100%モネ 『モネ 連作の情景』 | Thanks cherish now ♡

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(●´ω`●)ゞ




年が明けてすぐ、今年

最初に出掛けた展覧会は モネでした





今回は『 連作の情景 』と 題して


1874年に 第1回印象派展が開催されてから

今年、150年の節目を迎えることを記念して

東京と大阪を会場に、国内外のモネの代表作

60点以上を集めた催しです

( 山形美術館からも 数点来てましたヨォ )



モネの代名詞でもある <積みわら>  

<睡蓮> などをモティーフとした

「連作」に焦点を当てています!



連作というのは、季節や時間など変え

同じ場所の風景を 何度も描くわけです


当たり前ながら、同じ場所でも

季節や時間などが違っていれば

そのときの、色や光の具合も違うわけですが

モネは、こういう移ろいゆく時間の中の

一瞬の切り取りを描くのが 得意ですものね


《 ジヴェルニーの積みわら 》


《 積みわら 》



ですが、この度

個人的に一番楽しめたのはー、


印象派の代名詞のような存在のモネですが

彼の、印象派以前の作品でした⿻*.·




下の絵は、日本初公開の《 昼食 》です


モネがこんな絵を描くの?と思いますよね

とても大きな絵で、暗い色合いの人物画です


テーブルの向こう側に座っているのは

1870年にモネの妻になるカミーユと

息子のジャンです


画面の左側に描かれている訪問客の女性は

窓にもたれかかっていて、画面の奥で

メイドが食器棚の扉を開けています


手前の椅子は、モネの座るところです



実はこの絵が
モネにとって大きな転機となります

自信のあった大作であったにも関わらず
サロン(宮展)で落選するんですね
それ以降、サロンへの出展をやめ
今後の印象派への道を歩いてゆくことに、、

なので、この《 昼食 》は
そのきっかけとなった絵と言えるでしょう



下の絵たちは、印象派の時代よりも
前の時代とされている絵ですが
個人的に好きなものを、並べてみますね


《 サン・タドレスの小屋 》


《 ルーヴル河畔 》


《 オランダの船、ザーンダム近郊 》


《 ザーン川の岸辺の家々 》




さて、ここからは

印象派と呼ばれる頃の、初期の絵の一部です


モネは、1871年末から パリ北西の 

アルジャントゥイユで暮らし始めます


《 花咲く林檎の樹 》

モナコ王宮コレクションより


《 アルジャントゥイユの雪 》

ジュネーヴ美術歴史博物館より


雪も、水辺と同じように反射して

光を映し出すことから、この題材に対しても

モネは積極的に取り組みます


白い雪の上に映える

繊細な光の効果を追求したのです


《 ヴェトゥイユの教会 》

スコットランド・ナショナル・ギャラリーより


《 ヴェトゥイユ 》

グラスゴー・ライフ・ミュージアムより


《 ヴェトゥイユの春 》

ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館より


《 ヴェルノンの教会の眺め 》

吉野石膏コレクション( 山形美術館に寄託 )


山形びいきなので 笑(*´艸`)

吉野石膏さん、いいの持ってるんですよねー。


《 海辺の船 》

東京富士美術館より


《 ヴァランジュヴィルの教会と 

    レ・ムーティエの渓谷 》 

コロンバス美術館より


《 ラ・マンヌボルト(エトルタ)》

ニューヨーク、メトロポリタン美術館より


《 ヴェンティミーリアの眺め 》

グラスゴー・ライフ・ミュージアムより


《 薔薇の中の家 》

アムステルダム市立美術館より



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ここからは、、モネの、ちと奇妙な

びっくりする家族生活のお話です!笑



モネ自身は

典型的な中産階級の家庭に育ち

芸術的な面は 母親から譲り受けました


良き理解者だった母を 16歳のときに亡くし

海が大好きだった母の影響は

大きかったようです



モネには、カミーユという妻がいました

二人は、父には結婚を反対されましたが

数年を経て 正式に結婚します


経済的に苦労した時期も、戦争も乗り越え

二人の男の子にも恵まれ

静穏で幸せな時を過ごしましたが

妻は、32歳の若さで病没してしまいます


理想であったミューズを失った打撃は大きく 

モネは打ちのめされます


そうしたモネを支えるべく

アリスという女性が登場するのですが、、



えーと。

ちょっと待ってくださいよ?笑

カミーユが生きている頃まで

時系列を遡ります、、、



まず、アリスというのは

モネのパトロンである

エルネスト・オシュデの妻でした


オシュデは、百貨店経営者の実業家で

印象派のコレクターでしたので

モネは、この人がいたから

絵で生活できていました、ということです


勿論ほかにも

絵を購入してくれる人物はいましたが

オシュデが、モネにとって最大の

パトロンであったことは間違いないようです



ところが不景気により

この、オシュデが 破産するんですね


ここで、あまり聞いたことのない

奇妙な同居生活が始まります!




オシュデは、家族を残し

単身 パリに出稼ぎに行きます


オシュデの妻であるアリスと、その子供達6人

そこにモネ夫婦と、その子供2人が

一緒に暮らすんです


オシュデが、パリで

そろそろ こっちにおいで〜と

呼び寄せるのですが、それをアリスが断ります


理由は、モネのことが好きだったアリス

モネの奥さんのカミーユが、その頃

病気で伏せっていたこともあり


病床のカミーユの世話もあるし

女手は 私しかいないんだから、モネと

8人の子供の世話もしなきゃならないから!

とな


パリからオシュデが、アリスに会いに

帰ってくる時は、モネが家をあける

ということが繰り返されていましたし

一番下の子供は、モネとの子では?

と噂されたりもして、、


モネの妻、カミーユが亡くなった後も

アリスは モネと子供達と一緒に暮らし

1891年、パリで 夫のオシュデを看取ります


その翌年 1892年の夏に

アリスは モネと結婚します


そして、1911年 

アリスが亡くなると、、モネは再び

悲嘆に暮れて 創作が困難になります



ところで同居してる子供達だって

それぞれ好きになったりするのでは?


ということでー、

モネの長男である ジャンが

同居している オシュデ家の次女ブランシュ

と結婚しています


モネの最晩年ですが、長男のジャンは亡くなり

その妻のブランシュがモネの世話した、

とあります


ここまでの、モネの画業を 

献身的に支えた女性たちの存在を

ここまで詳しくは、、、知らなかった私です


そういう意味でも、100%モネ!でした◡̈⃝




ここまで、長いのを読んで下さり

ありがとうございました♡ (❁ᴗ͈ˬᴗ͈) ’’


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