介護でも死守すべき自分の時間 | 介護の誤解

介護の誤解

いま苦しんでおられる介護者のために

このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。

思いつくままに書いており時系列順ではありません。

あらかじめご了承ください。

 

介護というと

自己犠牲がつきもののように

言われます。

 

けっこう

そのような話が

飛び交います。

 

 

実際に

時間的な制約は大きい

 

地域包括支援センターのケアマネさん

介護を実施する方々

その方々の所属する組織

相談したり

打ち合わせしたりする相手は

たくさんおられます

 

 

 

しかも

時間については

ほとんどが相手ペースです。

 

 

 

さらに

被介護者にも

時間を奪われてしまいます。

 

 

最初は遠慮していても

徐々に要求は

エスカレートしていきます。

 

 

 

こういった相手が

余程近くにいないと

それぞれすべてが「一日仕事」

なってしまいます。

 

 

 

実際に

義父に続き義母の介護にも

自分の持つ時間は

かなり制約を受けました。

 

 

 

とくに大病院に移ると

さっき面会に行ったばかりなのに

車で引き返そうとすると

電話が鳴ったりします。

 

 

「面会に見えたら

主治医の私に声をかけるよう

看護師には言っておいた

 

そうは言われても

看護師を責める訳にもいきません。

 

そして

「経過報告」ということでしたが

新たな事実が

発生した訳でもありません。

どうせ毎日病院には行っていました。

 

「明日でも良いのではないか」

少し油断すると

自暴自棄になりそうなことも

たびたびありました。

 

 

 

そんな中でも

合唱団の指導は続けていました。

 

執筆活動も同様に

途切れることは

ありませんでした。

 

一旦止めてしまうと

簡単には復活できません

 

地域活動も同じ。

 

 

 

ただ

仕事に就くことは

さすがに難しかった

 

これは

一旦勤務先を退職し

次の仕事を探していた時に

介護が始まったからです。

 

勤務を続けていたのならば

多少無理を言って

介護の時間を頂けたと

思います。

 

 

このように

自分がやるべき事柄は

続けていなければなりません

 

コマ切れ時間を活用することで

かなりの作業はこなせます。

 

 

 

まずは

介護に負けてしまわないよう

しっかりと

自分を確立していくことです。

 

最も大切な心構えだったと

今でも思っています。