『佐伯祐三 自画像としての風景』 | Thanks cherish now ♡

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(●´ω`●)ゞ



今回は長いので、お時間のある時にでもー。

( お借りした画像と、スマホ撮影画像で

    書いていきたいと思います◡̈⃝ )


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『 佐伯祐三    自画像としての風景 』


丸の内 北口改札を出て、入り口

『 東京ステーションギャラリー 』にて

開催中です


東京ステーションギャラリーは

1988年、駅を単なる通過点ではなく

香り高い 文化の場の提供を目指して

東京駅丸の内駅舎内に誕生した 美術館です




外目からは、ほぼわからない

なんとも言えない重厚感があります


館内に足を踏み入れると、自然と

この煉瓦造りの壁に 目が行きます




煉瓦の壁の、所々に 

黒い部分があるでしょう?


この部分は、木の煉瓦なのです


1945年5月25日

東京大空襲で、駅舎が爆撃を受け、

その際、木のブロック部分である煉瓦が炭化し

黒く残ったものなのです



下の、案内のしおりが、この木の煉瓦と

同じ大きさになっているんですねー。




さて今回は、大阪中之島美術館が所蔵する

国内最大の 佐伯祐三コレクションを核に、

全国の美術館、個人所蔵家から集めた代表作

100余点を一堂に展示し、

東京では18年振り、本格的な回顧展となります





今からおよそ100年前

「大阪」「東京」「パリ」の3つの街に生き

短くも鮮烈な生涯を終えた画家、佐伯祐三

(1898 – 1928)


1924年に初めてパリに渡ってから

わずか4年余りの 本格的画業の中で

都市の風景を題材とし 独自の様式に達します


特に、一時帰国を挟んだ後の

2回目の渡仏期に到達したパリ風景は

画家の代名詞とされ、その比類ない個性は 

今でも、多くの人を魅了し続けています


と、前置きがあるんですね





まずは、この方、とても優秀だったそうで

お寺の息子さんだったのですが

お金持ちで、何不自由ない暮らし、、と


絵は 学生の頃から

何を描かせても上手いと評判です

学校課題で、同級生達を驚嘆させる技量があり

主席で卒業すると言った具合です


奥さまは、これまたお金持ちの

貿易商の娘さんを貰い、一人娘も生まれます



これは、日本にいる頃に描いた

下落合風景画です、新宿あたりにあります


結婚してから住んでいた 下落合は

彼のお気に入りの風景となり

何枚も 下落合を描いているんですね




1898年に大阪で生まれた佐伯祐三は

25歳で東京美術学校を卒業し

その年のうちに パリに向かいます


《  パリ遠望  》


この絵は、

最初の渡仏のときに描かれています


実家である 大阪の光徳寺の援助により

妻子と共に渡仏するという 恵まれたもので、、

セザンヌの影響を強く受けているのが

分かりますよね



ちなみに、下の絵は

セザンヌが描いた プロヴァンスの山です


( 参考 セザンヌ )


1924年のこと、友人に同行し

フォーヴィスムの画家 ヴラマンクを訪問し

当時、自信のあった裸婦の絵を見せるんです


そこで「このアカデミック!」と

ヴラマンクから怒声を浴びます


アカデミックとは

手堅いが、古臭いと言う意味で

生命感がないと批判されます


それが、よほどショックだった様子で

その後に描いた自画像が、有名なコチラ




顔が削り取られています

なんとまあ、分かりやすい!


この、ヴラマンクとの出会いが

佐伯を 覚醒させることとなるのです



彼がこの日、どれくらい落ち込んでいたか

分かるエピソードがあります


叱られたこの日に、佐伯は

ゴッホが没した部屋に わざわざ宿泊しています


うーむ、ショック過ぎて

きっと何かに 浸りたかったんでしょうね^_^;

そして翌日、ゴッホ兄弟のお墓にお参りをし

自画像の制作に 没頭してゆくのです




ところで、、ね

そんなにはっきり言う ヴラマンクって

どんな感じの方なの?と 思うでしょう?




いや、もう、絶対はっきり言う人やん! 

なりますよね 笑


私は ヴラマンクの絵、わりと好きですヨ


どこか、、荒々しさが見えますが

型にはまらない強さがあり

なんとも言えない ブルーを

表現したりもするんですよね


本能の画家、なんて呼ばれたりします

ヴラマンクを 2枚ほど 貼ってみます!




( 参考 ヴラマンク )



同年の秋に、佐伯は再びヴラマンクを訪ね

絵を見せているんですね


そのときに、ヴラマンクから

「 物質感はナマクラだが、優れた色彩家だ 」

と褒め言葉を貰ったそうです


きっと 嬉しかったでしょうね〜。

なるほど、、絵も

ブラマンク化してますね 笑




2年間の最初のパリ滞在中に

ゴッホ、ユトリロなどからも影響を受け

佐伯の作品は、大きな変貌を遂げていきます


《  パリ15区街  》


このあたりは、ユトリロの影響でしょう


佐伯は 友人への手紙で

「ユトリロがすっかり好きになってしまった」

と、1925年6月に伝えています




ウヒヒ♡ 笑(*´艸`)

大好きなユトリロの絵は もう少し明るいです



( 参考 ユトリロ   パリ13区 )



1年半の一時帰国を経て、再渡欧したのは 

1927年のことです

このとき佐伯は 29歳になっていました


パリに戻った佐伯は 

何かに憑かれたかのように

猛烈な勢いで制作を続け、、

結核が悪化し、精神的にも追い詰められます

そして1年後、パリ郊外の病院で亡くなります



佐伯は 早描きで有名でした

午前中に1枚、午後に1枚描いたそうです

日に3枚描いたときもあったそうですから

その集中力には 

かなりの体力を使ったことでしょう


ゴッホもかなりの早描きでしたので

そういう点では、憧れのゴッホと同じように

病を押して、命を削って描いた絵と

言えるのでしょう



《  コルドヌリ (靴屋)》


初期の頃、、この靴屋の壁の文字は

文字は一語一語、丁寧に描かれています



後期はどうでしょう

文字が だんだんと 踊り始めますよ〜。


《  ガス灯と広告  》


《  広告 ヴェルダン 》



《  レストラン (オテル・デュ・マルシェ) 》


文字もそうですが、テーブルの脚や椅子なども

踊ってるような線になりましたよね


《 テラスの広告 》


踊り過ぎの感が、、しないでも 笑




佐伯が亡くなる、5ヶ月前のことです


1928年の3月、小雨の中での制作がもとで 

風邪をこじらせ 自宅で臥せっていたところ

真っ白な髭をたくわえた 郵便配達夫が現れます




偶然に訪れた この郵便配達人に

佐伯は 制作意欲を掻き立てられ

後日、モデルになって貰うことを約束します



このとき、ちょうど外に出ていた奥さんが

自宅の前で 郵便配達人とすれ違うのです


ピンと来て、絵のモデルにどうかと

佐伯に話すと、、

たった今、彼にモデルの依頼をしてから

帰って貰った、と言うではありませんか


のちに、奥さんは、このことを

あれは神様だったのではないか、と

語っているそうです


なぜなら、郵便の配達って区域ごとに

いつも同じ人が配達するでしょうに

その人は、そのとき一度だけで

二度と会うことがなかったのだとか


《  郵便配達夫  》



最後に、この扉の絵は

いわゆる、絶筆と言われるものです

この扉を最後に

佐伯は どんな想いだったのでしょう


入り口の扉のみを クローズアップして

木製の扉なのに、とても重厚な

重い重い扉に見えますね


この扉の手前に立ち、

よく見ると 少し扉が開いています

それが何を意味するのか、、

分かるような

やっぱり、わからないような ←おいw




絵画に向き合ったとき、その画家の内面や

その時の精神状態など、私なりには一応

慮りますが、、やっぱりそれは

本人しかわからないよね? ですよね


私にとっては、、ですが

この絵たちを ずっと見ていたいとか

いつまでも見ていられる絵とか

そんなふうではなかったにしろ

( ま、個人の趣向ですから^_^; )


生き急いだ画家の 圧倒的な力強さというか

ゴッホにも似たそれを

私も感じることが出来た事と、、

この会場がまた、ね

佐伯祐三美術館じゃないだろうか?

というくらい 絵と空間が合っていたんですよ


お借りした画像ですが、こんな感じです





出展数も多く、これだけの数を見るのに

時間が足りなかったくらい

パリの街角にいるんじゃないかしら

ってくらい 笑

見てよかったナァと思える 企画展でした


皆さまも、機会があれば 是非どうぞ♡




皆さま、ここまで 長い記事を

読んで下さり ありがとうございました♡



このブログを始めたのが

2013年の2月なので

2023年の今月で、ちょうど10年になります


とりあえずは、自分の中で無事に

10周年一区切りとして迎えられました

皆さまのお蔭です(*´∨`*)

ありがとうございます♡


これから一段と

マイペースっぷりが加速しましてw

更新も、お伺いも

「 おい!」 って 言われるような

ペースになるかもしれませんが


皆さまもゆるりと マイペースで、ね♡


なんとなくぅ、居るねw 来るねw

ANNA SUIのピンクのアイコン

なんて程でもいいので 宜しくお願いします♡

(●´ω`●)ゞ




失礼して、コチラでお礼を*࿐

卯月 花さん◡̈♡

『 おばあさまと娘さん 』

リブログを ありがとうございましたꕤ*.゚


花さんのところから飛んで

読んで下さった皆様方にも お礼を〜。

ありがとうございますꕤ*.゚


花さん♡

いつもお気遣い頂き ありがとです(❁´3`❁)



✼••┈┈┈┈•✼•┈┈┈┈•✼•┈┈┈┈••✼



皆さまも、いつもこちらにも 

ありがとうございますꕤ*.゚


いいね、いいねの再度押し

過去記事への足跡、フォロー

メッセージなど頂きまして

ありがとうございましたꕤ*.゚


また、いつも

過去記事を辿って下さる方へお礼を

ありがとうございます(*´˘`*)♡




ようやく 春ですね⿻*.·


今年は、楽しみな美術展が多いんですよ

エゴン・シーレ

モネ、ゴーガン、マティス

秋には デイヴィッド・ホックニーも


去年は足の怪我もあり、行けなかったので

今年はね、行けると良いのですがー。


あまり楽しみにすると

ダメになる傾向なので^_^; ←

自分で自分に知らんぷりしてw  

楽しみにしよ〜っと 笑


みんなみんな、日々色々あるけれど

健やかに暮らせますよう、そう願っています♡

ついでに私も、健やかだといいナァ

ってね、笑



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