海のものと、山のものと、小さいひとと。 -149ページ目

目見にえないものを信じる心


海のものと、山のものと、小さいひとと。

 

 私の歯の治療のため2時間程、実家でなおくんを預かってもらいました。帰ると、なおくんはえらくご機嫌で、仏壇の前に座り、数珠を持ってリンを鳴らし、手を合わせ、頭を下げることができるようになっていて、驚きと嬉しさでいっぱいになりました。私が留守の間に母がなおくんに教えてくれたようです。

 

 大阪弁を話す親友は「お墓は大事にしやなあかんよ。有名な神社やお寺にお参りするよりも、ご先祖様のほうが信用できる。だって自分を一番よく知ってくれてるお爺ちゃんや、お婆ちゃんなんやもん、困った時は絶対助けてくれる、間違ってる時は正してくれるって信じられるやん。だから、お墓はいつもきれいにしとかなあかんでぇ。」と言います。私は、なるほどそうだなと思います。


 子どもの頃の私は、目には見えないけれど、ご先祖さまがいつも自分を守ってくれていて、善い行いをすれば善いことが起こり、悪い行いをすれば神様のバチが当たると思っていました。そして、そうしつけられたことに感謝しています。誰も見ていなくても困っている人がいたら親切にする、誰も見ていなくてもポイ捨てしたりしない、そんな当たり前のことが当たり前にできる心、言い方を変えれば、良心の原点がそこにあるような気がします。


 「バチがあたる」という発想。誰も見ていない所でも正しい行動ができるように、そして、悪いことをしないように、自分を律してくれる目に見えない存在に対する畏敬の念のような感性を、この先、子育ての中で我が子にも植え付けていきたいと思うのです。