わが国の民俗学の創始者である柳田國男は、「妹の力(いものちから)」という論文で、以下のように書いています。

注:「妹(いも)」とは、現代の生物学的にいう狭義の妹ではなく、母、姉妹、伯母や従姉妹等の同族の女性、妻、側室、恋人など、近しい関係にある女性への呼称です。

「祭祀祈祷の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとく婦人の管轄であった。巫(かんなぎ)はこの民族にあっては原則として女性であった。後代は家筋により、また神の指定にしたがって、かれらの一小部分のみが神役に従事し、その他はみな凡庸をもって目されたが、以前は家々の婦女は必ず神に仕え、ただその中の最もさかしき者が、最もすぐれたる巫女であったものらしい。国の神は一つ以前には地方の神であり、さらにさかのぼれば家々の神であったのみならず、現在に至っても、家にはなお専属の神があって、季節もしくは臨時に祭られているのを見ると、久しきにわたって、この職分は重要であった。そうして最初この任務が、特に婦人に適すと考えられた理由は、その感動しやすい習性が、事件あるごとに群衆の中において、いち早く異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあるのであろう。」(妹の力)

この論文で柳田は、古代日本において、女性は祭祀をつかさどる巫女であり、近親者や配偶者となった男性に、その霊力を分かち与えることにより加護を与える存在であったことを、民俗学的方法を駆使して明らかにします。

そして、女性たちが持つこのような霊的な力を、「妹の力」と名付けました。たとえば、田植えは女性の仕事でした。稲がみのるには、女性の霊的な力と献身を必要としたというのです。

古事記や日本書紀には、スセリヒメやヤマトヒメなど、「妹の力」に関する記述が数多く見られます。彼女達はみな高い霊力を持ち、その霊力で身近な男性達を守ったとされています。

これは、今でもいくらか残っており、先の大戦のころも、母親や姉妹など近親の女性から髪などを受け取って出征した兵士が多かったといわれます。諸説はありますが、自分の妻を、今でも「カミサン」ということなど、その名残りでしょう。

あまみ

ところで、古代日本から連綿と受け継がれてきた「妹の力」に対する民俗信仰を、今でも、もっとも根強く残しているのが、鹿児島県の奄美群島地方なのです。

奄美には、本土では既に失われた奈良・平安時代に由来する民俗・風習が、今もたくさん残っています。とりわけ、奄美の信仰は基本的に神道であり、これにノロ(神女)やユタ(民間巫者)などの民俗信仰が交じり、仏教の影響をほとんど受けていません。

一説によればその信仰は、神歌と共に、12世紀に来島した平家の落武者(おちむしゃ)たちによってもたらされたものとされています。

まさに奄美は、原日本の生きた貯蔵庫のような島なのです。

その奄美に、『姉妹神(ウナリガミ)信仰』というものがあります。

ウナリ神信仰とは、端的に言うと、「女(姉妹)の霊力が男(兄弟)を護る」というもので、まさに柳田國男のいう「妹の力」信仰そのものといえます。

奄美では、男性は旅に出るときは、母親や姉妹の髪など、近親の女性が身につけていたものをお守りとして持ちました。漁師たちも、漁船の守護神としてまつる船霊(ふなだま)として、女性の髪の毛を船に安置しました。(この風習は、本土の漁民の間でも残っています。)

また奄美のシマ唄は、女性の音階あわせて、男性が声を高めて歌います。沖縄民謡が、男性の音階に合わせて、女性が声を低めて歌うのと対照的です。

ウナリ(姉妹)を大切にすると、ウナリ(姉妹)神の加護が得られるので、奄美には、何ごとにつけても女性を大切にする風土があります。たとえば、父母(ちち・はは)のことを、奄美では必ず「あんま」(お母さん)と「じゅう」(お父さん)というように、母を先にして呼びます。

前置きは以上にして、ここで奄美民謡の重要な柱である神歌を聴いてみましょう。

曲名は『上(あ)がる陽(ゆ)ぬ春加那(はるかな)』、歌い手は、奄美民謡の名手、中村瑞希さんです。



歌詞:
上がる陽(ゆ)ぬ 春加那(はるかな)や 
何処ぬ村ぬ稲加那志(いなかなし)
(朝日のように神々しい春加那(はるかな)は、どこの村の稲の神様でしょうか)

うま見ちゃめ きくじょがね でいきょ くまよし
(彼女を一目拝みましたか さあ見に行きましょう)

春加那(はるかな)は神話上の女神です。奄美民謡の唄者である西和美さんの解説(『西和美公式ホームページ』「かずみの島唄解説」)によると、この唄は、ノロ神様たちの儀式のあと、神様に捧げた御神酒やご馳走を神様と一緒に食べたり飲んだりする直来(なおらい)の席でよく歌われた唄だそうです。もともと太鼓だけで、女性たちの場でのみ歌われたといいます。

神様の世界から女神が人間世界へ稲魂(いなだま)を持ってやってくる、という神話を唄にしたもので、「あがる」は「あがれ」で、奄美では方位の「東」のことであり、日が昇る東の方位は、古来から聖なる場所とされました。

なおノロというのは、奄美の信仰における女司祭(神官)のことで、琉球が奄美を支配した時代は、公的な存在として、各集落の祭祀を管理しました。人々はノロのことを、神の代弁者として尊び、「ノロ神様」と呼びました。

中村瑞希さんの歌うこの唄を聴くと、金色に輝く日の光が燦々と降りそそぐ中、女神が稲魂(種)を持って、天から降臨してくる情景が目に浮かぶようです。

奄美民謡独特の裏声を使った歌唱法(節回し)であるグインが、一層歌の持つ神々しさを増幅します。

この歌だけでなく、奄美民謡の歌詞には神様と関わるものが多く、私自身聴いているだけで、普通の歌を聴くのと異なる、なんとも不思議な感覚につつまれることがあります。

まして、奄美のシマ唄の歌い手、特に女性は、このような唄を繰り返し歌っているうちに、知らず知らずのうちに、ノロやユタのような、神と人をつなぐ巫女的資質を自然に備えてしまうのではないかという気がします。

確かに、朝崎郁恵さんや元ちとせさん、また最近話題となっている城南海(きずきみなみ)さんなど、奄美民謡出身の女性歌手たちは、歌の言葉の一つ一つに、圧倒的ともいえる言霊(ことだま)が宿っていて、「唄の呪力」ともいうべき、人間離れした力を感じさせます。

特に、城南海さんなど、あれだけの楽曲への没入状態は、普通の感情移入だけでは成し得ないものだと思います。これは憶測ですが、彼女は巫女的な資質を持っているのではないでしょうか。

彼女は、インタビューで次のように語っています。

城南海:奄美のシマ唄は、神様の言葉を代弁する存在がいて、その人たちの言葉が残って唄になってるんです。 先日、奄美出身の朝崎郁恵さんから「あなたは神の言葉を歌っているんだから、絶対に神様はあなたを良い方向に導いてくれる。だからずっと歌い続けなさいよ。 奄美のシマ唄は本当に貴重な財産だから、絶対に残していかなきゃいけない。自分が江戸時代に生きていたおばあちゃんから教えてもらったことを、今度は私があなたたちに教える番だから」と、おっしゃっていただきました。(城南海 『綾蝶~アヤハブラ~』インタビュー http://www.billboard-japan.com/special/detail/867) 



錯覚かもしれませんが、私は彼女の歌に、彼女を「寄(よ)り坐(ま)し」にして、なにか神霊的なものが降臨しているかのような、神がかり的な気配を感じるときがあります。

しかも彼女は、何者かに憑依されたように曲に深く没入しながらも、同時にその自分を外から見つめる冷めた目を持っていて、歌への圧倒的な没入と絶妙なコントロールが両立しているという、ありえないことが実現できているのには、心底驚かされます。

私見ですが、彼女は数十年に一人出るかどうかの才能を持った歌い手さんだと思います。

一方、中村瑞希さんは、城南海さんとは、大分趣きを異にするように感じます。

彼女の歌は重心が低くどっしりしていて、ある意味冷めています。歌声に硬質で金属的な響きがあり、強靭な力を秘めていますが、それをことさら感じさせることなく、聴く人の耳に歌がすっと入ってきます。

感情的でエキセントリックなところはどこにも見当たらず、当たり前のように歌が進行しますが、よく聴いてみると、モノクロームのような落ち着いたトーンの中に、無限の色彩と深みが感じられます。

人柄や言動も至って普通の人のようで、巫女的というか神がかったところは、ほとんど感じさせません。



しかし歌い始めると、大地に根ざした大木の根っ子を思わせる安定感と、歌の背後に深々とした奥行きがかもし出されます。

天に響きわたる歌ではなく、地に響きわたる歌。

それは、あたかも大地母神がのり移ったかのような、すべてを包みこむ歌の世界とでもいえるでしょうか。

その意味で、中村瑞希さんも十分巫女的といえるのかもしれません。

ただし彼女の場合、降りてくるのは天空の天津神(あまつかみ)ではなく、大地に根ざした国津神(くにつかみ)という感じがします。大地母神という表現が一番似合っていると思います。

民俗学者谷川健一は、「古代歌謡と南島歌謡(春風社)」に以下のように書いています。

「言葉の呪力は幸不幸の双方にかかわるものであり、言霊が不幸をもたらすという考えの方が本来は、はるかに強烈であった。(中略)この言葉の呪力をもって、巫女が味方の軍の先頭に立ち敵を調伏させる役割を果たしたことは、琉球の歴史にしばしば見かける事実である。」

これは琉球だけでなく、奄美も巫女(ノロとユタ)の力が非常に強く、同じような状況でした。

このように、奄美には唄や言葉の力に対する言霊信仰が根強くあり、それを操り、人々の幸不幸を担ってきたのが巫女(ノロとユタ)だったのです。

こうしてみると、やはり、奄美民謡出身の歌手たちの持つ圧倒的な唄の力の秘密は、ノロ(神女)やユタ(民間巫者)の歌う神歌をその中心に持つという奄美民謡の特殊性にあるという気がします。

奄美のシマ唄に色濃く残る『姉妹神(ウナリガミ)信仰』については、自分自身、いにしえの日本を探る鍵になるという予感があり、またの機会に詳しく書いてみたいと思います。