どうも、BOWです。
方言:共通語・標準語とは異なった形で地方的に用いられることば。また、中央の標準的なことばに対して、地方で用いるその地特有のことば(日本国語大辞典)。
生まれ故郷でそのまま仕事をしている人もいれば、高校や大学を卒業後によそに出ている人もいると思います。仕事だけでなく、結婚を機会にふるさとを離れて新しい生活を始める人もいるでしょう。そんな時、自分のアイデンティティをふと考えることがあるのではないでしょうか。「自分は何者か」と考えたときに、裸の自分のポテンシャルが一番問題になるとは思いますが、そんな自分を育てた「ふるさと」も少なからず影響するのではないかと。そんな自分を表す要素の一つが「方言」ではないかと思います。
私が幼い頃、親戚のおばあさん(祖母と同い年)が畑仕事の行き帰りに我が家に寄って、祖母と話をしているのをよく目にしました。話している内容は他愛のないことですが、私の耳にはその「ネイティブ」な方言が心地よく、また強く印象に残っています。明治生まれの彼女たちは幼少時からこの地で暮らし、当時80年近い年月を過ごしてきた方々です。方言の生きたサンプルと言えるでしょう。若い世代は使わなくなった言い回しも多々ありますが、私はそんな「ネイティブ」な表現に惹かれました。独特のイントネーションや言い回し。いわゆる「廃語」とも言える表現。なぜかはわかりませんが、私はその言葉の魅力に例えようもない魅力を感じました。
現在は人の行き来が激しい時代ですから、地域や職場で触れ合う人が必ずしも地元出身とは限らない。我が職場においても同様です。県土面積の狭い我が県においても、地域によってかなり日常語の表現が違う。ガチの方言は封印して、標準語っぽい表現でお互いコミュニケーションをとっているというのが現状だと思います。ただ、ふと思うのが逆に「ガチの方言で話ができるか」ということです。「〜弁」と言われますが、何がしかの話題を自分の生まれ故郷の表現だけを使って喋れますか?
少なくとも、私は自信がない。今までに出会った人の様々なイントネーションや表現が染み付いていて、自分のふるさとの言葉すら覚束ない。
山陰のラジオパーソナリティーで「安来のおじ」という方がいらっしゃいます。出雲弁を使ったトークで人気のある方です。出雲市生まれの家内に「あれは出雲弁としてどうよ?」と聞いたら、ちゃんとした出雲弁で、変な混ざり物(よその地域の表現)もないという。逆に、どうやったらあれだけ純粋な出雲弁が話せるようになるのか不思議だと言っていました。
言葉は生き物ですから、自分が関わる人とのコミュニケーションによって刻々と変わっていきます。普遍的な言葉はありますが、辞書に載らない微妙な言い回しやイントネーションは、その場その場で作り出されていると言っていいでしょう。
自分自身も子供の時は、祖母たちと同じ言葉を使っていたと思うのですが、半世紀以上生きてきて、自分のアイデンティティたる方言がどこか遠くへ行ってしまいそうになっています。「安来のおじ」と同じレベルで地元の言葉を話せない。息子たちはなおさらでしょう。
このまま方言は消え去っていくのかな、とふと寂しさを感じます。



