今回とり上げる歌は、前回同様、大伴家持(おおとものやかもち)が越中国(えっちゅうのくに = 富山県から能登半島を含む北国一帯の地域)に、国司(くにのつかさ)として赴任していたときに詠まれたものです。

時期は、家持が越中に赴任した翌年の天平(てんぴょう)19年(西暦747年)春の2月20日。家持30歳のときです。

歌の題詞 に「忽(たちま)ちに枉疾(おうしつ)に沈み、殆(ほとほと)に泉路(せんろ:黄泉へのみち/死出の旅路)に臨(のぞ)めり。仍(よ)りて歌詞(かし)を作りて、以(も)ちて悲緒(ひしょ)を申べたる一首并(あわ)せて短歌」とありますので、突然たちの悪い病(やまい)に侵(おか)され、もう少しで死ぬところまでいったとき、死を覚悟して詠まれた歌ということです。

 
 

大君(おおきみ)の 任(ま)けのまにまに 
大夫(ますらお)の 心振(こころふ)り起(おこ)し 
あしひきの 山坂越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下り来(き) 
息だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いくらもあらぬに 
うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏し 
痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる 
たらちねの 母の命(みこと)の 大船の ゆくらゆくらに 
下恋(したごい)に いつかも来むと 待たすらむ 心寂(こころさぶ)しく 
はしきよし 妻の命(みこと)も 明けくれば 門(かど)に寄り立ち 

衣手(ころもで)を 折り返しつつ 
夕されば 床打(とこう)ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 
妹も兄(せ)も 若き子どもは をちこちに 騒き泣くらむ 
玉桙(たまぼこ)の 道をた遠(どお)み 間使(まづかい)も 遺(や)るよしもなし 
思(おも)ほしき 言伝(ことづ)て遣(や)らず 恋ふるにし 心は燃えぬ 
たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに 
かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆き伏せらむ
 (万葉集巻十八 3962)

【語釈】 ○大夫(ますらお):りっぱな男子。 うち靡(なび)き「あしひきの」「うつせみの」「たらちねの」「はしきよし」「ぬばたまの」「玉桙(たまぼこ)の」「たまきはる」:いずれも枕詞(まくらことば)。特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添えたり、印象を深めたりする言葉のこと。一首全体に対しても、気分的・象徴的に、または声調上・構成上に微妙な表現効果をもたらす働きがある。 ○鄙(ひな):都から遠く離れた、開けていない所。地方。田舎。 ○うち靡(なび)く:横に倒れ伏す。 ○日に異(け)に:日増しに。日が変わるたびに。 ○下恋(したごい):心の中でひそかに恋い慕うこと。 ○衣手(ころもで)を折り返し:当時、衣手(=袖)を折り返して寝ると、夢の中で恋人に逢えると信じられていた。○をちこちに:あちらこちらと。 ○間使(まづかい):消息などを伝えるために、人と人との間を行き来する使者。○思(おも)ほし:願わしい。望ましい。心に思っているさま。○荒(あら)し男(を):たけだけしく勇壮な男。勇ましい男。

【大意】

大君(おおきみ)より任務を命じられて、

“ますらお(=勇気のある男)”として心を奮い起こし、
いくつもの山や坂を越え、都から遠く離れた鄙(ひな)びた田舎に下りて来た。
そして、息をつく間もなく、いまだ休むこともなく、務めに励んできた。
それから年月はいくらも経っていないのに、はかない世の生身の人間ゆえに、
病でぐったりと床に伏すこととなった。苦痛は日を追うごとに、いっそう激しさを増しつつある。
薄れる意識の中で、大船のゆらゆらと揺れるように、
心落ち着かず私のことを心配している、愛しい母上の姿が脳裏に浮かぶ。
母上はいつ帰ってくるかと心待ちにされ、さぞかし寂しがっておられるでしょう。
ああ、愛(いと)しいわが妻も、夜が明ければ門に寄り立って、
夢の中で私に逢えるようにと、袖を折り返し、
夕方になると床をきれいに掃(はら)い清め、その黒髪を敷いて床につき、
「いつになれば帰ってくるのでしょうか」と嘆いていることだろう。
娘や息子も、幼い子供たちは、あちらこちらと動き回って騒いだり、泣いたりしているだろう。
けれども道は遠くて、郷里に使者を遣(つか)わす手立てもない。
自分の思いを伝えにやることもできず、恋しくて、心が燃えるようだ。
限りあるこの命は惜しいものの、どうするべきか、その方法すらわからない。
こうして、勇敢な武人を任ずるこの私が、

病床にただ嘆き伏していなければならないというのか。

短歌

世間(よのなか)は 数(かず)なきものか 春花 (はるはな) の散りの乱(まが)ひに 死ぬべき思へば

【語釈】 ○数(かず)なき:少ない。短い。はかない。
【大意】世の中というのは、なんと果敢(はか)ないものだろうか。春の花がはらはらと散り乱れる中で、このままひっそりと死んでゆくのを思えば。

山川(やまかわ)の 退方(そきえ)を遠(とお)み 愛(は)しきよし 妹(いも)を相(あい)見ず かくや嘆かむ

【語釈】 ○退方(そきえ):遠く離れたところ。遠方。果て。 ○遠(とお)み:遠く離れているので。 ○妹(いも):妻。恋人。姉妹。男性から女性を親しんで呼ぶ語。
【大意】山川を隔ててはるか遠く離れているので、ああ、愛しい貴女(あなた)と逢うこともできず、何時(いつ)までもこうして嘆いていなければならないのか。

 



『論語』の泰伯(たいはく)篇に、「鳥の将(まさ)に死なんとする、其(そ)の鳴くや哀(かな)し。人の将(まさ)に死なんとする、其(そ)の言ふや善(よ)し」という言葉があります。

「鳥の死にぎわの鳴き声には、聴く人の胸をえぐるような悲しさがこもっている。人が死にぎわにいう言葉には、真(まこと)がこもっている。」といった意味です。

大伴家持のこの歌は、「将(まさ)に死なんとする」ときに詠まれたという意味で、そのときの彼の心の真(まこと)が、そのまま表わされていると考えられます。  

長歌を読めば明らかなように、死に臨んで、家持の心に浮かんできたのは、他(ほか)でもなく、郷里で彼のことを心配しながら待っている母や愛しい妻、そして子供たちの面影でした。

遠く離れていなければならない今の状況でさえ、大きな悲しみを与えているのに、もし自分がこのまま死んでしまえば、彼らはどれくらい嘆き悲しむことであろうか。それを思うと、胸が張り裂けるようにつらい。安心させてやろうにも、道は遠く、使いを遣(や)る手立てもない。彼らのことを思うと、恋しくて、心が燃えるようだ。そして、自分の容体はますます悪化し、生き長らえる手立てもない。大丈夫(ますらお)を任ずる私が、このように床で嘆き伏すことしかできないとは。ああ、なんと理不尽な現実であろうか。

こうして書いているだけで、自分にも、この長歌にこめられた彼の悲痛な思いが伝わってきて、全く他人事として考えられません。

ところが、次に続く短歌は長歌とは少し趣を異にして、自(みずか)らの死に対する感慨が、淡々と静謐(せいひつ)な響きを伴って詠われています。

春の花がはらはらと散り乱れる中で、無心に散る花と同じように、自分はこうして誰に看取られることなく、一人ひっそりと死んでいくのだろうか。生命(いのち)というものは、何と果敢(はか)なく、あっけないものなのだろうか。

家持が自らの死を覚悟し、生きてきた自己の一生を静かに振り返ったとき、そこに浮かび上がってきた偽(いつわ)らざる感慨は、他でもなく、この「果敢なさ」「あっけなさ」というものでした。自分の人生、今まで色いろなことがあったが、そのようなこととは無関係に、死ぬときは真(まこと)にあっけなく死んでいくのだという、幾分(いくぶん)の諦観(ていかん)を伴った感慨とでもいいましょうか。

悟りめいたことなど何一つ語ることなく、死に臨んでの自己のありのままの心模様を淡々と語っているのです。
 

 

 

ここで思い出したのは、江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)の『玉勝間(たまかつま)』の次の言葉です。

業平(なりひら)ノ朝臣(あそん)のいまはの言の葉[二八二]
古今集に、やまひして、よわくなりにける時よめる、なりひらの朝臣(あそん)、「つひにゆく 道とはかねて聞(きき)しかど きのふけふとは 思はざりしを」。契沖(けいちゅう)いはく、これ人のまことの心にて、をし(教)へにもよき歌也(なり)。後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる。まことしからずして、いとにくし。ただなる時こそ、狂言綺語(きょうげんきご)をもまじへめ、いまはとあらんときにだに、心のまことにかへれかし。此(この)朝臣(あそん)は、一生のまこと、此(この)歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬる也(なり)といへるは、ほうし(法師)のことばにもに(似)ず、いといとたふとし。やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ。から(漢)心なる神道者歌学者、まさにかうはいはんや。契沖法師は、よの人にまことを教ヘ、神道者歌学者は、いつはりをぞをしふなる。


【大意】古今集に、病気になり、衰弱してしまったときに詠んだ歌として、在原業平(ありわらのなりひら)朝臣(あそん)の「つひにゆく 道とはかねて聞(きき)しかど きのふけふとは 思はざりしを (訳:最後には、誰もが逝(ゆ)く道とはかねてから聞いていたけれど、まさか昨日今日のこととは思わなかったなあ)」という歌がある。契沖(けいちゅう)が言うには、「これこそ人の真(まこと)の心であって、教訓としてもよい歌である。後の世の人々は、まさに死のうとする間際になっても、ぎょうぎょうしい歌を詠み、あるいは道を悟った事柄などを詠む。真実はそうではないので、大いに気に入らない。普段のときこそ、むやみに飾り立てた言葉も混じるであろうが、死に臨み、もうこれ限りというときだけでも、心の真(まこと)に帰ることだ。この業平(なりひら)朝臣(あそん)は、一生の真(まこと)、この歌にあらわれ、後の世の人々は、一生の偽(いつわ)りをあらわして死ぬのだ。」と言っているのは、(仏教の)僧侶の言葉にもに似ず、大変に尊い。大和魂(やまとだましい)である人は、僧侶でありながら、こうであるのだ。漢意(からごころ)である神道者や歌学者は、必ずこのように言うだろうか。(言えはしまい。)契沖法師は、世の人に真(まこと)を教え、神道者や歌学者は、偽(いつわ)りを教えるのである。

 

注: “漢意(からごころ)”の詳しい説明は、ここ を参照。


ここで宣長が、契沖の言葉を引用して言わんとすることは、「いまはとあらんときにだに、心のまことにかへれかし」(もうこれ限りというときだけでも、心の真(まこと)に帰れ)という言葉に、すべて尽きているように思います。

確かに、多くの辞世といわれる歌を読むと、仏教的な悟りを髣髴(ほうふつ)とさせる言葉を散りばめ、生に何ら未練はなく、死に対しても恐れることはないといった高い心境を詠った歌が、数多くあります。それに対し、上記の業平朝臣の歌は、死に直面した彼の偽(いつわ)らざる心を、透き通るような無垢な言葉で素直に詠っています。

宣長は、そこに大和魂(やまとだましい)、すなわち「大和心(やまとごころ)」を見るのです。宣長は、この心を「真心(まごころ)」という言葉でも表現しています。

 

注: “ 真心(まごころ) ”の詳しい説明は、ここ を参照。


そして、冒頭にとり上げた大伴家持の歌も、まさに死に臨んだ彼の「心のまこと」がそのままに詠われているという意味で、「大和心(やまとごころ)」そのものであると言えるでしょう。

そこにおいて、歌の表現の優劣など、全く問題となりません。どのような高度な技巧も、「真心(まごころ)」の前では完全に沈黙してしまいます。

 

 

ところで、今回の家持の歌を読んで、私自身、世の中の有り様というものについて、あらためて深く考えさせられました。

世の中に起こる事(コト)の進みというのは、往々にして、生きている私たちの願うようにはなりません。いや、むしろ私たちの思惑とは全く無関係であるかのように、別の次元で無機的に進んでいくようにすら見えます。

 

事(コト)が事(コト)を呼び、連なるように、あるがままに物事が生起し続けていく。人間の知恵の力で、そこに明確な必然性や因果関係を見出そうとする試みは、多くの場合失敗に帰してしまいます。宣長は、これを「神の奇異(くすしくあやし)き御所為(みしわざ)」と言っています。

それは人生の最重要事である自らの死についても同様です。自分の未来に対し、いかなる希望を持っていようと、どのような計画を緻密に作り上げていようと、それとは関わりなしに、死という現実は、何の必然性も感じられないタイミングで、不意に訪れることのあるものなのです。

そうした理不尽な現実の真っ只中に放り込まれたとき、そして、逃げることなくその状況に真正面から対峙したとき、初めて家持の歌にある「世間(よのなか)は 数(かず)なきものか」(世の中というのは、なんと果敢(はか)ないものだろうか)という言葉が、偽(いつわ)らざる感慨として、真(まこと)の言葉として、生まれてくるのではないでしょうか。

言葉に本当の意味で生命(いのち)が通うのは、そんな瞬間なのかもしれません。

宣長のいう「もののあはれ」の原点が、ここにあると感じます。

私自身も、これから生きる中で、どれだけの真(まこと)の言葉を語れるか。

そのことを深く心に刻みつつ、生きていきたいという思いを抱きました。

長くなりましたのでこの辺で。

今回とり上げる歌は、少し前に書いた『大伴家持の歌-なでしこの花』と同じく、大伴家持(おおとものやかもち)が越中国(えっちゅうのくに = 富山県から能登半島を含む北国一帯の地域)に、国司(くにのつかさ)として赴任していたときに詠まれたものです。

時期は、家持が越中に赴任した翌年の天平(てんぴょう)19年(西暦747年)3月20日。前回とり上げた「なでしこの花」の歌より、2年ほど前の作品です。

このとき家持は30歳。この歌は、奈良の都に残してきた最愛の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)へ贈られました。

恋の緒(こころ)を述ぶる歌一首、また短歌 (万葉集巻十八 3978)

妹(いも)も吾(あれ)も 心は同じ 副(たぐ)へれど いや懐(なつか)しく
相(あい)見れば 常(とこ)初花(はつはな)に 心ぐし めぐしもなしに
愛(は)しけやし 吾(あ)が奥妻(おくづま)
大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み
あしひきの 山越え野行き 天離(あまざか)る 鄙(ひな)治めにと
別れ来(こ)し その日の極み あらたまの 年(とし)往(ゆ)き返り
春花の 移(うつ)ろふまでに 相見ねば 甚(いた)もすべなみ
敷栲(しきたえ)の 袖(そで)返しつつ 寝(ぬ)る夜おちず 夢には見れど
うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋しけく 千重(ちえ)に積(つ)もりぬ
近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹(いも)が手枕(たまくら)
さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙(たまほこ)の 道はし遠く
関さへに 隔(へな)りてあれこそ よしゑ(え)やし よしはあらむぞ
霍公鳥(ほととぎす) 来鳴(きな)かむ月に いつしかも 早くなりなむ
卯(う)の花の にほへる山を 外(よそ)のみも 振り放(さ)け見つつ
近江(おうみ)道(じ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の吾家(わぎえ)に
ぬえ鳥(どり)の うら嘆(な)けしつつ 下恋(したごい)に 思ひうらぶれ
門(かど)に立ち 夕占(ゆうけ)問(と)ひつつ 吾(あ)を待つと
寝(な)すらむ妹を 逢(あ)ひてはや見む


【口語訳】
いとしい妻も私も思うことはおなじ。
寄り添っていても、ますますなつかしいし、
顔を見れば、いつも咲きたての花みたいにういういしくて、
心の憂さ、いたいたしさなんてなんにもなくて、
そなたを見れば、いつも心は晴れやか。
いとしの妻よ。心の底から愛する妻よ。
大君の仰せを謹(つつし)んでお受けして、
はるばると山を越え野道を辿(たど)り、
都から離れたいなかのこの地を治めにと、
そなたと別れてきた日から、年も改まり、
春の花の散りすぎる頃までも会えないので、
なんともせつなくやるせなく、せめて夢でも見たいと、
おまじないに、夜着の袖を折り返して寝ているよ。
おかげで夢は見るけれど、目覚めたときに本物のそなたに会えるわけではないので、
恋しさは干重(ちえ)に積もるばかり、近くにいたら、馬にひと鞭(むち)当てて走り帰り、
そなたと手枕(てまくら)をさし交わし寝ても来ようものを、
都への道ははるかに遠く、関所までが二人を隔てて、どうしようもない。
ええ、どうしよう。なにか方法はないか。
ほととぎすが来て鳴くあの月に早くならないかなあ。
卯(う)の花咲く山を遠く見やりながら、近江路(おうみじ)にすすみ、
あのなつかしい奈良のわが家で、
悲しい声で鳴くトラツグミみたいに私を思って泣き、
恋の思いにうらぶれ、門口に立つては、辻占(つじうらない)で占ってみたりして、
寂しい一人寝をしているそなたを ― ああ、一刻も早く逢って、抱きしめたい。

 


短歌

あら玉(たま)の 年返るまで 相(あい)見ねば 心も萎(しぬ)に 思ほゆるかも
【口語訳】年が改まるまで逢えなかったので、心もうち萎(しお)れるばかりにあなたが恋しく思えるよ。

ぬば玉(たま)の 夢(いめ)にはもとな 相(あい)見れど 直(ただ)にあらねば 恋ひやまずけり
【口語訳】夜の夢ではやたらと逢っているけれど、じかに触れるわけではないから、恋しさはやみはしなかったよ。

足引(あしひき)の 山(やま)来隔(へな)りて 遠けども 心しゆけば 夢に見えけり
【口語訳】険しい山をいくつも隔てて遠いけれども、心があなたのところまで行ったので、夢で逢えたよね。

春花の うつろふまでに 相(あい)見ねば 月日(つきひ)数(よ)みつつ 妹(いも)待つらむそ
【口語訳】春の花が散りゆくときまでずっと逢わないでいるので、月日を数えながら愛しいあなたは私を待っているのだろうね。

左注:右は、三月廿日(はつか)の夜(よ)の裏(うち)に、忽(たちま)ちに恋の情(こころ)を起して作れり。大伴宿祢(すくね)家持

上記の長歌の口語訳ですが、最近読んだ『わが心の大伴家持』(星雲社)という本の作者 清川妙氏によるものが、家持の歌の心をとてもよく捉えていると感じられたので、ここに引用いたしました。

 


古今東西、男女間の恋情を歌った詩や歌は、それこそ数多(あまた)ありますが、この歌ほど恋しい心情をありのままに吐露したものはあまりないのではないでしょうか。作られたのが1300年の遠い昔であるにもかかわらず、今生まれたばかりのような瑞々(みずみず)しさが全編に漲(みなぎ)っています。

「妹(いも)も吾(あれ)も 心は同じ」(君も僕も心はまったく同じだよ)。冒頭に置かれたこの言葉に驚かされます。こう言い切ることに、何のためらいも感じさせない語勢に、二人の絆の深さが表れているように思います。

それに続く「たぐへれど いやなつかしく 相見れば 常初花(とこはつはな)に」(寄り添っていても、ますますなつかしいし、顔を見れば、いつも咲きたての花みたいにういういしくて)という言葉。

そうありたいと願ってはいても、このときの家持と大嬢のように、結婚からある程度の月日を経た夫婦が、実際にそのような初々しい情感やときめきを保ち続けることがいかに難しいことか。あらためて言うまでもないことでしょう。

そして、「はしけやし吾(あ)が奥妻(おくづま)」(愛しいわが心の奥の妻よ)という表現は、家持の心の深いところに、愛しい妻 大嬢がいつもいるのだということを暗示しているように感じられます。

これ以上は考えられないような美麗な言葉で妻大嬢を称えていながら、決して軽薄な印象を感じさせません。家持の言葉には、上辺を取り繕ったようなところは微塵もなく、すべてに真心(まごころ)がこもっています。

ちなみに、長歌の末尾の「逢ひてはや見む」の「見む」は、ここでは単に見るということでなく、「夫婦の契りを結ぶ」と言う意味で使われています。わかりやすく言えば、「寝床で抱きしめたい」といったところでしょうか。

これを読んだ妻大嬢はどのように感じたのでしょうか。

歌の後半の「卯の花の にほへる山を 外(よそ)のみも 振り放け見つつ」という表現に至っては、家持の魂が彼の身体から脱け出て、実際に奈良の都にいる大嬢のところまで行って見ているかのような鮮明な光景が描かれています。

「寝る夜おちず 夢には見れど」「夢にはもとな 相見れど」「遠けども 心しゆけば 夢に見えけり」などと歌っているところから、家持は夢の中で頻繁に大嬢と逢っていたようで、家持には、大嬢が日々どのような様子で自分のことを待っているか、ありありと脳裏に思い浮かべることができたのでしょう。だからこそ、このような迫真性のある表現が可能だったと思われます。

 


それにしても、この歌を読んであらためて感じるのは、大伴家持という人間の底抜けの愛情深さと自己の情感に対する正直さです。

大伴氏という名高い武門の棟梁(とうりょう)でありながら、何の衒(てら)いもなく、ひたすら「妻が恋しい。今すぐ逢いたい。抱きしめたい。」と、妻大嬢に対する自(みずか)らの心模様を赤裸々に表現しています。

これは家持の歌全般に言えることなのですが、彼の多くの歌は、歌人として後世に残るような完成度の高い歌を目指し、技巧を尽くして彫琢された、上手いだけの歌ではありません。それらは、何より彼自身が日々の生活の中で体験し、胸中に抱いたやむにやまれぬ心の叫びから要請され、生みだされたものなのです。

家持は言います。

「悽惆(せいちゅう)の意、歌にあらずは撥(はら)ひ難(がた)きのみ。よりて此の歌を作り、もちて締緒(むすぼれたるこころ)を展(の)ぶ。」(万葉集 巻十九 4292)

【大意】痛み悲しむ心は歌でなくては払い難い。そこでこの歌を詠んで、それによって鬱屈(うっくつ)した心を晴らしたい。

このように彼の歌は、日々の生活の中でほとばしった真情を、あえてありのままに歌に詠むことで、歌の力により、自(みずか)らがその苦しい胸のうちから救われようという、極めて切実な思いに駆られて、詠まれたものなのです。

万葉集の十七巻から二十巻は、別名「家持歌日記」だと言われるのも、歌自体がそのような意図から詠まれていることによります。

 

 

ところで、ひとつ注意が必要なのは、万葉の時代を生きた大伴家持にとって、歌とは、このように自らの心情を詠むものであると同時に、「魂(たましい・たま)」をやりとりし、取りあつかう技術でもありました。

「魂(たましい・たま)」というのは、古(いにしえ)のわが国において、万物にやどり、生命(いのち)、とりわけ心の働きをつかさどるとされた存在です。

ここが大切なところですが、魂(たましい・たま)は観念ではありません。当時において徹頭徹尾、実物です。遊離しやすい存在とされ、生きているときは身体に宿っていますが、死ぬと身体から離れていきます。死とは、魂が肉体を離れることなのです。また、生きているときも一時的に魂が離れることがあり、それを「生き霊(いきりょう)」といいます。

そのため、当時「魂」が肉体から離れないようにするおまじないや、死者の「魂」を招いたり祭ったりする行事も行われていました。

現在でも神道の行法に「鎮魂(たましずめ)」「魂振(たまふり)」というものがありますが、家持の場合は、歌を詠むことで、歌の持つ言霊(ことだま)の力によって、彼自身の荒ぶる魂を鎮めたり、清めたり、振い起こしたりしようとしたのです。

そしてこれは、『大伴家持の歌-なでしこの花』の記事で書いたことですが、「事(コト)」の世界が時間・空間を超えるのと同様に、魂(たましい・たま)の世界でも、時空の制約を超えた出来事が起こります。

注: 「事(コト)」については、こちらを参照。

例えば上記の歌でも、「ぬば玉の 夢(いめ)にはもとな 相(あい)見れど 直(ただ)にあらねば 恋ひやまずけり」などは、単に夢で逢ったという意味ではなく、魂(たましい)が各々の身体から抜け出して、実際に逢っているからそれを夢に見た、という意味で詠っているのです。現実には不可能なことが、魂(たましい)の世界では可能となるのですね。

だから続く歌で、「足引(あしひき)の 山(やま)来隔(へな)りて 遠けども 心しゆけば 夢に見えけり」と詠んでいるのです。ここでいう「心しゆけば」の「心」とは、「魂(たましい)」の意味で使われています。

さらに上記の長歌の中に出てくる「袖返し」というのは、相手の魂(たましい)と夢で出会うためのおまじないです。

万葉の時代、相手の夢を見るとは、自分を恋しく思う相手の魂が睡眠中にその身体から抜け出し、自分の家にやって来るので、自分の夢にその人が現れると信じられていました。

そこで、相手の夢に自分が現れてくれるように、夜寝るときに長い衣の袖を折り返すという「おまじない」をしました。このときの家持がまさにそうですね。

また「夕占(ゆふけ)問ひつつ」も、夕方の黄昏時(たそがれどき)に辻(つじ)に出て、思い人に逢えるか逢えないかを占ったもので、これも魂(たましい)の行方に関係する占いです。

 


今回の家持の歌を、あらためてこのような魂の世界から見てみると、私たちが生きる現代の価値観や世界観で読む限り、決して気がつかない魂のやりとりに伴う奥深い世界が見えてくるのではないでしょうか。

すなわち、わが国の上代(じょうだい)において、恋とは、現代の私たちが考えているような心理学的な感情の問題でなく、まさに相手と魂の次元で、時空を超えて濃密に交感しあうことなのです。

実の親が平気で自分の子供を殺し、子供が親を殺す。悲しいかな、そのようなことが当たり前のようになってしまった昨今の世の中から考えると、家持と大嬢の魂の絆(きずな)など、まるでおとぎ話の世界のように感じるかもしれませんね。

近代主義イデオロギーや科学思想の浸透しきった今日、魂の存在など、迷信と歯牙(しが)にもかけない人が大半でしょうが、恋愛のみならず人間関係の希薄化、また人間存在そのものの希薄化がなぜこれほどまで顕著に進んでいるのか。生きるということに生命(いのち)の輝き、確かな手応えがなぜ感じられないのか。日々出会う「物(モノ)」や「事(コト)」にどうしてときめきを感じられなくなってしまったのか。

私たちが漠然と正しいと思い込んでいる今の世の価値観というか、世界観そのものが、実はそのことに大きくかかわっているのだとしたらどうでしょうか。現代の世を覆うこの巨大なニヒリズムの闇の背景に何があるのでしょうか。

合理的で言葉で説明でき、測定可能で明確な形のあるもののみが存在を許され、「かそけ(幽)きもの」、「不可思議なもの」や「もののあはれ」、そして個々の「物(モノ)」や「事(コト)」をつむぎ出す豊かな土壌となる「物語」そのものが、非合理なもの、無価値なものとして私たちの生活の中から知らないうちに抹殺されているのではないでしょうか。

私のブログのメインテーマである本居宣長(もとおりのりなが)に言わせれば、それこそ合理を盾(たて)に、何事も理性によって人工的に作り上げた観念体系に当てはめて判断する心、すなわち「漢意(からごころ)」の浸透によるものだということになるのでしょう。

このことは、別の記事でもっと突っ込んで書いてみたいと思いますが、今回の大伴家持の純真な恋の歌を読んでいると、どこからか暖かな光がさし込んで、自分の中にある固い観念の殻ようなものが次第に溶けていくような、そんな不思議な感慨を持ちました。

長くなりましたのでこの辺で。

普段は誰も気に留めないような目立たない存在。

見回せば、私たちの周りには、そのようなものたちが数多く存在しています。

あわただしい日々の生活の中では、そのような「小さきもの」や「名もなきもの」、「かそけ(幽)きもの」たちは、あまり意識されることもありません。

でも、すこし目を凝らして見てみると、その姿形(すがたかたち)の可愛らしさにふと気づく。

今回ご紹介する大伴家持(おおとものやかもち)の歌は、そんな瞬間をとらえているように感じます。

物部(もののふ)の 八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井(てらい)の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集 巻十九 4143)

【読み方】 もののふの やそおとめらが  くみまごう てらいのうえの かたかごのはな (現代仮名遣い)

【大意】早春の朝、たくさんの少女たちが、お寺で入り乱れるように水を汲み合っている。そんな井戸の傍(かたわら)に、ひっそりと咲いている可憐な堅香子(かたかご)の花よ。

【語釈】○物部(もののふ)の : 「八十(やそ)」にかかる枕詞(まくらことば)。「もののふ(武士)」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」などにかかる。 ○八十(やそ) : 八十(はちじゅう)。数の多いこと。 ○少女(おとめ)ら : 少女(おとめ)は年若い女性。未婚の娘。  ○汲(く)みまがふ : 多くの人が入り乱れて水をくみ合う。 ○寺井(てらい) : 寺の境内のわき水。または、井戸。 ○堅香子(かたかご): 植物の名。カタクリの古名。花の形が籠(かご)に似ており、早春の頃、薄紫色の花を、頭を垂れるように下向きに一つだけ咲かせる。

 

           かたかごの花(写真)

 

この歌は、前回『大伴家持の歌-なでしこの花』の記事でとり上げた歌と同様、家持の越中(えっちゅう)赴任時代に詠われたものです。作られたのは、 天平勝宝(てんぴょうしょうほう)二年(西暦750年)の3月2日。 家持が33歳のときです。

ところで、万葉集には、梅、桜、萩(はぎ)、すみれ、椿(つばき)、 百合(ゆり)、橘(たちばな)など、数多くの花が詠われており、その数はおよそ1700首にも上ります。

しかし、万葉集4516首の中で、この「堅香子(かたかご)の花」を詠んだ歌は、なんと家持のこの一首しかありません。

多くの歌人たちが、好んでとり上げるような名だたる花ではなく、誰一人とり上げないこの堅香子(かたかご)の花を詠ったところに、家持がこの花の無言の佇(たたず)まいの中に何かを感じとり、深く心を動かされたことがわかります。

歌の舞台は北国の早春の朝。

澄みきった空気の中、湧き水のあるお寺の境内には、多くの少女たちが入り乱れるように水を汲み合っている。甲高い話し声や笑い声が飛び交い、身につけている鮮やかな衣(ころも)の色彩が入り乱れ、辺(あた)りはとてもきらびやかで賑(にぎ)やかな活気にあふれている。

「八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ」という言葉が、そんな情景を的確に描写しています。

こうした光景をじっと眺めていた家持には、生まれ故郷である奈良の都で幾度となく見た、宮女や采女(うねめ)たちの集(つど)う華麗な姿が、これらの少女たちに重ね合わされて、脳裏に去来していたのかもしれません。

しかし、ここで家持のカメラ(視点)は、にわかに水汲みの少女たちから横方向にパン(旋回撮影)を始め、井戸のほとりに咲く一輪の堅香子(かたかご)の花に焦点を合わせます。

 

 

上の写真を見てわかる通り、堅香子(かたかご)は、早春、薄紫色の籠(かご)のような形の花を、深く頭を垂れるように、下向きに一つだけ咲かせます。

薔薇などのような、原色の色彩感をあたりに強烈に放つきらびやかな花々とは異なり、とても控えめで、見ようによっては、どこか憂いを含んでいるようなもの悲しげな様子を、ひっそりと漂わせているように見えます。

 

そこに、そこはかとない奥ゆかしさや清楚感が感じられ、見る者に、守ってあげたくなるような何ともいえない可憐さ、可愛らしさを感じさせる不思議な魅力があります。

そうした堅香子(かたかご)の花の物静かで慎(つつ)ましやかな佇(たたず)まいは、歌の前半に描かれた賑(にぎ)やかな少女たちの躍動感あふれる情景と映発し、映像的に強いコントラストを作り上げており、この歌の味わいを、奥深く立体的なものにしているように感じます。

あたかも、皆で楽しげに水を汲みあう少女たちの賑(にぎ)やかな集(つど)いを、羨(うらや)ましそうに、少し離れたところから一人静かに無言で見つめている。そんな大人しげな少女の姿が目に浮かぶようです。

家持の心は最終的に、水汲みの少女たちの躍動感ではなく、この堅香子(かたかご)の花のもつ静謐(せいひつ)な魅力に引き寄せられていきます。

彼の鋭敏で繊細な感性は、この堅香子(かたかご)の花のような、誰も気に留めない目立たない存在の中に微かにきらめく光を、決して見逃しません。

 

誰もが見過ごしてしまうような陰りある花の瞬間の美を、その高感度のカメラでとらえ、映像美あふれる見事な詩的世界として歌いあげることに成功しています。

 

そして、こうした外界の微細な変化に気づく目は、この歌だけでなく、家持の詠んだ他の多くの叙景歌にも一貫して見い出されるもので、彼の歌全体を貫く強い個性になっているように感じます。

 


いつも下を向いて、一人ぼっちで咲いている堅香子(かたかご)の花。

でも目を凝らすと、その憂いを含んだような寂しげな表情の中に、凛とした孤高の気高さのようなものが、そこはかとなく感じられる気がします。

楚々(そそ)としたその陰りある美しさは、もしかしたら家持が心の奥底に常に抱えていた孤愁(こしゅう)、すなわち「存在の悲しみ」ともいうべき、人間存在が宿命的に持つ底知れない孤独感と強く共鳴し、けなげに咲く堅香子(かたかご)の花の姿に、彼自身がむしろ励まされ、救われたように感じたのかもしれません。

 

その意味で、家持にとってこの堅香子(かたかご)の花との出会いは、何か運命的なものを感じさせる特別なものではなかったのか。この歌を虚心に読むと、私にはそう感じられてなりません。


注:家持の感じていた孤愁ついては、『大伴家持の歌-存在の悲しみ』や『大伴家持の歌-光と色彩の美』の記事でも言及しています。

 

今を去ること1300年の昔、北陸越中(えっちゅう)の泉のほとりで起こった、大伴家持と一輪の堅香子(かたかご)の花の出会い。

両者の間で生じた、その瞬間のときめきは、今を生きる私たちに何を語るのでしょうか。

 


江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)は、「もののあはれ」について次のように言います。

「世の中にあらゆる事に、みなそれぞれに物の哀(あは)れはあるもの也(なり)。」(『紫文要領』)
「物の哀(あはれ)という事は、万事にわたりて、何事(なにごと)にも其事(そのこと)其事につきて有物也(あるものなり)。」(同上)

これによれば、「もののあはれ」は、人間の情感に先行して、あらゆる「物(モノ)」や「事(コト)」に、その固有な存在様式として、あらかじめ遍在しているものなのです。

ということは、私たちは日常の刹那刹那に遭遇する「小さきもの」や「名もなきもの」、「かそけ(幽)きもの」たちの中に、「もののあはれ」という一瞬の光を見い出すことができるのだと思います。

ふり返って、普段の時間に追われるせわしない生活の中では、これらの些細(ささい)な名もなき小さなものたちは、無意識になされるレッテル貼りや価値判断(すなわち「漢意(からごころ)」)によって、低く見られたり切り捨てられてしまいがちですが、その「些細で小さなこと」の気づきの中にこそ、人が生きていく上で最も大切なことが秘められているような気がします。

人の生きている証(あかし)というものがあるとしたら、もしかしたらそこにしかないのかもしれません。

家持が名もなき堅香子(かたかご)の花の中に微かな美を見い出したように、私自身も、些細な「物(モノ)」や「事(コト)」の中に小さな光を見い出す気づきの瞬間を、少しでも積み重ねていけたらと、心から思います。

自分にとって「生きる」とは、畢竟、それにつきるのではないかと思います。

長くなりましたのでこの辺で。

愛(いと)おしく懐かしい人の面影が、ふとしたきっかけで脳裏に浮かぶ。

そのとき瞼(まぶた)に浮かぶ面影は、まるでお日様の光に照らされたような眩(まぶ)しい笑顔。

人は誰しもそのような体験をしたことがあるのではないでしょうか。

今回紹介する大伴家持(おおとものやかもち)の歌は、そんな瞬間を詠んでいます。

なでしこが 花見るごとに 少女(をとめ)らが 笑(ゑ)まひのにほひ 思(おも)ほゆるかも (万葉集巻十八 4114)

【読み方】 なでしこが はなみるごとに おとめらが えまいのにおい おもおゆるかも (現代仮名遣い)

【大意】なでしこの花を見るたびに、あの愛(いと)おしい少女の、美しく照り映えるような微笑みが思い出されてならない。

【語釈】 ○少女(おとめ)ら: 少女(おとめ)は年若い女性。未婚の娘。「ら」は複数でなく、親愛の情を表わす接尾語。  ○笑(え)まひ: ほほえみ。微笑。 ○にほひ (におい): 匂い立つような美しさ。 つややかな美しさ 。美しく映えること。 ○思(おも)ほ(お)ゆ: (自然に)思われる。 

 

                         なでしこの花(写真)

大伴家持は天平18年(746年)、越中国(えっちゅうのくに = 富山県から能登半島を含む北国一帯の地域)に、国司(くにのつかさ)として赴任しました。任期は5年でした。

この歌は、越中に単身赴任して3年目の天平感宝(てんぴょうかんぽう)元年(749年)、5月26日に、庭に咲くなでしこの花を見て詠われたものです。

このとき家持は32歳。奈良の都(みやこ)で育った家持とって、雪深い北国での生活は想像以上に辛(つら)く、とりわけ夜の一人寝の淋(さび)しさは、一際(ひときわ)その身にこたえたようです。

ところで、この歌に出てくる「少女(をとめ)」とは一体誰を指すのでしょうか。

それは、この歌とともに詠われた以下の長歌を読めばわかります。

大君(おおきみ)の、遠(とお)の朝廷(みかど)と、
任(ま)きたまふ、官(つかさ)のまにま、
み雪(ゆき)降(ふ)る、越(こし)に下(くだ)り来(き)、
あらたまの、年(とし)の五年(いつとせ)、
敷栲(しきたえ)の、手枕(たまくら)まかず、紐(ひも)解(と)かず、
丸寝(まろね)をすれば、いぶせみと、
心なぐさに、なでしこを、宿(やど)に蒔(ま)き生(お)ほし、
夏の野(の)の、さ百合(ゆり)引き植(う)ゑ(え)て、
咲(さ)く花を、出(い)で見るごとに、
なでしこが、その花妻(はなつま)に、 さ百合花(ゆりばな)、
ゆりも逢はむと、慰(なぐさ)むる、心しなくは、
天離(あまざか)る、鄙(ひな)に一日(ひとひ)も、あるべくもあれや 
(万葉集巻十八 4113)


【大意】 大君(おおきみ)の遠の朝廷(とおのみかど=地方国庁のこと)に派遣された官職により、雪(ゆき)の降る越(こし)の国(=越中の国)に下って来て5年の間。わが妻の柔らかい手枕(てまくら)をすることもなく、服の紐(ひも)を解いて着替えもせず、そのままごろ寝する毎日。それでは気が滅入るので、慰(なぐさ)めに、庭になでしこの種(たね)を植え、夏の野原に咲いていた百合(ゆり)の花を引き植えてみた。その咲く花を見るたびに、美しいなでしこの花のような妻(つま)に、「後(のち)には逢える」と心でつぶやく。そのような慰めがなければ、このような都から遠く離れた地に、一日たりとも暮らすことなどできないよ。

 


家持は、独(ひと)り僻地(へきち)にあっても、なでしこの花を眺めることで愛おしい妻に出会える。その慰めがあるからこそ、思うままにならない日々を生きていけるのだと歌います。

つまり、冒頭にあげた歌に詠まれた「少女(をとめ)」とは、奈良の都に残してきた家持の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)のことだったのです。

このとき、幼なじみだった二人が結婚してからすでに十年くらいの月日が経っていると思われますが、自分の妻を可憐な「なでしこの花」に譬え、「花妻(はなつま)」すなわち「花のように美しい妻」と呼ぶ。その感性の瑞々(みずみず)しさに驚きます。夫婦でいながら、恋人同士のような初々しい情感やときめきが二人の間になければ、なかなかできることではないと思います。

家持と大嬢の間には、結婚前から結婚後に至るまで、数多くの相聞歌(そうもんか=恋の歌)が残されています。それらを読むと、二人の間で交わされた相手を恋慕する瑞々(みずみず)しい思いや情感が、時を経ても、決して変わることがなかったことがわかります。

 

 

逢いたくても逢えない。

そんなとき、なでしこの花を見て、愛おしい人を思い出す。

 

江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)は、実物である「物(モノ)」や「事(コト)」に直(じか)に触れて感じるという、人間本来の時間感覚の大切さについて説きました。

注:詳しくは『本居宣長の時間論』を参照。

実物である「物(モノ)」や「事(コト)」に直(じか)に触れて感じるのは、何も「時(とき)」「時間」だけではありません。「所(ところ)」「空間」も、「物(モノ)」「事(コト)」の織り成す世界では全く同じです。

「去年この花が咲いたときにあの最愛の人と別れた。」というように、現在の具体的な出来事、すなわち「事(コト)」に触れることによって、過去の事(コト)が今もう一度思い起こされる。その出来事が再び「事(コト)」として心の中に生み出されることによって、その時節というものが改めて生み出される。宣長は、 それこそが時間というものの正体だといいます。

これと同様に、「所(ところ)」「空間」も、なでしこの花という具体的な事物、すなわち「物(モノ)」に触れることによって、眼前にない「物(モノ)」、ここでは都(みやこ)にいるはずの最愛の妻の面影が、今再び思い起こされる。それが再び「物(モノ)」として心の中に生み出された瞬間、その「物(モノ)」の存在、すなわち最愛の人の存在が、家持の眼前に、事実として現成(げんじょう)したのです。

とすると、このとき家持は、なでしこの花、すなわち都で彼の帰りを待つ愛おしい妻の、日の光に照らされたような眩(まぶ)しい笑顔に、「物(モノ)」「事(コト)」として確かに出会っていたといえるのではないでしょうか。

それが彼に生きる力を与えてくれたのです。

長くなりましたのでこの辺で。

 

今年が皆様にとって幸多き年でありますよう、心よりお祈りいたします。

江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)の唱える「真心(まごころ)」については、以前こちらこちらに詳しく説明したのですが、先日ある方よりご質問を頂きました。

一読して、内容的にとても重要な質問と感じましたので、それに対するご返答を一つの記事にして、ここに掲載したいと思います。

ちなみに、宣長のいう「真心(まごころ)」は、私たちが普段使っている「あの人は誠意がある」というような、「良い事」において「心がこもっている」、また「一生懸命である」といった意味ではありません。

「真心(まごころ)」の「ま」とは、「真っさら」「真っ白」の「ま」と同じで、生まれたままの、何の混じり気もない状態を表わします。

何の混じり気もない生まれたままの心。それが宣長のいう真心(まごころ)です。

より厳密に言えば、宣長において「真心(まごころ)」とは、「事に触れて動く心」と定義されています。

 

つまり、「うれしい時はうれしい、悲しい時は悲しい、恋しい時は恋しい、さびしい時はさびしい」と、「事に触れてありのままに動く心」のことです。

善悪、利害、イデオロギーなど、一切の既成観念に影響されることなく、物や事に触れて「動く」という心の純粋な機能を、何の障りもなく十二分に働かしている心をいうのです。

そしてこの「真心(まごころ)」は、宣長によれば、「産巣日(むすび)の神」によって、人が誕生するときに、あらかじめ先天的に与えられたものであるとされています。

以上を予備知識として、ご質問の内容にお答えしたいと思います。

 


【ご質問】

1.真心を大切に生きるには

海彦さん、こんにちは(*^_^*)

前回はコメントに対するお返事をありがとうございました。 過去の投稿にコメントさせて頂きすみませんが、今回は真心についてお聞きしたくコメントさせて頂きました。

真心が本来悪いものではないということ。

現代の社会には良い、悪いといった判断基準が蔓延している中、人が人として生きて行く中で、気持ちを大切に生きているのだとしたら、完全な悪に陥ることって、そう無い事ではないかって。 同じ様な事を常々思っておりました。

最近社会を賑わせている、政治家や芸能人のスキャンダルも、文春砲などと言う言葉がブームになり、当然の権利のようにして人のプライバシーを暴き、当人だけではなく家族も巻き込んでしまって…。
    
人を愛する思いの基にあるものは本来、混じり気のない真心のみだと思うのです。

抱いた思いを大切に生きていくこと、そこに漢意などがないのだとすれば、あるものは自分自身に対する責任だけだと思うのです。もしそこに罪悪の思いが生まれるとしたら、それを決して現実の形にしないようにしながら、周りの人への配慮を失わないようにしながら、全て抱えて生きていくこと。
   
真心を大切に生きるという解釈は、以上に書いたことで合っていますでしょうか?

長々と質問してしまってすみませんでした。 まだまだ不勉強で本当にごめんなさいね。

随分と涼しくなりましたので、どうかお身体を大切に、ご自愛下さいね(*^_^*)

 

 

【ご返答】

ご質問ありがとうございます。こういう質問は、私自身、改めて深く考えることにつながりますので、とても勉強になります。

大切なご質問ですので、なるべく噛み砕いて説明したいと思います。

>現代の社会には良い、悪いといった判断基準が蔓延している中、人が人として生きて行く中で、気持ちを大切に生きているのだとしたら、完全な悪に陥ることって、そう無い事ではないかって。 同じ様な事を常々思っておりました。<

おっしゃるとおりです。このことについて、宣長は以下のように言っています。

「世人(よのひと)も亦(また)其(その)如(ごと)くにて、産巣日神(むすびのかみ)の御霊(みたま)によりて、凶悪(まがごと)をきらひて、吉善(よごと)をなすべき物(もの)と生れたれば、誰が教ふとなけれども、おのづからそのわきため(弁別め=わきまえ)はあるものなり。然(しか)れども又(また)其(その)なすわざ、必(かならず)吉善(よごと)のみもえあらず、おのづから凶悪(まがごと)もまじらではえあらぬ、云々」(『古事記伝』)

つまり、人は「産巣日(むすび)の神」の御霊(みたま)によって、生まれながら凶悪(まがごと)を嫌い、吉善(よごと)をなすべきものと生まれているので、誰に教えられなくとも、本質的に善を志向する性質を持つ。しかし、その行いは、善のみではあり得ず、悪も必ず混ざってしまう、それがこの世の実相だというのです。

 

また、次のようにも言います。

 

「そもそも万(よろず)の物(もの)みな、産巣日神(むすびのかみ)の御霊(みたま)によりて成(なる)中(なか)にも、人は殊(こと)なる御霊(みたま)を蒙(こうむり)て生れたる物(もの)にて、鳥虫などとは遥(はるか)に勝(すぐ)れたれば、心も所行(しわざ)も、もとより鳥虫とは遥かに勝れたり。其中(そのなか)には、悪神のしわざによりて、心も所行(しわざ)も鳥虫に劣れる者もなきにはあらねども、悪はつひに善に勝(かた)ず、(中略) 世には物を傷(そこな)ひ他を殺すことを好む人は少なくして、物を育し人を生(いか)さんと思ふ人は多し。」(『くず花』)

ところで上で述べたように、人が「産巣日(むすび)の神」の御霊(みたま)によって、生まれながらに持っている心のことを、「真心(まごころ)」といいます。

 

「真心(まごころ)」とは、何の混じり気もない生まれたままの心のことですから、宣長の上記の言葉に沿って考えると、「真心(まごころ)」自体に、凶悪(まがごと)を嫌い、吉善(よごと)をなすという基本的な性質を有しているということになります。


また「真心(まごころ)」とは、「事に触れてありのままに動く心」ですから、「漢意(からごころ)」というものがありません。これは宣長のいう「“もののあはれ”を知る心」とそのまま通じます。

 

注: “漢意(からごころ)”の詳しい説明は、ここ を参照。

注: “もののあはれ”の詳しい説明は、ここここを参照。

宣長は言います。

「人の情(こころ)のやうを深く思ひしるときは、をのづから世のため人のためにあしき(悪しき)わざはせぬ物也(ものなり)。これ又(また)物のあはれをしらする功徳(くどく)也(なり)。かく人の心をくみてあはれと思ふにつきては、をのづから身のいましめになる事もおほかるべし。」(『石上私淑言』)

【大意】人の情(こころ)の様子を深く思い知るときは、自然と世のため人のために悪い行いはしないものです。これまた、“もののあはれ”をわからせることがもたらす良い結果です。このように人の心を汲んで「あはれ」と思うことに関しては、自然と身の戒(いまし)めになることも多いでしょう。(『石上私淑言』)

「人の哀(あわれ)なる事をみては哀(あわれ)と思ひ、人のよろこぶをききては共によろこぶ、是(これ)すなはち人情にかなふ也(なり)。物の哀(あわれ)をしる也(なり)。人情にかなはず、物の哀(あわれ)をしらぬ人は、人のかなしみをみても何共思はず、人のうれへをききても何共思はぬもの也(なり)。かようの人をあししとし、かの物の哀(あわれ)を見しる人をよしとする也(なり)。」(『紫文要領』)

【大意】人の哀れなる事を見ては哀れと思い、人のよろこぶのを聞いては共によろこぶ、 これすなはち人情にかなうというものです。物の哀れを知るというものです。人情にかなはず物の哀れを知らない人は、人の悲しみを見ても何とも思はず、人の悲しみを聞いても何とも思はないものです。 このような人をよくないとし、その物の哀れを見て知る人をよしとするのです。(『紫文要領』)

すなわち、宣長が「人の哀(あわれ)なる事をみては哀(あわれ)と思ひ、人のよろこぶをききては共によろこぶ、是(これ)すなはち人情にかなふ也(なり)。」というように、このような心こそ「“もののあはれ”を知る心」であり、「真心(まごころ)」なのです。

ですから、人は「真心(まごころ)」に生きるとき、自然と物(モノ)や事(コト)の心を深く感じるようになります。そうなると、他人の気持ちを推し量ることなく、その心を傷つけてまで、自分の思い通りに、自らの欲望の命ずるままに行動するというようなことは、とても少なくなります。

ただし、宣長が「さてこの真心(まごころ)には、智なるもあり、愚なるもあり、巧(たくみ)なるもあり、拙(つたな)きもあり、良きもあり、悪(あし)きもあり」というように、「真心(まごころ)」のままに悪をなす者は、皆無ではありません。

さらに、人だけでなく、神代の神々も、「真心(まごころ)」から善(よ)きこと、悪しきことをなしていたと、宣長は言います。

たとえば、スサノオの命(みこと)の行った悪事などは、「真心(まごころ)」からなした悪しきことのよい例だと思います。

 

スサノオの命は、死んだ母(イザナミ)の国へ行きたいと言って泣き叫び、それによって、緑の山が枯れ、河や海の水が干上がってしまい、世界が危機に瀕します。

 

神代では、悪神でさえ時(とき)に善事を行い、善神でさえ時(とき)に悪事を行う。古事記を読むと、最高の善神である天照大神(あまてらすおおみかみ)ですら、自分の行いを悔い改める神様なのですね。

また、生まれつき根っからの悪神というのもいます。禍津日神(まがつびのかみ)というのがそれです。宣長によれば、世の中に凶悪(まがごと)が起こるのは、すべてこの神が原因だということです。

確かに、この世の実相というものを考えてみれば、人間の理屈を超えた部分があり、善一色に塗りつぶしできるような単純なものではない気がします。

 


>抱いた思いを大切に生きていくこと、そこに漢意などがないのだとすれば、あるものは自分自身に対する責任だけだと思うのです。もしそこに罪悪の思いが生まれるとしたら、それを決して現実の形にしないようにしながら、周りの人への配慮を失わないようにしながら、全て抱えて生きていくこと。真心を大切に生きるという解釈は、以上に書いたことで合っていますでしょうか?<

その解釈で合っていると思います。「真心(まごころ)」というものを、見事にとらえていると思います。

普通、「周りの人への配慮を失わないように」したら、「真心(まごころ)」でなくなってしまうように考えるかもしれませんが、そうではありません。先に述べたように、宣長によれば、他人への思いやり、仲間への配慮なども、人が生まれながらに持っている心なのですね。

宣長は言います。

「世々の儒者(じゅしゃ)、身のまづしく賤(いやし)きをうれへず、とみ栄えをねがはず、よろこばざるを、よき事にすれども、そは人のまことの情(こころ)にあらず。おほくは名をむさぼる、例のいつはり也(なり)。(中略) ことわりならぬ ふるまひをして、あながちにねがはむこそは、あしからめ、ほどほどにつとむべきわざを、いそしくつとめて、なりのぼり、富(トミ)さかえむこそ、父母にも先祖にも、孝行ならめ。身おとろへ家まづしからむは、うへなき不孝にこそ有けれ。」(『玉勝間』)

【大意】「世の儒学者が、身の貧しく賤(いやし)いのを憂えず、富み栄えを願わず、喜ばないのを、立派なことにしていますが、それは人のまことの情(こころ)ではありません。その多くは、功名をむさぼる偽りというものです。(中略)  世の中の道理に外れたふるまいをしてまで、強引に富貴を望むのは、よくないのはもちろんですが、それ相応に勤めるべき仕事を勤勉に勤めて、身を立て出世をして、富み栄えることこそが、父母に対しても先祖に対しても、孝行をしたといえるのではないでしょうか。落ちぶれた境遇になり、家が貧くなってしまうようなことは、この上ない親不孝というものではないでしょうか。」(『玉勝間』)

これは、『玉勝間』の中にある「富貴をねがはざるをよき事にする諭(あげつら)ひ」という題の文章の一文です。

 

儒学者が名声をむさぼるあまり、富貴を願わず喜ばないのを、立派なことにしているが、それは人のまことの情(こころ)、すなわち「真心(まごころ)」ではないと言っています。

また逆に、自分が金持ちになるために、手段を選ばず、他人の不幸も気にかけず、欲望のまま強引に富貴を望むのも、「真心(まごころ)」ではないというのです。

結局のところ、自分ひとりだけが幸せであれば、他人は不幸でよいというような心は、宣長のいう「真心(まごころ)」ではありません。

自分と周りの人が一緒に幸せになるというのが、生まれながらの「真心(まごころ)」なのですね。

人というのは、自分ひとりだけが恵まれていても、周りの人が不幸せであれば、結局のところ、その境遇に満足できず、幸せを感じられないように生まれついているのではないでしょうか。

これは自分が、過去に幸せを感じた瞬間を振りかえったとき、確かにいえることではないかと思います。

物(モノ)や事(コト)に触れて、自然と心が動く。その心は、何ものにも染められていないまっさらな生まれたままの心であり、太古の神々が持っていた心映えと同じのなのです。

人が神代の神々と同様、その心のままに生きるとき、時(とき)にその中に悪しきことが混ざることはあっても、全体として見れば、自分と周りの人々が幸せになる方向に自然と向かうという宣長の主張は、私には強い説得力を持って聞こえてきます。

うまく答えられたかわかりませんが、長くなりましたのでこの辺で。

この度は、大変示唆に富んだご質問をいただき、私の方が啓発されました。心より感謝いたします。