海彦の本居宣長研究ノート「大和心とは」については、こちら から。

宣長は、「とにもかくにも、人はもののあはれを知る、これ肝要なり。」といいます。人が生きていく上で最も大切なことを、「もののあはれを知る」こととしているのです。

それでは、人は「漢意(からごころ)」を去り「もののあはれ」を知るために、どのようにすればよいのでしょうか。

注:「漢意(からごころ)」の意味については、こちら を参照。「もののあはれ」の意味については、こちら を参照。

宣長はいいます。

「さてその物事につきて、よき事はよし、あしき事はあしし、かなしき事はかなし、哀(あわれ)なることは哀(あわれ)と思ひて、其(その)ものごとの味をしるを、物の哀(あわれ)をしるといひ、物の心をしるといひ、事の心をしるといふ。」(紫文要領)

すなわち、それぞれの「物」や「事」のもっている「もののあはれ」を味わい知ることが、「もののあはれ」を知ることになるというのです。

ここで注意すべきは、「ものごとの味をしる」という言葉で、「物」や「事」の「もののあはれ」を知るためには、あたかも口の中で食べ物を味わうがごとく、先入観や思い込みを空しくして、神経を研ぎ澄まし、その「物」「事」から伝わってくる固有の味わい、すなわち「性質情状(あるかたち)」を、受動的に、あるがままに感じていくことが必要なのです。

単に概念的・観念的に「知る」のではありません。あくまで「味わい知る」のです。

「味わい知る」が故に、観念的理解に落ちこまず、事物そのものから離れなくてすむのです。

それでは、「もののあはれ」を知る具体的な方法はどのようなものでしょうか。

生活の中で、どのように実践していいけばよいのでしょうか。

次回にその事を書いてみたいと思います。