金色の記憶①ポプラの木 | 日々のこと

日々のこと

女には2つの頭がある。
ひとつは天に近いほう、もうひとつは土に近いほう。案外、上のほうがいつも役に立たない。

気持ち悪がられる虫がいて、
誰かに押し付けずに引き受けた腐ったものを沈めて
混ぜた先に。
何か豊かなものが実ればいいのに。

 

学校の校庭に一本のポプラの木があった。

 


校舎のてっぺんよりも高くに
その木の頭の先があり、
秋になると黄金色の葉を無数に揺らしては、
朝の朝礼の長い長い押し付けばなしから私を引き離して
苦痛な時間をやわらげ、慰めてくれた。

 


山の赤とポプラの金のコントラスト、
そこに青い秋の空があって、
月曜の朝も、世界はぴかぴかしていた。


ある日突然、その木がなくなった。

空はただぽかん、と。

長い長い校長先生の話だけが通り過ぎていく。


病気だったのか、
誰かが危ないと、切ろうと決めたのかは知らない。
先生や大人は肝心なことは、
私が知りたいことは
誰も何も教えてはくれなかった。

・・・知りたくないことは教えたがるのに。


ただ、ある日突然、
忽然と黄金色が消えて、灰色の校舎だけになったのだ。

30年以上も昔のこと。
今よりももっと子供の「こころ」なんて後回しだった時代の遠い記憶。

川のほとりで、ぼんやりあたたかく灯る蛍が消え、
泥と戯れて遊べる土手はコンクリートになり
点々と子供が成長するためにおいていく
自然と結びついたアイデンティティの欠片のようなものは
容赦なく奪われて、奪うという自覚もない大人に消されては
何事もなかったかのように平気でいろ、と
世界は、金色が灯っていても、

また灰色一色になっていく。

私は泣くのが得意で、最初から慰めをあてにできる子どもならよかった。

泣けばざまあみろ、お前が悪いのだとされかねない子どもは、
家にも学校にも居場所がない子どもは、
結局、そこからも転勤で離れてしまえば

いるかいないのかもあやふやで透明な存在の子どもは
泣くこともできず、
真っ暗な記憶に、
ただポプラの木の輝く記憶だけが残る。

ルーツがある人は、
そこから離れても帰る場所がある人というのは、
その場が誰かに誰かの手で守られている、というのは
自分ごと守られているようで心強いだろう。

それがある、ない、の差は天と地ほど離れているが、

それがお互いに分からないのは、

お互いの世界が違いすぎるからだ。

 

それを羨ましがっていても仕方がない。

悲観するのは簡単だ。

大きな大きなポプラの木も黙って切られたように、

何も言わずに去っていってしまったように。

 

切られたり、奪われたり。

感謝を求めるものほど、目障りでうるさく、

人の心に灯るものほど、こちらが感謝もする前に

気付く前に、いなくなってしまう。

 

 

だから、

その記憶の欠片を宝物にするしかない。