スーツはもう着てません。 | 日々のこと

日々のこと

女には2つの頭がある。
ひとつは天に近いほう、もうひとつは土に近いほう。案外、上のほうがいつも役に立たない。

気持ち悪がられる虫がいて、
誰かに押し付けずに引き受けた腐ったものを沈めて
混ぜた先に。
何か豊かなものが実ればいいのに。

今日も、バスにふらふら乗っているとリクルートスーツに身を包んだ女の子を見かけた。



彼女たちは、一様にきっちりとしたスーツに黒い髪をひっ詰めて後ろにくくり
青白い顔でスマホを見ていたり、
きゃっきゃっと同じリクルートスーツで身を包んだ同世代と話していたり。
昔とちがって道に迷うことも減ったんだろうなあ。


スマホはすごい。


誰とでもどこでも繋がっているような気になれるし、
なんでもできる気がするもの。



プロフィールにも書いたが、
おそらく私は200社以上の会社に落っこちてると思う。
リストラは2社。倒産も2社。
そのたびにまあ、いつでも電車にえいっと飛び込んでみようかという気になったものだ。


そして、仕事柄、2000以上の会社に営業に行ったり、契約したり、一緒に仕事したりしているだろう。


失われた10年って言葉が嫌いだ。そもそも誰が何を失ったっていうのか。
バブル世代の仕事の出来なさはすごいぞ。やつらのほうがすべての時間を透明にしている。
いやあ、それはそれは仕事には苦労したと思うが、それは、私の宿命で社会のせいでもなんでもない。(…と思っている)


リクルートスーツは個性を消すものだ。
なのに、面接官はその人となりの個性を見いだそうとする。
そもそもそれが矛盾だっちゅうの。


人はそれぞれ自分の経験や価値観で他人を評価する。
評価するのはいいが「決めつける」。個性ってなんじゃい。
それすらも危うい。


私という人間一人とっても、
お前はダメだ、糞だ、どうしようもないという人(匙を投げる人 笑)もいれば
素晴らしい人だ、よくできる人だ、頼りにしている、という人もいれば
ようはそこは「勝手に」判断されているのであって、いちいち一喜一憂していられない。
(・・・ということが分かるまで、時間がかかり過ぎ 苦笑)


昔、新卒で入った会社(広告代理店)で、
ぼろ雑巾のように使われて、顎関節症で顎が開かなくなり、辞めざるをえない会社があった。
そりゃ、今でいうブラック、っていうか、その当時はブラックではなく「当然」だった。


毎日何十件ものテレアポに始まり、飛び込み営業、
外回りにでれば15分ごとに公衆電話で報告(笑)
当時はまだ携帯もパソコンも普及してなかったからね 笑
公衆電話で報告義務って。笑える。


某新聞の直代理店だったゆえに、毎週締切があり、
まあ、金曜夜、いわゆる花金なんて鬼のように働いてたね・・遠い目(-∀-`; )


セクハラ?パワハラ?当たり前。っていうか、それくらい受けて当然。


「お前、ちゃんとセック●、やってるかあ!?
俺は上司にキレられてむかむかしてたらいつも嫁さんに顔射や!」


・・って、どんな自慢だよ。


締切が無事終わって、立ち飲み屋で一杯ひっかけたときにはほろ酔い上司から「ほっぺにチューせえ!」と命令が下る。わしゃキャバ嬢か。


まあ、今じゃ考えられないような風景だろうさ。ああ。


そうして、十何年も経ったころ、それこそ失われた10年ほど経ったのち
年商30億ほどの企業の広報をやっていた時代に
その代理店のボスクラスが営業にきたのである。
ぼろくそに使っていた、その当事者が。部下を連れて。


もちろん、向こうは私と気付くことなくアポをとってきた。


そのときに、私はもちろん、広告その他すべて窓口だったので
向こうは事務所に入ってびっくり、というわけだ。


そのときに言われたのが
「ほんまに信じられへん・・。お前って、ほんまに大丈夫かな、っていうくらいの人間やったのに。出世したな。」と。
私自身、何も変わっちゃいない。決して根っこは変わっていないと思う。
が、向こうは若い新卒の私をみて、「こいつ大丈夫かな」と思った、のは確からしい。


向こうが言うには、
自分の言葉を理解していないような、そんな感じだった、と。


リクルートスーツをみて、ふとそれを思い出した。


私は、確かに昔、人が何を言っているか分からない、という状態だったと思う。
今は、なぜか人が言葉を発する前に何を言いたいか読めるようになった、らしい。
それは人がそういうのだ。

「何も言わなくても分かってくれる人」とお客さんなり、周りがそう評価してくれる。勝手にそうする。自分ではない。自分は決して自分のことをあんまり分かっていないものらしい。
自分で自分はこういう人間、と決めつけるほど怖いことはない。


人はいつの間にか変わっている。自分もいつの間にか変わっている。
自分への評価も勝手に変わる。


変えたのは他人だろう。
そりゃ、ひと月に何百人がそれぞれ自分の言いたいことを言い、理解したいと思うか、勝手なことを言ってると思うか、でだいぶ違うかもしれないが。


出会いはある種、化学反応なところがある。


どんな職業でも虚栄心があって、それぞれにはびこっている。


人はそれぞれ、勝手なことを言うものだ。



それを前提にすると、
就職活動をする前に、自分がどこを目指すか、何を理想とするかを内省しておかないと、
他人に振り回されることになる。


私はだいぶ、遠回りしてしまった。


だから、リクルートスーツの若者には、心配しないでいいよ、就職できなくても、と言いたくなる。
もちろん、必死だった当初の自分もそう言われたら腹が立ったかもしれない・・が、
やっぱり、就職も
「自分で選んだか」
「他人が選んでくれたか」でだいぶ違ってくる。

しかも自分の市場価値、は「現時点」での市場価値に過ぎず、伸び幅や可能性は、それこそ他人には見えない部分がある。大部分そうだ、といってもいい。
可能性、自分はどうなりたいか。どうありたいか。



それはやっぱりその人自身にしか分からない。
いや、その人すらも「現時点」では見えないかもしれない。



どこでもいいから選んで欲しい、と(←氷河期にありがち)
自分が選んだ、と。ここがいい、と選んだではちがう。


自分で選んだ分には、自分でその荷物をおろしやすいが、
他人、を軸に置いていると、リストラされたとき、倒産したときのダメージがでかい。それだけは言える。


それでも、走っているといつか見えてくる風景もある。



そして、若い私を心配する大人も確かに社会にはいた。


「どこでもいいと、仕事を選んだらあかん。自分が納得してない仕事で稼いだ金はすぐなくなるで。いくら稼いでも一瞬でなくなるから」




結婚とかもそうなんだろうなあ・・
スペックで外堀を埋めるように、不安を消すために結婚した人って行き詰まりそうだもの。



やっぱり、なんでも自分自身に選択権があるのは「自分」のことだけだから。
いくら不安でも自信がなくても迷っても、自分で選ばないと、他人のせいにしたくなるから。