妹とにんじんとお弁当 | 日々のこと

日々のこと

女には2つの頭がある。
ひとつは天に近いほう、もうひとつは土に近いほう。案外、上のほうがいつも役に立たない。

気持ち悪がられる虫がいて、
誰かに押し付けずに引き受けた腐ったものを沈めて
混ぜた先に。
何か豊かなものが実ればいいのに。

とりとめもない考えや思いが浮かんでは消えてゆく。
一行書くととまらなくなるので、また全体を消してしまう。そうこうしてるうちに、10月になりかけじゃないか。アワワ(-ω-;)


私には4つ下の妹がいる。
昔は仲がよかった(仲がいいふりをしていた)妹。


今から6年も昔、私がパンドラの箱を開け、要は開けてはいけない蓋を開け、家族としては縁をきった、とはいえまだ今もなぜかお姉ちゃんをやっている。
二人共に結婚式もあげず、里帰りもせず(帰っても居場所がないんでね(-∀-`; )笑)
…って、どんな姉妹だよ。


とまあ、ちょっと普通の姉妹という関係ではない。言葉では表現しづらいが。


姉妹という間柄であってもとても仲が悪い場合は、親の差し金、ということがよくある。


2人に同じ顔をみせないほうが、その家族の実体を巧妙に隠せるものだ。
実際は兄弟でもかなり扱いが違う場合が多いと思う。
2人に愛情をかけるより、1つの人参を馬の鼻先にぶらさげて取り合いをさせるほうが親は愛され、必要とされ、取り合いになってうれしいのだろう。
いろんな役割分担を担わせ、所有物として扱う。


ルナールの描いた『にんじん』は、まさに我が家そのものだった。
抱きしめられるのも、手をつなげるのも、髪を伸ばせるのも、しゃべりかけるのが許されるのも妹だけ。
被害者妄想じゃない。加害者妄想なのだ。




ずっと、自分だけが悪いことをする悪いやつなんだろう、と。
妹は可愛くていい子だから可愛がられるのだ、と。


なので、ずっと口を閉ざしたままの透明人間だったのだ。



そんな姉妹だからこそ会話をしなければわからないことがある、と知ったのは旧家族をばっさりぶった切って、縁を切ってからだ。
(ちなみに、どのような経緯でパンドラの箱を開けざるを得なかったかは長くなるのでまたの機会に)

家族を辞めて初めてわかること。
互いの理解、見方、視点の相違。
それは理不尽なほどだ。
ふとした会話で判明する。


先週土曜は運動会だったため、月曜日は振替休日で息子も休みで、
日曜日、月曜日と一泊二日で名古屋に住む妹が8ヶ月の赤ん坊を連れて遊びにきた。まあ、息子は小さな赤ん坊のいとこを見るたびに飛び上がっていつも喜ぶ。


「ユウちゃんは宝物やあ。」といつも携帯画像に頬ずりするほど好きだから仕方ない。


そんなこんなで妹と夜、カレーを頬張りつつ野球を見ながら、
私が「最近、やっと野球のルール分かってきたで。ツーストライクまで、ファールもストライクになるって知ってた?」というと

旦那が横で「最近、一緒に野球見るようになったからな」
妹は笑いながら「知ってるよ、そりゃ!私高校野球好きやったし」という。


「マジで!?妹ちゃんって高校野球なんて見てたっけ?」私はびっくりして、その後ふと気づいた。


そう、妹は家で寛ぐことも、テレビを自由に見ることも許されていたのだ。
ドラマもアニメもなんでも「しょうもないもん観るくらいなら手伝いせえ」
と常に母親に背中越しで怒鳴られ、顔色を伺い、緊張しながら死んだように生きてた姉とはちがうのだ。
夜は8時までに寝ろ、と言われるのも私だけで妹は9時過ぎまで起きてテレビ見てたのを思い出した。


それをそのまま話し、現状の母親の話になった。 
妹もまた赤ん坊を産んで、改めて母親のことを思いだしたり考えることがあるらしい。


親のありがたみが分かる、というが、妹は赤ん坊を生んで分かったのは姉のありがたみ、ということだそうだ。

私自身は妹は私のことをずっと「いてもいなくてもどうでもいい存在」と思っているのだろうとばかり思っていた。どうでもいい、いてもいなくてもどうでもいい、というか、そんな感じなんだろうと。

「私の周りで、だいたい姉妹の妹にあたる人は、昔、よくお姉ちゃんに苛められたって言ってる。親の見えんとこで虐められたって。私は虐められた記憶どころかいつも遊んでもらってた記憶しかない。いつもお姉ちゃんの後ろをついていってたし」


私はおそらく5歳くらいから、おむつ替えはもちろん妹の面倒を見るべくこきつかわれ(いや、お手伝いをして?)ていたし、小学校の帰り道だらだらおしゃべりをして帰る、なんてことが許されなかったのだ。単に妹が家で泣いているだろう、と頭をよぎっては焦って帰っていた。母親は持病持ち(ほんとか嘘かわからんが)で、泣いてても放置だったし。いつも小さなうちから、ゴムとびでもなんでも友達に頭下げては幼い妹も加えて一緒に遊んでもらう、という悲しい少女時代だったのだ 笑



妹が、最近よくいうのが
「私、たぶんお母さん死んでも悲しくないんちゃうかな。お母さんがおらんくてもあんまり困らんと思う。お姉ちゃんがいないのは困る」



「今まで他人の母親と比べる機会なんかなかったけど、やっぱり義理のお母さんとかと比べたらうちらのお母さんは何でこんなに何も出来ひんのか、って思い始めたわ」
料理もクソ不味い、洗濯も雑、子育ては完璧というのは本人だけ、という有り様の母親。妹も改めて気付いたのだろう。

段取りが悪い。要領も悪い。要は頭が悪い・・・ちがうな。自分は頭が悪い、どこか欠けてると思って努力する人間ではなく、私は頭がいい、このままでいいと思ってる類というか。


すべて相手を観察し、相手を思いやることなどなく、自分のタイミングや自分の思いを押し付けて終了。おかげで妹は赤ん坊の世話も料理すらも実の母親に頼むことはない。


一方、母親の言い分はこうだ。「あの子は私に台所すら触らせへん。完璧主義のタダの家(タダは地名。父実家のこと)そっくりや。完璧にしな気が済まへんのや。」
母親はいつも自分に原因がなく相手を責めるのが常なおかげで、いつでも自信たっぷりなのだ。


私は「赤ん坊がいて、カンペキに掃除するなんて偉いやん」と母親にそのとき返した。
妹が家にくる2日前、母親と電話で話したときのことだ。(時系列が変だ~ゴメンチャイ・(。>ω<)・゚


そして、
「そんなカンペキに片付けてる妹ちゃんをうちに呼んで大丈夫かなあ_(^^;)ゞ」と冗談めかして笑って話すと母親は
「あんたらが小さい頃は私だって完璧にやってた!」と怒るのである。


私としては、単に「そんなあんたの家も汚くないで」くらいの答えを返事していたが、まあ、無理だな。自分を褒めて欲しいのだ、糞母ほど。


私は噛み合わない会話をしても不毛だ、とそこで母に妹の話をするのは切り上げた。


「私は完璧」だった、そんな自信満々な母親だけに私に対してはいつも命令していた。
ガスはトロ火にしなもったいないとカレーの人参はいつも固く、不味かった。給食のカレーのおいしさに感動した!というのが姉妹揃った意見だ。


「お姉ちゃんのカレーはおいしい。何が違うんやろ」
「手からなんか出てんねん。あいつは。すべての素材をまずくする何かが。人の持ち味も素材もダメにするのだけが得意という」私が笑って話すと「確かに」と妹も笑う。


「ちゃんとスパイスが効いてる。にんじんもおいしい」


夕食のカレーを頬張りながら、ここ最近感じたこと、思ったこと、お互いの率直な意見を交わす。
  


今になって母親は「あんたには酷いことした」という。(本人が自覚あるほどなんだからよっぽどだ)
だが妹は苛めてない分、あの子には何も言われたくない、と言っている。
あの子は私に尽くすべき、と。


私は昔、とことん苛められていたし、家族のゴミ箱役だった。
妹はおそらく可愛がられることで、いい親というレッテルを貼ってもらえたのだろう。自分がすることなすこと何もジャマされないで済んだのだ。姉という盾があったから。
姉妹揃って虐めるのは酷い親がするこだ。


だが、姉だけ虐めていれば、姉だけの根性が曲がっている、で済む。


妹は今になって「気付かなかったことが悔やまれる」という。
お互いの「無意識」をちゃんと「意識化」して、対立させることで相手を発見し、自分も発見する。


私は母親と妹の話をどちらも聞くことで気づくことがあった。
この2人もまた信頼関係があるわけでも、お互いを思いやっているわけではないのだ。


私は妹は私とちがって、母親に好かれているから苛められないんだろう、とずっと思っていた。
そりゃそうだろう。子供ならみんなそう思う。


が、そうではないのだと分かってきた。
仲良し親子、と思っていたが、ここ何年か率直な会話を重ねるたびに母親と妹の距離を感じるのだ。


ずっと今まで仲いいふりをしていただけで、実体はちがうのだ。



妹に前述の母親との会話の話をすると「全然、完璧なんかじゃないで。なんやろな。」
「ずっとあんたとお母さんは仲良いんやと思ってたけど、あんた、ホントはお母さん信頼してないやろ」と言うと「そやな。」と妹がいう。

「あんたには何も言われたくないって言ってたで」
「うん。それ直接電話で言われた。そういやこの前喧嘩になったわ。あんたは秘密主義で冷たいって。母親に対してドライやって」


「で、なんて言い返したん?」と私が聞くと、妹が
「私にそういう態度をとらせてるのは、そうしたんはお母さんやろ、って」



だから、母はあのとき妙に妹に怒っていたのだな、と私はナットクした。



妹と母、は絶妙な距離で保たれていた関係だった。まるで他人のようにお互いを気遣う。
母と父もだ。


それは、姉というゴミ箱役がいて初めて成り立つ「いい家族像」だったわけだ。いい夫婦像でもある。
善人同士の仲のいいふりは、悪人がいて初めて成り立つ。家族だからゴミ扱いしてもいいのだ。



一人の悪口や問題児を抱えることで、周りは結託できるのだ。


父は母をかばい、母は父をかばう。が、お互いの文句はすべて姉に投げつけてすっきり、というわけだ。


それが崩れた今、絶妙な距離があるからこそ妹は姉よりしっかりと成長したのに、
むげに種をまいても抜かれる姉の裏でこっそり、自分という木を成長させ、相手に侵されまい、犯されまいと距離を保っていたのに。


それを真っ向から否定する母親、というのは本当に自覚がないんだな、と改めて思った。
あ、自覚があったら、子供を苛めたりはしないか。

(実際、母と妹の関係どころか、母と父の関係も私というゴミ箱がいなくなり、互いに互いのゴミを投げつけあうので去年の今頃、警察沙汰(暴力沙汰?)になったほどなのだ。笑うしかない。はは)



「姉があのまま死んで、ずっと親の望むいい家族のふりをしていたほうがよかったか?」と聞くと、
そんなことはない。ときっぱりと言う妹だった。


家族がバラバラになっても、姉ちゃんが生きててくれてよかった、と。




********



妹が帰った次の日の朝、5時に起きて息子のお弁当を詰めていた。(給食がなかったので)


いたって普通の弁当だ。
卵焼きよりハンバーグが好き、というので、ハンバーグやらウインナーやら好物ばかり入れてしまう。茶色にならないようにちくわ(これまた好物)にきゅうり詰めて 笑


ゆで卵は黄身が苦手なので、黄身部分をマヨネーズとケチャップであえてまた白身の上にのせておいた。


きゅうりのお花(飾り切りしたやつ)やルッコラも、隙間にぎゅぎゅっと。


割と彩りよくしたつもり。旦那に見せると「すごいキレイやん!」と言ってくれたし。


弁当を詰めながら、昔母親の作った弁当を思い出した。


昨日の残り物、肉じゃがとか適当に詰めた茶色くてみすぼらしい弁当。汁がたれ、いつも隠しながら食べていた悲しい汚らしい弁当。


いつも「ただ詰めていればいいだろ」という態度が弁当にも表れていた。


愛も思いやりもない、ただ親としての「責任を果たしただろ」と言わんばかりの弁当。


妹もそれを隠しながら食べたのか、というとそれは私とはちがう。
妹は頑なに拒否していた。


いつも母親は「あの子は食が細いから」と言っていた痩せて色白だった妹。弁当も一口分。


妹は決して、食が細かったわけではない。おいしいものが食べたかっただけなのだ。友達の家でよく夕飯食べて感動した、と言っていたし。


母親の作る愛情つまったおいしいごはん。


私と同じくそれを一度も食べたことがない妹が果たして、姉とちがって虐められていないから、母親に尽くすべき、と母親はいうが、その答えは保留だ。おそらく、姉のために引き受けることもありうるだろう。そのあたりも率直に話し合う姉妹だからだ。



息子がドラえもん好き、という話からタイムマシンの話になった。


妹は「時間が戻ればいいのに。タイムマシンがあったら、お姉ちゃん悪くないとかばってあげられたのに。私はバカだ」と子供を抱き抱えたままうつむいて言っていた。



家族とは近いようで、遠い。


会話しないと、互いの思いというのは本当によくわからないものだ。



私は確かに子供ころ、妹を大事に思っていたと思う。
母親のことも。父親のことも。


それをあきらめた瞬間、妹も母親とあまりいい関係じゃないことを知ったのだ。
そして、実は妹は母親より姉を、
母親は妹より姉を頼り、依存し、信頼していることを知った。


とても悲しいことだが、それは知らないままのほうがよっぽど悲しいので仕方ないのだ。