが、生ぬるいのだな、と。

 

 

ちょうど腸やら内臓を引っ張り出して腹に乗せるとこんな感じだろうな。

体内を皮膚に感じることはあまりないので、

ただただ「なるほど」と思っただけだった。

 

立ち合いなんて、滅相もなく、

非常事態の、理性が効かない

相手を気遣うことができない自分を旦那に見せるのも嫌だった。

 

なので「生ぬるかった」というと

旦那もけらけら笑っていたくらいだ。

 

 

私の感動はそこになかった。

私の感動は他者としての人間のはじまりを見られることでしかなかった。

 

この世界にきてはじめての朝、

はじめて、つめたい水が空から降ってくる不思議。

はじめての寒さ、暑さ。

 

足元でかさかさと鳴る枯れ葉の不思議、

葉っぱのてざわり、日々変化する風の匂い。

 

シャクシャクと噛むと、歌を歌うきゅうり、

どれもはじめて、は楽しいものらしい。

 

そんな一人の人間の「初」の瞬間に、

立ち会える。

 

しかも、相手が忘れても

ずっと自分は覚えていられるのだ。

 

その瞬間を。

 

このことに感動し、感謝できる。

 

日々追われることがあっても、その瞬間は必ずやってくる。

ふっと訪れる。

 

ふかふかの産毛に顔をうずめていると

夕焼けの金色がホームに入ってくる。

黄金色の麦が頭の先で揺れているように見えた。

 

 

まったくもってやわらかい

「はじめて」生えた毛が揺れる。

 

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『 君と別れた朝に 』  

 

 

私は昔 一匹の魚でした

私は昔 一匹の蛙でした

私は昔 一匹のトカゲで

一羽の鶏でもありました

 

 

何十年もの

地球の生命の海を

たった

一匹で旅をしました

途中で終わればいいものを

ヒトまで旅しただけのこと

 

 

アイヌの人々は

赤ちゃんと 老人を

「神の国」に近い者として

大切にするという

 

 

さしあたって

私は今

神から一番遠いらしい

 

それならやっぱり

やっぱりうなずける

 

もしトカゲだったなら

もし蛙だったなら

もし魚だったなら

 

もっと海に近ければ

もっと何かに近かったかもしれないのに

 

 

 

世界は灰色になってしまった

なんの温度もあたたかみを失い

カレンダーをめくる意味も

春も夏も秋も冬も失ってしまった

 

 

働けど働けどなんてじっと手を見る暇などない

私はひたすら

お金を動かす言葉だけに追われ

たまに駅の改札にカタンとしめだされ

 

白と黒の冷たい

山積みの原稿と紙の束たちをらせん状に積みあげて

街のあちこちにばらまくだけの日々

 

 

君も昔 一匹の魚でした

君も昔 一匹の蛙でした

君も昔 一匹のトカゲで

一羽の鶏でもありました

 

何十年もの

地球の生命の海を

私の中で旅をしました

 

 

気がつくと

ひび割れた裂け目から

光が洩れて

遥か昔の生命の海、

太古の海が広がる世界から放り出されたのだ

 

 

それは光も闇もない世界から

朝と夜が分かれ、

大地と空のくっきりとした裂け目が広がり

雲も風もまぜこぜにならず、

全てが別々に名前をもつ世界へ

 

 

君と私が初めて過ごす朝もその前から世界は続きを演じている。

何も変わらない朝。

 

 

ひたひたと近づく太陽の光、

遠くに聞こえるトラックの音と、

まだ静かに眠る人たちの呼吸と

わさわさとすでに働く人たちの息遣い

街が呼吸をし始める瞬間。

 

そして、ざわざわと

屋根より随分高い、ぐたっとしていたこいのぼりを元気にして、

萌える木々の葉と葉の間をくぐりぬけ、

星のようにまたたくシロツメクサの上を分け入って、

ぽてぽてと膨らんだ、まんまるなタンポポわた毛をすっぱだかにした風が

 

 

今、

たった今、君と私の傍を吹きぬけようとしている。

 

 

 

灰色だった日々に、

桜の花のひとひらのあたたかみや

雨が肌にしたたる感触、

星のようにまたたくシロツメクサの冷たさ、

 

 

ふたたび、風と温度と手触りと

光と朝の気配、その匂いが

ふたたび世界の気配が、

私に戻ってきたのだ。

 

 

 

君と私がくっきりと分かれた日

君がやってきた朝に。

 

 

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stay in it.

 

その瞬間に入り込んで、味わう。映画で見た好きな言葉だ。

なかなか未来や過去のいろいろに思考が牛耳られていると難しい。

でも、一日のどこかでそんな瞬間があれば。

 

まだ、どうにかこうにか生きていられる気がする。