海彦の本居宣長研究ノート「大和心とは」については、こちら から。

今回は、“漢意(からごころ)”の取り除き方について書いてみたいと思います。

実は“漢意(からごころ)”を取り除く方法はいくつかあるのですが、今回紹介するのは、理屈好きのタイプ、すなわち何事でも理屈で考えて納得しようとするタイプの人に有効な方法です。

まずは“漢意(からごころ)”について、簡単に説明しましょう。

宣長の『玉鉾百首』に、次のような歌があります。

「人みなの 物のことわり かにかくに 思ひはかりて いふはからこと」
訳:「世の人々が、物の道理をあれこれと、考えめぐらしていうのは、まさに漢意(からごころ)というものであるよ。」

このように宣長は、この世に存在するあらゆる人造の原理やイデオロギーに基づいた概念規定のみならず、倫理的道徳的な当為観念に至るまで、「物」や「事」に外側から付着し、「物」や「事」を規定(限定化)し、概念や観念として実体化する全ての認識方法を、「漢意(からごころ)」と名づけています。

簡単に言うと、出会った物(モノ)や事(コト)を、即座に既成の概念・観念に置き換え、理屈に当てはめて価値判断してしまう性向のことです。このような性向は、人が物(モノ)や事(コト)そのものに、じかに対面することを妨げてしまいます。

そして宣長は、この“漢意(からごころ)”こそが、彼が人間にとって最も大切なものであると考える「“もののあはれ”を知ること」を阻んでいる元凶だというのです。

注: “もののあはれ”については、こここここちらこちらこちら も参照。

それでは、この“漢意(からごころ)”を取り除くには、どのようにすればよいのでしょうか。

実は、宣長の『玉勝間』にある次の言葉に、そのヒントがあります。

そこで宣長は、儒教の陰陽(いんよう)の理の根源である「太極(たいきょく)無極(むきょく)」と、さらにその究極とされる密教の「阿字真如(あじしんにょ)」の理を取り上げ、「どのような道理、どのような理由でもって根源なのか」という問いを何度も繰り返した上で、以下のように言います。

「すべて物の理(ことわり)は、つぎつぎにその根源を推し量り、極めつくしていったとしても、どのような理由とも、どのような道理とも知ることができるようなものではありません。終いには皆、不可思議なところに落ち込んでいってしまうのです。そうであれば、陰陽も太極無極も阿字真如も、みな仮(かり)そめのおしゃべりであって、実際にはその理(ことわり)など存在せず、全く役に立たない無益なしろものということになります。」

つまり宣長は、自分の頭の中で納得しているところの理屈(理論)に対し、「それはなぜ?」という問いを、自問自答で、その理屈が崩壊するまで繰り返したのです。

わかりやすく例を挙げると、自分の頭の中に、「世の中はすべて、善と悪、男と女、天と地、光と闇、温と寒といった陰陽の二項対立の理で成り立っている」という理屈があったとします。それに対し、「ならば、世の中はなぜ陰陽の理で成り立っているのか?」と問うと、「それは、もともと世の中は、一元である太極(たいきょく)が陰陽の二つ分かれて展開したものだからだ」と答えたとします。「ならば、なぜ太極は二つに分かれて展開したのだ?」と問うと、「二つに分かれないと、万物が存在できないからだ。」と答えたとします。「ならば、なぜ二つに分かれないと、万物が存在できないか?」と問うと、いよいよ怪しくなってきて、「そうだからそうなのだ!!」と答えるしかなくなってきます。

このように、どんな精巧な理屈(理論)でも、その根拠を延々と問う質問の前では必ず行き詰まり、最後には「そうだからそうなのだ!!」というトートロジー(同義語反復)に陥ります。そしてそれは、宣長が「終いには皆、不可思議なところに落ち込んでいってしまう」と言うように、皆“奇異(くすしあやし)き”ところに落ちこんでしまうわけです。

要は、“漢意(からごころ)”を取り除くために、この方法を意識的にやるのです。

そうすると、前々回の“もののあはれ”を強く感じるとき で、「人は奇異(くすしあやし)さを強く感じたとき、“もののあはれ”を強く感じる」と書いたように、人は、理屈が崩壊し、奇異(くすしあやし)さを感じることを通して、自然と“もののあはれ”が感じられるようになってくるのです。

これとよく似た方法に、仏教の一宗派である禅宗、中でも臨済宗で用いられる「公案(こうあん=禅問答)」があります。

公案(こうあん)とは、臨済宗に伝わる悟りを開くための質問(=なぞなぞ)のことで、一般にそれは、論理的思考では決して解けないような矛盾や不合理を含んだ質問内容となっています。例えば、「両手(双手)を打ち合わせればポンという音が出る。では、片手(隻手)ならどういう音が出るのか?聞いてみなさい。」というようなものです。

禅宗は不立文字(ふりゅうもんじ)、すなわち、真理は文字や論理では表せないという立場ですから、修行の一環として、この公案(こうあん)に長期間挑むことで、理屈へのとらわれから脱し、論理的思考を越えた「悟り(真理)」に到達できるとしています。

ただし公案は、理屈を自己崩壊させるという意味で、上記の“漢意(からごころ)”を取り除く方法と似たところがありますが、到達する最終地点が全く異なりますので、注意が必要です。

すなわち公案は、最終的に文字や論理では表せない真理に、体験的に到達することを目指しますが、宣長においては、本当の真理は人間の知恵では到底知り得ないことですので、真理にとらわれること自体が無意味となるのです。「悟るべき 事もなき世を 悟らんと 思う心ぞ  迷いなりける」と、宣長が歌に詠んでいる通りです。

ところで、このように偉そうに書いていますが、実のところ私自身、大の理屈好き人間で、世の中のすべてのことを完璧に説明できる理論を求めて、長い間、古今東西の哲学や宗教思想、科学思想を自分なりに勉強していました。この世の中に自分の頭で理解できない不思議なことがあるのが、何んとも居心地が悪いと感じていたのですね。

ですから、苦労して自分のものにした理論に対する執着はとても強く、自分のプライドにもなっていましたから、宣長の“漢意(からごころ)”という思想に出会ったとき、自分が頭から否定されているようで、その反発はとても大きなものでした。

そんな自分でしたが、宣長の言っていることが本当に正しいのかを確かめる目的で、あるとき決心して、自分の頭の中にある常識や理屈を一つひとつ徹底的に問い詰めてみました。今ふり返れば、それは上記に似た方法になっていたと思います。

詳細は省きますが、結果として時間はかかりましたが、目の前のベールが一枚一枚剥がされていくように、自分の頭で構築した理論に対する執着が薄くなり、理屈にとらわれることが少なくなっていきました。たとえ自分の頭で理解できない不思議なことがあったとしても、不思議とそのままでも、居心地が悪いと感じなくなったのです。

それと反比例するように、目の前にある、何ものにも染められていない物(モノ)や事(コト)自体に対する興味が増して、自分の理屈という色眼鏡を通すことなく、物(モノ)や事(コト)そのものの持っている味わいを、素直に感じられるようになっていったと思います。うまく言えませんが、子供のころの感じ方に、少しだけ戻ったような感じです。

正直なところ、自分は今でもまだ“漢意(からごころ)”を隠し持っていると思いますが、少なくとも以前の自分と比べて、感性が素直に、自由になったというか、日常のありふれた、ほんのちょっとしたことに不思議を感じたり、興味を持てるようになっているのは確かだと思います。

それに今では、“もののあはれ”を感じられたときの喜びを何度も体験しているので、それがこの道を自分なりに歩ませる原動力となっています。

長くなりましたので、今回はこれで終わります。少しでも参考になれば幸いです。