俺は、子育てに関してはエキスパートである。
学校で学んだ訳でも、保育士の資格がある訳でもないが。
俺の親は、文字通り「団塊の世代」。20世紀の敗戦からの復興、経済成長と時代に歩調を合わせて生きてきた。貧乏人の子沢山の見本みたいな育ちをしたせいか、俺の生みの親の至らなさを親の兄弟姉妹(伯父母、叔父母)が補完する。年上の従兄妹たちも面倒見役を押し付けられたという、要するに、生みの親だけでは子育てが出来ない役立たず、という事になる。
(・・・我が家に限っての事だと思いたい)
当然、まだ育てられる側だったガキの時分から、俺も妹、従弟妹、近所のガキども・・・と世話をされつつ、世話をしなければならなかった。それらの経験が、いざ自分が親になってから役立ったのは言うまでもない。
馬鹿な親を持つと子供は苦労するが、苦労させられた分、賢くもなった。
ある意味、俺は恵まれた環境で育ったのだと思う事にしている。
自分の子が親になる年齢に、俺も達した。
今現在ある生活スタイルの功罪を振り返ってみると、少子化もあるだろうが、大人が子供を子供扱いし過ぎたきらいがある。
子供が、子供扱いされるのは「知識が足りない」「経験が足りない」からである。
生物学的な成長は時間が支配する。放っておいても齢は食う。上記の「知識が足りない」「経験が足りない」まま年寄りになった者たちは、「体は大人、中身は子供」なのである。
繰り返しになるが、俺がラッキーだったのは、出来の悪い両親を反面教師にしつつ、伯父母・従兄姉たちが、俺を「子供扱い」しなかったからである。
(ま、些か世間の常識を外れた感もあったが・・・)
子供扱いされた子供は疎外感を覚えるものだ。
早く大人になりたい、と望むのは当たり前である。だから無茶をする。
当然、痛い思いもすれば、達成の満足感もある。
そんな子供を見守る大人の態度として適切なのは、やりたいようにさせて、必要な知見を与えることである。
そして、一番大事なのは、取り返しのつかない行動をとる前に厳として規制する事である。
子供と同じ視線に立って遊ぶのは楽しいが、やってはならない・してはいけない事に伸ばした子供の手は激しく叩きのめす。
叱られた子供は、驚き、泣き喚き、寄り付きもしなくなるだろう。
(懐かない子供が憎たらしい、と思う瞬間だが、ここで耐えるのが大人である)
「大人になるって、どういう事?」
そう問いかけられたら、俺は次のように返す。
「放っておいても齢は取る。いつまでも子供じゃいられない。面倒見てもらう側から、面倒見る側にならなきゃならん。大人になるってのは、そういうもんだ」
ヤクザ崩れの小指の無い伯父貴に連れ歩かされてたガキの頃から、俺は色々と世間の多くを学んだ。断っておくが、現在の俺は、真っ当、カタギの人間とはいえないが反社会的存在ではない。
時代の景気に押し流される浮き草で、世間の表と裏、両面を眺められる立ち位置にいるが、お節介なくらい俺の成長途中に介入してきた伯父貴に俺が勝てないのは、まだまだ大人になり切れていないからかも知れない。
だが、多分、伯父貴だって自分の流れいく先なんて見えてなかったのだろう。思い出すに、親父には殴られたが、伯父貴には殴られた事はなかった。ま、殴られるような事もしなかったからだが・・・
さて、16歳で他人の子の養親になった俺の子育てであるが、相手は女の子なので荒っぽい躾はしなかった。その代り、口喧しい小姑よろしく、刺々しい小言で嫌味に振る舞う。
娘が嫁に行ったら、当然されるだろう仕打ちだから、小さいうちから耐性をつけさせる為だ。言葉の暴力を切り返す手練手管も同時に教える。
俺「何だ?自分だけオヤツ食べてるのか?気の利かない人間だな」
娘「これ、わたしのだもん」
俺「そういう時は、食べる前に「半分づつ、一緒に食べませんか?」って訊くもんだ。相手が要らないと言ったら、堂々と食べれば良い。後で、一口も分けてくれなかったとか嫌味言ったら、要らないって言ったでしょう?と斬り返せば良い。
ギブ・アンド・テイクの発祥は「誰かに何かをしてもらいたいと思うならば、自分は何をしてやれるかを、まず考えよ(ヘンリー卿)」だ。自分がしている(したい)事を、他人はどう見るのか、思うのか? 相手の先を読んで、先手を打つのが世渡り上手のコツだ。やってる事は同じでも、やり方次第で相手の印象は大きく変わる」
ギブ・アンド・テイクの発祥は「誰かに何かをしてもらいたいと思うならば、自分は何をしてやれるかを、まず考えよ(ヘンリー卿)」だ。自分がしている(したい)事を、他人はどう見るのか、思うのか? 相手の先を読んで、先手を打つのが世渡り上手のコツだ。やってる事は同じでも、やり方次第で相手の印象は大きく変わる」
と、こんな具合だ。
俺は、アンチゆとり教育の信奉者だ。
何でもかんでも詰め込めるのは若いうちだけ。己に詰め込んだものをジックリと吟味して整理するのは年老いてからで良い。
俺の教育は、かなり理屈っぽいが、薄っぺらな理論武装(理性)では、突発的な感情に勝てない。その場の勢いで険悪な状況に陥って、後で後悔し切り・・・なんてのは枚挙に暇がない。だから、俺が教えた事の100に1でも頭に残っていれば上出来。
俺なりの結論だが、大人になるってのは、
「汗を流し、血を流し、涙を流して己の身に付けた知識と経験を、次の世代、世の人々へと広めていく」
って事だと思う。自分が中心にあっても、それを取り巻く他人がいてこそ、って事を常に肝に銘ずる事。「情けは人の為ならず」とは、こういう時に使う喩えだ。
さて、今さら、こんな覚書をしたのは、他でもない。
娘の結婚式で、父親のスピーチに何を言おうか? と思案しつつ、自分が育ってきた経緯、育ててきた経緯を振り返ってみただけである。
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君は、覚えているだろうか?
無知で残酷だが、無邪気だった子供の頃を。
無限の可能性と未来に、胸躍らせた頃を。
しかし、思春期を迎えた辺りから生意気になり、都合の良い時だけ子供を装う。
(そんな時に限って、親馬鹿が顔を覗かせる。我ながら情けない・・・)
現実との戦いに否応もなく日々を消費する世の大半の大人は、子供の頃に描いていた大きな夢をいつしか忘れ去り、諦めてしまうもの。
「大きくなると小さくなる物、な~んだ?」
そんなクイズがあった。
答えは「洋服」だが、「夢」と答えて、ほろ苦い感傷に浸るようになると齢を食った証拠である。
答えは「洋服」だが、「夢」と答えて、ほろ苦い感傷に浸るようになると齢を食った証拠である。
20数年前、日増しに成長していく君を愛しく思いながら、「幼稚だろうが、無邪気だろうが、子供の頃の夢を忘れない大人になれ」と念じた俺も、まだ10代後半のガキだった。
当時、何の気紛れからか楽器のキーボードの練習を始めた俺の真似をして、横から伸ばした小さな手で出鱈目に鍵盤を叩いてた君だったが、今じゃ立派にピアノを弾きこなす(無名だが)プロになった。
同じく子供の頃、絵描きになりたかった俺は、絵描きじゃ食っていかれないヘボであるが、君もピアノだけじゃ食っていかれないかも知れない。
それでも良い。自分の好きな事、やりたい事やって生きられるなら幸せであろう。
いつまで経っても、うだつの上がらない父親で面目ないが、不遇な境遇であっても捻くれる事もなく、伸び伸びと屈託なく育ってくれた君には感謝する。
我が最愛の娘よ、結婚おめでとう。
婿殿、嫁に苦労させるのは構わんが、泣かせたら容赦しないからな。
(うれし泣きは除く)
(うれし泣きは除く)
娘を嫁にやる父親の寂しさってヤツも味わえたし、次は孫だな。君たちが嫉妬するくらい溺愛してやるから、覚悟しとけよ。(笑
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俺のスピーチなんて、こんなもんで良いよな?
・・・しかし、何でこんな歳の瀬の忙しい(金の無い)時期に?
これだから「A型は、計画性がない。かなり自己中」って言われるんだぞ!?
(と、思い返せば俺の結婚式も、12月半ばだったが・・・それは、それ。色々と・・・)
結局、子育てに正解はない。子供が日々、成長していくように、大人だって成長(老成)していくのである。
昨日の常識が、明日は通じなくなっても、立ち止まる事は許されない。
明日は、明日の風が吹く。
しぶとく、逞しく生き抜いていくしかない。
それは、子供であろうと、大人であろうと等しく課せられた使命である。
我語りて、我あり
汝語りて、汝あり
皆が語りて、世をなす
ま、何でも良いや。うれしいやら、戸惑いやら・・・とにかく、エライこっちゃ!


