仏教の説く四苦八苦の中に、愛別離苦(あいべつりく)という言葉があります。

これは、読んで字のごとく、人が生きていく上で決して避けることのできない「愛する者と別離する苦しみ」を表わした言葉です。

考えてみれば、人生の中で経験するさまざまな苦しみの中で、愛する者との別離は、私たちにひときわ大きな悲しみをもたらします。それまで住んでいた世界の見え方が、それを契機に一変してしまうこともめずらしくありません。

人の心を根底から大きく揺さぶるという意味で、これに勝る悲しみは、他にないのかもしれません。

そこに共通しているのは、出会うモノやコトが一様に光を失い、暗い闇の中に沈みこんでいくような様相を帯びてくることです。

今回紹介する大伴家持(おおとものやかもち)の歌は、そのような情景を詠ったものです。

 


題詞に、「天平(てんぴょう)十六年甲申(きのえさる)の春二月、安積皇子(あさかのみこ)の薨(こう)ぜし時に、内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)の作る歌六首」とあるので、西暦で言うと744年2月、家持27歳のときです。

当時家持は、聖武(しょうむ)天皇の唯一の皇子である安積皇子(あさかのみこ)に、その警護に当たる内舎人(うちとねり)として仕えていました。そして単に内舎人というだけでなく、藤原八束(ふじわらのやつか)邸の宴(うたげ)で同席するなど、家持と皇子はとても親しい関係にあり、青年ながら高雅な人柄を備えた安積皇子に、家持は人間的に魅(ひ)かれるものを感じていたようです。

新興の藤原氏が台頭する中、安積皇子はまた、家持たち旧貴族にとって、将来の皇太子有力候補として希望の星でもありました。家持自身、名門貴族大伴一族と自(みずか)らの将来を、皇子にすべて託すつもりでいたようです。

 

そして何より、武門である大伴氏の棟梁(とうりょう)であった家持は、彼の詠んだ「海行(うみゆ)かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行(やまゆ)かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」という歌のとおり、主君である皇子のためには自らの命さえ捧げる覚悟だったと思われます。

「この方に一生お仕えして、どこまでもお守りしたい。」

家持はそのように、心の中で決意していたのではないでしょうか。


ところが、天平十六年(744)正月十一日、安積皇子は聖武天皇の難波(なにわ)行幸(みゆき)の際に足の病(脚気)を発し、恭仁京(くにきょう)に帰って2日後に急死してしまいます。享年17歳の若さでした。

このとき書かれた家持のいくつかの歌を読むと、そこにはあたかも肉親を失ったかのような哀惜(あいせき)の念がほとばしり、家持の受けた衝撃と悲しみの大きさがわかります。今回は、その代表的なものを一つとりあげてみます。

あしひきの 山さへ光り咲く花の 散りぬるごとき わが大君(おおきみ)かも (万葉集巻3-477)

【大意】山全体を光輝かせるまでに咲いていた花が一瞬で散ってしまったように、ああ、はかなくも逝(い)ってしまわれたわが大君(おおきみ)さまよ。

「あしひきの」は山にかかる枕詞です。家持にとって、安積皇子の突然の死は、全山を光り輝かせ一面に咲き誇っていた花が一瞬で散ってしまったかのように、世の中が光明から暗黒に一変してしまう出来事だったのです。

それほど、家持にとって安積皇子は、単なる主君を超えて、心から愛すべき、本当にいとおしい存在だったのです。

まさに皇子の死は、家持の心からすべての光を、瞬時に奪いとってしまったのです。

そしてそれは、同時に、家持と大伴一族の行く末を明るく照らしていた光をも消し去ってしまったのでした。

それにしても、光あふれる世界が一時に暗転する情景の変化を、なんと鮮明に読む者の脳裏に深く刻みこんでくる歌でしょうか。

 

「山さへ光り咲く花の」という上の句の光に満ちた美の極致から、それが突如「散りぬるごとき」という下の句の漆黒(しっこく)の闇へ、雪崩(なだれ)をうって瞬時に移り変わる転調の激しさ。本当に言葉を失います。


家持の目に映るモノやコトがすべて忽然と光を失い、暗い闇の底に沈みこんでいく。その瞬間の心象世界の変転を、映像的にこれほど鮮烈に描写した歌が他にあるでしょうか。絶唱といっても過言ではありません。


外の世界にある光と闇。そして、私たちの心にある光と闇。

一方は、物理的なものであり、一方は心理的なものですが、つきつめていくと、それらはどうやら深いところでつながっているような気がします。

人が希望を持つとき、その目に映じる世界は光を増し、逆に絶望するとき、その世界は光を失い、闇が支配する。

「存在とは光である」という言葉をどこかで読んだ記憶があります。

私たちが最愛の存在を失ったとき、その心に映る心象風景は、今でもまさに、家持の詠んだこの歌の描く光景と寸分違わないものではないでしょうか。

まさに、今から1300年前に大伴家持の心に確かに実在したこの心象風景は、現代を生きる私たちが、今も人生の真っ只中で愛別離苦(あいべつりく)と出会うごとに、変わることなく再生され続けている。

その意味で、この歌のもつ時空を超えた普遍性と生命(いのち)は、未来永劫失われることはないのではないか。

この歌を読んで、そのような感慨を覚えました。

 


ところで、家持は、この悲しみと衝撃を乗りこえるため、どうしたのでしょうか。

それは、歌を詠むこと。彼には、それ以外に道はありませんでした。

家持は言います。

春日遅々(ちち)として鶬鶊(ひばり)正(まさ)に啼(な)く。悽惆(せいちゅう)の意、歌にあらずは撥(はら)ひ難(がた)きのみ。よりて此の歌を作り、もちて締緒(むすぼれたるこころ)を展(の)ぶ。 (万葉集巻第十九 4292の左注)

【大意】春の日はうらうらとして長く、ひばりが今鳴いている。痛み悲しむ心は歌でなくては払(はら)い難い。そこでこの歌を詠んで、それによって鬱屈(うっくつ)した心を晴らしたい。

すなわち、この悲しみは、歌以外のどのような方法でも取り除くことができないもので、歌の持つ言霊(ことだま)の力によってのみ、晴らすことができるものだというのです。

苦しみや悲しみ、日々の哀感を歌として詠い、昇華させる。

これが家持にとって、心の中に光をとり戻すただ一つの方法だったのです。

私たちも、大切なものを失ったとき、その真情をありのままに歌に詠むことで、その心と静かに向かいあい、見つめなおす。

それにより、自(みずか)らの苦しい胸のうちから、不思議と自分自身が救われた気がする。

この方法はとても小さな灯火(ともしび)のように見えますが、必ずや私たちの行く手(ゆくて)を照らす確かな光となってくれるのではないでしょうか。

長くなりましたので、この辺で。

先日、テレビで『君の名は。』というアニメ映画が放映されていました。

私は、普段、テレビを見る習慣がないのですが、この映画は、国内はもとより海外でも大きな話題になったとのことで、興味を持ち、録画して見てみました。

その中で、神道の「ムスビ」という言葉がとり上げられるシーンがあり、その内容に少なからず驚かされました。

この場面だけでなく、この映画自体、「ムスビ」という言葉が、その全体を貫く大きなテーマとなっていて、シナリオライターや監督、関わったスタッフ達が、この「ムスビ」という言葉を、かなり深くまで理解した上で、それを映画の隅々まで、巧妙に織り込んで作品を作っているように感じられ、その神経の行き届いた瑞々(みずみず)しい表現には、何度も唸らされました。

以下に、映画の中で、主人公である宮水三葉 (みやみずみつは)の祖母が、「ムスビ」について語る台詞を書き出してみます。

 「土地の氏神(うじがみ)さまのことをな、古い言葉で産霊(むすび)って呼ぶんやさ。この言葉には、いくつもの深いふかーい意味がある」
 
 「糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ同じ言葉を使う。それは神様の呼び名であり、神様の力や。ワシらの作る組紐(くみひも)も、神様の技、時間の流れそのものをあらわしとる。」

「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ。」

 



以上で明らかなように、この映画では、「ムスビ」とは、端的に言えば、ものを結びつけることであり、結びつけることで、新たなものを生み出す(蘇らせる)ことであり、その正体は、時間に他(ほか)ならないと言います。

以前、「本居宣長の時間論」の記事で書きましたが、時間とは、物(モノ)や事(コト)が変化し、人がそれに気づくところに生まれます。

そして、物・事の変化とは、実物が実物を生み続けることであり、一瞬一瞬新たなものが生まれいづること。それは、一切の理屈を超えた不可思議な「神の御所為(みしわざ)」であり、その根底に「ムスビ(産霊)の神」がいます。

ここで、江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』を紐解きながら、この「ムスビ」という言葉について考えてみたと思います。

以下に、『古事記伝』から、「ムスビ」に関する宣長の言説を引用します。

産巣日(むすび)は、字は皆(みな)借字(かりもじ)にて、産巣(むす)は生(むす)なり。其(そ)は男子(むすこ)女子(むすめ)、又(また)苔(こけ)の牟須(むす)【万葉(まんよう)に草武佐受(くさむさず)などもあり。】など云(いう)牟須(むす)にて、物の成出(なりいづ)るを云(い)ふ。

日(び)は、書紀に産霊(むすび)と書(かか)れたる、霊の字よく当れり。凡(すべ)て物の霊異(くしび)なるを比(ひ)と云(いう)。(中略) 比古(ひこ)比売(ひめ)などの比(ひ)も、霊異(くしび)なるよしの美称(たたえな)なり。

されば産霊(むすび)とは、凡(すべ)て物を生成(うみな)すことの霊異(くしび)なる神霊(みたま)を申すなり。


【語釈】霊異(くしび): 不思議。神秘。霊妙。

 



このように、宣長は、「むすび」の「むす」とは、「生(む)す」であり、「物の成り出づる」ことであるといいます。

例えば、「男子(むすこ=息子)」「女子(むすめ=娘)」は、「生(む)す子」「生(む)す女」。男女が「結ばれる」ことで、「生(む)す子」「生(む)す女」が生まれるというわけです。

異なったものが「結ばれる」ことで、新たなものが生まれるのは、何も人間のみに限った話ではありません。水素と酸素が「結ばれる」ことで、水という新たなものが生まれるように、物質の世界でもこれはまったく同じです。そして、物(モノ)の世界だけでなく、事(コト)の生起する事象の世界でも、正反合の弁証法のように、ある出来事とある出来事とが出会い、「結ばれる」ことで、全く新たな出来事が起こるのです。

次に、「むすび」の「び」とは、「すべて物の霊異(くしび)なるを“ひ”といふ」とあるように、物を生み成すことの神秘的かつ不思議な霊力を指す言葉です。例えば、「比古(ひこ=彦)」「比売(ひめ=姫)」の“ひ”も、物を生み成す不思議な霊力を称える美称です。

以上から明らかなように、「むすび」とは、「すべての物を生み成す霊妙かつ不可思議な神霊(みたまとその力)」を指す言葉ということになります。

宣長はさらに言います。

さて世間(よのなか)に有(あ)りとあることは、此(こ)の天地(あめつち)を始めて、万(よろ)ずの物(モノ)も事業(コト)も悉(ことごと)に皆、此の二柱(ふたはしら)の産巣日(むすび)の大御神(おおみかみ)に資(より)て成リ出(いず)るものなり。

(中略)

大かた是(こ)れらを以(もっ)て、世に諸(もろもろ)の物類(モノ)も事業(コト)も成(な)るは、みな此(こ)の神の産霊(むすび)の御徳(みめぐみ)なることを考へ知(しる)べし。凡(すべ)て世間(よのなか)にある事の趣(おもむき)は、神代にありし跡(あと)を以(もっ)て考へ知べきなり。古(いにし)ヘより今に至るまで、世の中の善悪(よしあし)き、移(うつ)りもて来(こ)しさま(様)などを験(こころ)むるに、みな神代の趣(おもむき)に違(たが)へることなし。今ゆくさき万代(よろずよ)までも、思ひはかりつべし。

(中略)

又(また)書紀に、「皆(みな)此神(このかみ)の御児(みこ)千五百座(ちいほくら)ありつ」とある。千五百(ちいほ)は、ただ数の限りなく多きを云例(いうたとえ)なれば、あらゆる神たちを、皆(みな)此神(このかみ)の御児(みこ)なりと云(いわ)むも違(たが)はず。神も人もみな此神(このかみ)の産霊(むすび)より生(なり)出(い)づればなり。拾遺集(しゅういしゅう)の歌に、「君見れば、むすぶの神ぞ恨(うら)めしき、つれなき人を何(なに)造(つく)りけむ」とよめるは、そのころまではなほ、世の人も古(いにし)ヘの意(こころ)をよく知れりしなり。

 

ここで宣長は、神も人も含め、世の中にあるありとあらゆる物(モノ)と事(コト)は、ことごとくこの「むすび(産霊)の神」の御徳(みめぐみ)によって生み成されたものであること。そして、すべて世の中にある事(コト)の移り変わっていく様子は、神代にあった事跡をもって考え知べきであると言います。

なぜなら、善きこと悪(あ)しきことが、代わる代わる起こり、移り変わって行く世の中の様(さま)は、大小を問わず、ひとつ残らず、神代に「むすび(産霊)の神」によって生み成された事跡の反映に他ならないからであり、それは、これからも未来永劫変わることなく、今と同じように、思いめぐらすことができると言います。

ところで、この世のことを「現し世(うつしよ)」ともいいますが、宣長に言わせると、まさに「現し世(うつしよ)」とは神代の「映し世(うつしよ)」であり、「むすび(産霊)の神」によって生み成された神代の事(コト)の連(つら)なりが雛形(ひながた)となり、この現世に映し出されたものなのです。

【注】ここのところは、とても深い意味が秘められているようなのですが、ここではこれ以上触れません。

 

以上のことを土台に、「ムスビ」について考えてみると、以下のように言えるでしょうか。

すなわち、私たちの生命(いのち)そのものが産霊(むすび)の神から生み出され、なおかつ、私たち自身もさまざまな物(モノ)や事(コト)を生み出し続けているという事実は、産霊(むすび)の神による世界生成の営みが、外でもなく、私たちの生命(いのち)・存在を通してなされているということを意味します。

いわば、私たち自身が産霊(むすび)の神から生み出されるとともに、同時に、私たちの生命(いのち)を通路として、産霊(むすび)の神の御霊(みたま)が発動し、この現世(うつしよ)が生成されているということになります。

つまり、今この瞬間も、私たち人間という存在を通して、神様が世界を生成・創造しているのです。

しかも、その生成は、神代という久遠の過去より、現在に至るまで、一瞬たりとも途絶えることなく続いています。

ここにおいて、始原と現在が一つに結ばれ、神代即今(かみよそくいま)、今即神代(いまそくかみよ)が現成(げんじょう)します。直線的に、一方向に不可逆的に進む時間という観念が否定され、乗りこえられるのです。

冒頭にあげた『君の名は。』という映画の中でも、宮水三葉と立花瀧という二人の主人公が、産霊(むすび)の力によって、現在、過去という時間を超えて出会う場面が描かれています。

産霊(むすび)の力によって、時間が生み出されるとともに、それが刹那に無化されるのです。いわば、こうした時間をつかさどる根源的存在として、産霊(むすび)の神が存在しています。

まさに「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ。」

言い得て妙です。



このように、物(モノ)と事(コト)が織り成すこの「映し世(うつしよ)」で、今も私たちに働きつづける産霊(むすび)の力。

そして、私たちが産霊(むすび)の神によって生み出された物(モノ)と事(コト)に触れるとき、あるがままに心が動く。これもまた産霊(むすび)の力。心の動きは、自然とそれに適(かな)う行動を生み出し、次々と新たな物(モノ)や事(コト)との出会いを引き寄せる。

こうして、私たち自身が産霊(むすび)の御霊(みたま)の当体として生きるとき、その動き働くところ、刻々と新たな世界が生まれ、新たな時が作られていく。

そのとき、私たちは、知らず知らずのうちに、神代の創世の神秘に立ち会っているのであり、神代という原初の時が、私たちの生命(いのち)を通して、現(うつつ)に顕現しているのです。

思うに、宣長の言う、今に神代を生きるとは、このことではないかという気がします。私たちが日々それを自覚しながら生きるとき、自らの目に映る世界は、次第に瑞々(みずみず)しい光を帯びて輝いてくるのではないでしょうか。

そしてそれは、私たちがこの世に生を受けて誕生し、初めて目を見開いたとき、その目に映じた世界の眩(まばゆ)いまでの輝きに似た光景かもしれません。

産霊(むすび)については、いくら語っても尽きることはありません。

今回はこの辺で。

今回は、江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)の思想について、インド・ヒンドゥー教の思想と関連させながら論じてみたいと思います。

 

前回まで5回にわたり、インドのヒンドゥー教の神について書いてきましたが、その言わんとするところは、この世に存在するすべては、宇宙の最高原理である“ブラフマン(梵)”すなわち神様そのものということでした。

つまり、私の身体はもちろん、周りにいる人やさまざまな動物、花や草木、山や川、そして海や空、太陽、月、星々に至るまで、天地万物はすべて大いなる生命(いのち)である神様の一部なのです。言いかえれば、この世には、神様のいないところなど、どこにもないということになります。

こうした考え方は、わが国固有の信仰である神道のそれに、とても似ているといえるかもしれません。もちろん厳密にいえば、「神」というもののあり方そのものが、ヒンドゥー教と神道では異なるところがあるのですが、これについては、また別の機会に論じてみたいと思います。

【注】 本居宣長の説くわが国の「神(カミ)」あり方については、こちらを参照。宣長が、「唐(から=中国)の如く、其(その)霊(くしび)なる所を云(いう)とは異(ことなる)也(なり)」(『鈴屋答問録』)と言うように、わが国では、霊妙不可思議な「働き」、神秘的な「理(ことわり)」などを「神(カミ)」というのではなく、この世に存在するあらゆる奇異(くすしくあやし)き「物」と「事」の中で、一際(ひときわ)奇異(くすしきあやし)さの度合いが高く、「可畏(かしこ)きもの」にまで昇華したものを、その「実物」を直(じか)に指して「神(カミ)」というのです。またそれは、善悪や賢愚、貴賎などを超えた存在でもあります。

 


一般に神道では、人は神様の子であり、神様の分霊(わけみたま)をいただいて生まれてきたといいます。

古事記を見ると、人だけでなく、「産霊(ひすび)」の力によって、天(あめ)地(つち)をはじめとした万物がつぎつぎと生み出されていくさまが、神々の誕生という形(かたち)をとって語られています。

それは、キリスト教やイスラム教などの一神教のように、全知全能の絶対神が万物を創造するといった趣(おもむき)とは異なり、宇宙自体が、神の中に生み落とされ、神と共に成長し、永遠に万物が生まれつつ弥栄(いやさか)していく様相であり、『産巣日(むすび)の神』の御霊という「実物」が、万物という「実物」を次々と生んでいく世界です。すなわち、「神」が「神」を、言いかえれば、「物」が「物」を、「事」が「事」を生むのです。古事記では、これを「成る」という言葉で表現しています。

あたかも、大いなる生命(いのち)が呼吸するたびに、万(よろず)の生命(いのち)が刻々と生まれに生まれていく。その世界生成の営みは、現在に至るまで一瞬たりとも止まることなく続いています。

本居宣長は言います。

此(この)世中(よのなか)の惣体(そうたい)の道理を、よく心得(こころえ)おくべし。其(その)道理とは、此(この)天地も諸神も万物も、皆ことごとく其本(そのもと)は、 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)と申(もう)す二神の、産霊(むすび)のみたまと申(もう)す物によりて、成出来(なりいでき)たる物にして、世々(よよ)に人類(じんるい)の生(うま)れ出(いで)、万物万事の成(なり)出るも、みな此(この)御霊(みたま)にあらずといふことなし。(中略) 抑(そもそも)此(この)産霊(むすび)の御霊(みたま)と申すは、奇々妙々(ききみょみょう)なる神の御(み)しわざなれば、いかなる道理によりて然(しか)るぞなどいふことは、さらに人の智慧(ちえ)を以て、測識(はかりしる)べきところにあらず。(『玉くしげ』)

【大意】 まず第一に、この世の中の総体の道理を、よく心得ておかなくてはならない。その道理というのは、この天地も諸神も万物も、皆ことごとくその根本は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)という二柱の神の「産霊(むすび)の御霊(みたま)」(物や事を産み出す神霊)というものによって、生まれ出たものであって、世に人類が生れ出たり、万物万事が現われ出るのも、皆この「御霊(みたま)」によらないということはないのである。(中略) 一体、この「産霊の御霊」というものは、とても不思議な神の御(み)しわざであるから、いかなる道理によってそうなるのかなどということは、人の知恵をもっては、全く推量して識(し)ることのできるものではない。

 


このように宣長は、『古事記』神代編の記述をもとに、わが国においては、この世に生まれた生命(いのち)だけでなく、神々に至るまで、存在するあらゆる物や事(万物万事)が、「産霊(むすび)の御霊(みたま)」(物や事を産み出す神霊)によって生み出されたものであることを明らかにします。

しかし、「産霊(むすび)の御霊(みたま)」というものの正体は不可思議そのものであり、万物万事がどうして、またどのような仕組みでこの世に生み出されたのかは、人間の知恵では、到底はかり知ることはできないものなのです。

宣長は言います。「すべて物の理(ことわり)は、つぎつぎにその根源を推し量り、極めつくしていったとしても、どのような理由とも、どのような道理とも知ることができるようなものではない。終いには皆、不可思議なところに落ち込んでいってしまうのだ。(趣意)」(『玉勝間』)

存在の根拠はどこまでいっても謎であり、人間理性では、永遠に極めつくされることはないという事実。にもかかわらず、物や事が眼前に存在しているという不思議。宣長はこれを「奇異(くすしきあやし)さ」という言葉で表現します。

宣長は言います。

すべて神代(かみよ)の事どもも、今は世にさることのなければこそ、あやしとは思ふなれ、今もあらましかば、あやしとはおもはましや。今世にある事も、今あればこそ、あやしとは思はね、つらつら思ひめぐらせば、世の中にあらゆる事、なに(何)物かはあやしからざる。いひもてゆけば、あやしからぬはなきぞとよ。 (『玉勝間』)

【大意】 総じて神代の事は、今の世の中にそのようなことがないから不思議だと思うけれども、もし今もあったとしたら、不思議だと思うだろうか。今世の中にあることも、今あるからこそ、不思議とは思わないのだが、よくよく思慮を巡らせば、世の中にあるあらゆることの中で、何ものが不思議でないだろうか。せんじつめれば、不思議でないものは何一つとして存在しないのだ。

まさに、存在するすべての「物」や「事」は、おのおのその根底に測り知れない「奇異(くすしきあやし)さ」を秘めて、今、私たちの目の前に立ち現れているのです。

 


ここで、上記の宣長の言葉を、宣長自身の「神(カミ)」の定義である「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云(いう)なり。」(古事記伝)」という言葉、また「又(また)人ならぬ物には、雷は常にも鳴る神、神鳴りなど云(い)へば、さらにもいはず、龍樹霊狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり。」「又(また)海山などを神と云(いえ)ることも多し。そは其(そ)の御霊の神を云(いう)に非(あら)ずて、直に其(そ)の海をも山をもさして云(いえ)り。此(こ)れもいとかしこき物なるがゆゑ(え)なり。」という言葉とあわせて考えてみましょう。

「可畏(かしこ)き物」とは「畏怖・畏敬すべきもの」といった意味ですが、宣長は「すぐれてあやしき物」とも言っており、要は「奇異(くすしきあやし)さ」を持ち、「可畏(かしこ)き」ものは、すべて「神(カミ)」なのです。

ということは、前述のように、この世に存在するすべての「物」や「事」は、おのおのその根底に測り知れない「奇異(くすしきあやし)さ」を秘めているわけですから、総じて言えば、この世に存在する万物万事、皆ことごとく神(カミ)そのもの、神(カミ)の現われということになります。

そもそも万物万事は、産霊(むすび)の神が生み出した時点で、神の分霊(わけみたま)であり、すべて親である神様の御霊(みたま)を生き写しで受け継いでいるのですから、この世を神(カミ)の現われと捉えることは、とても自然なことといえるでしょう。神道でいう「八百万(やおよろず=無数の意)の神」という言葉は、まさにこのことを示しています。

さらに宣長は、この世に存在するあらゆる「物」が、「物」そのものとして、おのおの「性質情状(あるかたち)」を自(おの)ずから備えているのは、もはや「神の御所為(みしわざ)」という外ないと言いいます。

つまり、「奇異(くすしくあやし)き」ところから、「神の御所為(みしわざ)」を導き出してくるのです。

そして、「神の御所為(みしわざ)」によって生み出された、「物」そのものの持つ存在感と「性質情状(あるかたち)」は、形容しようにも言葉にならず、ただ深く心に感じるあまり、思わず「ああー」という「嘆息の辞」の外に、何の表現のしようがありません。

この「嘆息の辞」を、宣長は「あはれ」という言葉の原義としています。ここであの有名な“もののあはれ”が引き出されてくるのです。

【注】 “もののあはれ”とは、対象である物(モノ)・事(コト)のもつ「心」、すなわち「性質情状(あるかたち)」に、自己の心が染められ動かされ、「あはれ!(=ああー!)」という「嘆息の辞」を伴って、その瞬間の心模様が「情」として結晶化したものです。その “あはれ”は、対象である物(モノ)・事(コト)があらかじめ備えもっているものであると同時に、それに動かされるままに感じている自分自身の心模様でもあります。“もののあはれ”の詳細はこちらを参照。

 


宣長は、“もののあはれ”について、以下のようにも述べています。

世の中にあらゆる事に、みなそれぞれに物の哀れはあるもの也(なり)。(『紫文要領』)

物の哀(あはれ)という事は、万事にわたりて、何事にも其事(そのこと)其事につきて有物(あるもの)也(なり)。(『紫文要領』)

これらの言葉から明らかなように、“もののあはれ”は、私たちが想像するような、人間の感情の一種ではありません。この世のありとあらゆる物や事に、その固有な存在様式として、すなわち「性質情状(あるかたち)」として、あらかじめ遍在しているものなのです。

そして“もののあはれ”を感じているとき、私たちの心の奥底には、自らの眼前に、物が物として、事が事として、おのおの固有の「性質情状(あるかたち)」をもって厳然と存在しているという、存在の「奇異(くすしあやし)さ」に対する根源的な驚きがあります。

このように宣長にとって、「物」が各々その「性質情状(あるかたち)」をもって眼前に存在しているというただそれだけのことが、「神の御所為(みしわざ)」としかいいようのない、驚愕に値する不可思議でありえないことなのです。

 


ここで、冒頭に触れたインドのヒンドゥー教の思想と対比して考えてみると、ヒンドゥー教の思想では、この世界に遍在しているのは宇宙の最高原理である“ブラフマン”であり、言いかえると、この世界はブラフマンの現われとして捉えられていましたが、宣長の思想においては、世界に遍在しているのは、“もののあはれ”あり、人間にとって、世界は“もののあはれ”の現われとして捉えられているということになります。

そして、宣長は「とにもかくにも、人はもののあはれを知る、これ肝要なり。」と言い、“もののあはれ”を知る生き方を最重要視します。

つまり、インドのヒンドゥー教思想では、宇宙および自己に遍満する“ブラフマン”を悟ることを人の生きる究極の目的としているのに対し、宣長は、“もののあはれ”を知ることを、人の生きる究極の目的としているのです。

インド・ヒンドゥー教の宗教的かつ形而上学的な色彩を帯びた“ブラフマン”という言葉と、“もののあはれ”という極めて人間の実感・実情に根ざした言葉との間にあるコントラスト。

このように二つを並べてみると、本居宣長という人が“もののあはれ”を説くことで一体何をしようとしたのか。そのことが少しずつ見えてくるような気がします。

それをあえて言うと、宣長は、「神の御所為(みしわざ)」を説き、深く宗教的世界に入っていくように見えながら、実は、あらゆる宗教が生まれてきた淵源であるところの、人に宗教心が生まれる直前の真情にまで遡り、そこをさらに突き抜けることで、宗教の持っているドグマ(教義)を解体しつつ、最終的にそれらすべてを包含する、より根源的で普遍的な生き方を提示しようとしているように見えるのです。そして宣長にとって、まさにそれが「“もののあはれ”を知る」という生き方だったのです。

こうしてみると、宣長が明らかにしようとしたのは、すべての人間が生みの親である神様から授かり、生まれたときから備え持っている「もとのままの心」であり、言いかえれば、宗教や形而上学が発生するはるか以前に“原初の人間”が持っていた「心ばえ」、すなわち「“もののあはれ”を知る心」であったといえるかもしれません。

さらに言えば、私たちが“もののあはれ”に生きるとは、生みの親である神様の心のままに生きるということであり、それはすなわち、今の現(うつつ)に神代(かみよ)を生きるということなのです。そのとき、人は限りある生命(いのち)を超えて、刹那に永遠を現成(げんじょう)させながら生きることができるのではないでしょうか。

 

「神代即今」 「今即神代」

「神代」は、“もののあはれ”に生きる人の目の前に、今この瞬間にも、刻一刻と出現し続けているのです。

 


最後に、宣長の以下の言葉を引用して、この稿を終わりたいと思います。ここには、“もののあはれ”に生きる歓び、すなわち宣長の考える、人がこの世に生を享(う)けて感じることのできる最高の歓びが、包み隠さず語られています。

霞(かすみ)と共に春たちかへるあしたより、雪のうちに年の暮れゆくゆふべ迄(まで)、物ごとに何かはあはれならざらん。あたら花鳥の色もね(音)をも、いたづらに見ききすぐして、ひと言の詠(ながめ)もなくむなしくあかしくらさんは、いみじういふかひ(甲斐)なく口おしき事なりかし。おりふしごとにあはれにもおかしくもうち覚えむ事にふれて、よくもあしくも一言つづりいでて、おもふ心をのべたらんは、うき世のおもひ出なに事かはこれにまさらん。(『石上私叔言』)

【大意】 霞(かすみ)と共に春たちかえる朝より、雪のうちに年の暮れゆく夕べまで、物ごとにどうして“あはれ”でないものがあるだろうか。あたら花鳥の色も音(ね)をも、いたずらに見聞き過ごして、ひと言の感慨を歌うこともなく、空しく日々を過ごすのは、大変つまらなく残念なことだ。折節ごとに、“あはれ”にも面白くも感じるような事にふれて、上手であろうが下手であろうが、一言でも詠み出して、思う心をくつろがせることができれば、今生(こんじょう)の思い出として、これ以上のものがあるだろうか。

(おわり)

前回まで4回にわたり、インド思想編ということでヒンドゥー教の神について書いてきましたが、結局のところ、ヒンドゥー教の思想を自分なりに突きつめると、この世に存在するすべての物(モノ)や事(コト)は、宇宙の究極の存在である“ブラフマン(梵)”の現われということなのです。言いかえると、この世には神様しか存在しないということになります。

そして、これをもっとわかりやすく、私たちの身近に引きつけて言うと、「今自分が取り組んでいるこの瞬間の仕事が神様の仕事であり、神様は今、自分の目の前にいる人という形をとって現れている」ということなのです。

すなわち、神様は今私たちの目の前に、子供や親、恋人、友人といった愛する人の形をとって、現(うつつ)に顕れているのです。“バクティ(信愛)の道”とは、その目の前の神様に、エゴを超えて、全身全霊でお仕えすることなのです。自分の思い、言葉、行為を、一切の見返りを求めることなく、すべて目の前にいる神様に捧げるつもりで日々を生きるのです。

そのとき、信愛の対象との間に刹那に生じた美しい心の結晶。そこに現われた神々しい瞬間は、まさに刹那でありながら永遠、歓喜・至福そのものであり、すなわち“サット・チット・アーナンダ(絶対の存在、絶対の智識、絶対の歓喜)”に外なりません。それが、ヒンドゥー教において、生きながらこの世に神の世界を現出させる最も自然な方法なのです。

 


このような考え方は、今に至るまでインドのヒンドゥー教徒たちの中に深く浸透していて、たとえば、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインド・ベンガルの詩人 ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore 1861年 - 1941年)の詩にも、色濃く表わされています。

彼の詩集『ギタンジャリ』より、いくつかの詩を引用します。

 



わたしの いのちのいのちである あなたよ。
わたしの からだを
いつも 清(きよ)くしておきましょう。
あなたの生命(いのち)のみ手が
わたしの手足の端はしに ふれることを知りましたから。
わたしの想いのなかから まことでない思いを すべてしりぞけましょう。
あなたこそ わたしの心に まことの光を ともしたもうた
真理(まこと)そのもののお方であることを 知りましたから。
わたしのこころから あらゆる罪を追い出して
わたしの愛を 花咲かせましょう。
わたしのこころの奥の殿堂(みや)に
あなたが み座をおきたもうことを 知りましたから。
わたしの行うことに あなたがあらわれるように わたしはつとめましょう。
わたしに おこなう力を下さるのは
あなたであることを 知りましたから。


「わたしの いのちのいのちである あなた」とは、タゴールの信仰していた、宇宙の維持神とされるヴィシュヌ神のことです。「わたしのいのち」のさらに奥にあって、私を生命(いのち)たらしめている大生命ともいうべき大いなる存在のことであり、『インド思想編-ヒンドゥー教の神について (その1)』で説明した、宇宙の究極の存在である“ブラフマン(梵)”のことでもあります。

そして、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想においては、人間の生命(いのち)の実体である“アートマン(魂・真我)”は“ブラフマン(梵)”と同一ですから、「わたしのこころの奥の殿堂(みや)に あなたが み座をおきたもうことを 知りましたから。」という言葉が出てくるのです。

ここにおいて、神とは私たち人間の外にいて、天の彼方から万物を支配しているような隔絶した存在ではなく、私たちの生命(いのち)のそのものが神なのです。神を全体、すなわち大いなる生命(いのち)とすれば、私たちはその神の一部ということができます。自分の生命(いのち)の外に神がいるのではなく、神と人は元々つながった一つの存在なのです。

20

蓮(はちす)の花が咲いた時 ああ わたしの心は
さ迷っていて それを知らなかった。
わたしの篭は 空っぽで
花に気付きもしなかった。

ただときどき 悲しさがわたしの上に来て
わたしは 夢からふと目覚め
南風の中に妙な香りの
あまい跡を 感じた。

そのほのかな 甘さが
わたしの心をあこがれで痛めた。
それは 夏が終わろうとするための
切ない吐息とも思えた。

その時 わたしは知らなかった その花が
そんなに近くにあり
又わたしのものであることを。
この上ないやさしさが 花開いたのは
わたしの心の底であったことを。


この詩でも、「蓮(はちす)の花」が、神すなわち“ブラフマン”として詠われています。しかし普段、私たちは、「その花が そんなに近くにあり 又わたしのものであること」になかなか気づきません。

59

そうです 私はよく知っています すべてあなたの愛に ほかならぬことを
心から愛するものよ
草の葉の上に踊る この金色の光も
大空に 帆をかけて行く ものうげな雲も
わたしの額のうえに 涼しさを残してゆく このそよ風も。

朝の光が 私の眼に 溢れている――
これが あなたの私の心への ことづてです。
あなたのお顔は 高いかなたから 私のうえに くだり
あなたの瞳は 私の眼を 見下ろしていられる
私のまごころは あなたのみ足に 触れました。


このように、「草の葉の上に踊る この金色の光も 大空に 帆をかけて行く ものうげな雲も わたしの額のうえに 涼しさを残してゆく このそよ風も」すべて、神すなわち“ブラフマン”の現われなのです。そして、その尊い存在は、今この瞬間に、「朝の光が 私の眼に 溢れている」ように、私たちの目の前に現(うつつ)に顕れているのです。

69

ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが
世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。
そのいのちが 喜びとなってほとばしり
大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ
木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。
そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに
満ちたり引いたりしながら揺られている。
このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる
そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている
幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。



「ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れ」。これこそ、宇宙にあまねく行きわたり存在する大いなる生命(いのち)、“ブラフマン”のことなのです。それは、個人の生命(いのち)においては“アートマン(魂・真我)”と現われ、「そのいのちが 喜びとなってほとばしり 大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ 木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる」のです。

「そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに 満ちたり引いたりしながら揺られている。」

これが私たち一人ひとりの人生であり、人が生きるということなのです。まさに神である大いなる生命(いのち)の中に現われ、漂い、そして消えていく。

その大いなる生命(いのち)の流れは、久遠(くおん)の過去から無数の「幾世代のいのち」を貫いて、今この瞬間、私たちの血潮の中で絶え間なく脈動しているのです。

こうして書いていると、自分の主要テーマである江戸時代の国学者 本居宣長の次の言葉が思い出されてきます。

そもそも此(この)天地(あめつち)のあひだに、有りとある事は悉有(ことごと)に神の御心(みこころ)なる (直毘霊)

 

【大意】そもそもこの天地の間のありとあらゆることは、ことごとく神の御心であるよ。

インドのヒンドゥー教の思想と本居宣長の思想。

もちろん両者の間にはさまざまな違いはありますが、それらを超えて共通する部分も多いように感じます。次回は、それについて書いてみたいと思います。

 

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【引用】 『ギタンジャリ』の詩:「タゴール詩集/新月・ギタンジャリ」アポロン社、訳:高良とみ。

(前回のつづき)

 

なぜ、非人格的な宇宙の真理であるブラフマンが、人格をもつ神様の姿をとるのでしょうか。

一般にヒンドゥー教では、解脱に至るための方法が四つあります。

知性によって梵我一如を悟る智識の道(ギャーナ・ヨーガ)。結果を顧みず、自らの義務(ダルマ)に献身奉仕することで悟りに至る行為の道(カルマ・ヨーガ)。至高の存在へ無償の愛を捧げることで神に到達する信愛の道(バクティ・ヨーガ)。精神の統御によって悟りに至る瞑想の道(ラージャ・ヨーガ)です。

その中で、最も自然で、誰もが行えるのが、信愛の道(バクティ・ヨーガ)です。

バクティとは、最高の人格神に、自分の肉親に対するような無条件の愛の情感を込めながら、絶対的に帰依することです。ヒンドゥー教に特徴的な信心の形態で、普通、「信愛」と訳されます。

人格神を、あたかも自分の血を分けた実の子供や、愛する恋人に見立てて、全身全霊でバクティ(信愛)を捧げることで、その恩寵(おんちょう)により解脱(げだつ)を目指す考えです。

知識や理論よりも、何より感情によって、一心に神を愛することが求められます。

この思想は、紀元前5世紀頃に成立したとされる『バガヴァッド・ギーター』によって全面に押し出され、7世紀頃に南インドでバクティ思想として確立し、広く説かれるようになりました。

智識の道(ギャーナ・ヨーガ)や瞑想の道(ラージャ・ヨーガ)などは、ウパニシャッドに説かれた深遠な理論を理解できる知的エリートだけに可能でしたが、このバクティ信仰は、カーストの低い一般民衆にも十分に実践が可能であり、難解なブラフマンとアートマンの理解やヴェーダの祭祀によらなくとも、神の救済がもたらされることから、後に全インドで爆発的に広がりました。

 

                       クリシュナ神と母ヤショーダ

 

あたかも赤子が全身全霊で泣いて母親を求めるように、そして、母親が我が子を一切の見返りを求めず抱きしめるように、自分を捨てて神様を無条件で愛し抜く。

それによって、「私が」「私のもの」という、解脱を妨げる無明の根源であるエゴ(自我)を脱落させ、無償・無我の行為を通して、神様と合一する。これがバクティの真髄とされます。

 

そして、ここが大切なところですが、バクティには、その信愛を捧げる目に見える具体的な対象が必要となります。

なぜなら人は、抽象的な原理や理論などの形ないものを、本気で愛することはできないからです。

すなわち、人が全身全霊で何かを愛そうとするとき、それは、自分の子供や恋人など、最も親しい人の形を取らざるを得ないのです。

特に、冒頭に挙げたブラフマン(究極の真理)のように、形(かたち)のない無限の存在に対し、深い愛を育むのは、普通の人にとって、とても困難なことでしょう。

だからこそ、人々のブラフマンを希求する意識が具現化し、それが形(かたち)ある神や女神といった、さまざまな人格神の姿をとって現われるのです。

これを、ヒンドゥー教の神学の立場から見れば、ブラフマンが、人々の信愛に応えるため、人格神の形をとってこの世に現われたというように解釈されるのでしょう。

そして、最終的には、そうして生まれてきた人格神が、そのまま宇宙の真理であるブラフマンと次第に同一化されていくのではないでしょうか。

現に、シヴァ神やヴィシュヌ神、そしてクリシュナ神も、ヒンドゥー教のさまざまな流派で、宇宙の真理であるブラフマンと同一の究極的存在であると解釈されています。

さらに調べてみると、神に信愛を捧げるという素朴な信仰の形は、紀元前5世紀頃に成立したとされる『バガヴァッド・ギーター』より以前のヴェーダ文献にも、その萌芽が散見され、その源流は、人格神の出現と同様に、極めて古いものであることがわかりました。

 

               クリシュナ神と恋人ラーダ

 

以上、いろいろと書いてきましたが、南インドで体験した出来事をきっかけに、ヒンドゥー教におけるシヴァ神やヴィシュヌ神、クリシュナ神といった多くの人格神の存在が、究極の真理である非人格的なブラフマンの存在と、いったいどのような関係にあるのかという疑問に対し、自分なりに答えらしいものを得ることができました。

通り一遍の書物の知識としてでなく、生の体験に基づく生きた知識として、このことが理解できたことは、当時の私にとって、とても貴重な財産となりました。

インドという風土で、悠久の時間の中で育まれてきたヒンドゥー教の神々とその教えは、捉え方によっては、一つの宗教の枠を超えて、人の生きていく道に、大きな恵みの光をもたらしてくれるものであることは、間違いありません。

たとえヒンドゥー教徒でなくとも、自分も他者も、根底では宇宙の究極真理であるブラフマンと同一の存在であると信じ、自己および他者の中に、ブラフマンの本性であるサット・チット・アーナンダ(絶対の存在、絶対の智識、絶対の歓喜)を見出しながら生きていく。

言いかえれば、自己および他者の存在の底に、至高の神に通じる尊いものを見出し、それに心からの誠を捧げるという信愛の行為を通じて、人生において、生命や愛にまつわるさまざまなことを、他者との交わりの中で学び、日々魂を磨いていく。

そういった生き方を選択し、実践していくと決意したとき、インド思想は、その行く手を照らす、一つの確かな灯火となってくれるのではないでしょうか。

 



以上、インドでの経験を通して、当時、自分なりに考えたことを書いてきましたが、それでは、現在の自分の主要テーマである江戸時代の国学者 本居宣長の思想や神道の神のあり方から考えると、これらはどのように捉えられるのか。

それについては、また別の機会に書いてみたいと思います。

 

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