二重支配の時代。
「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」
これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した楽曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。支配者がどんどん変わるが自分たち市民は何も変わらない沖縄の歴史を語っています。
「唐ぬ世」と「大和ぬ世」の間には「明」(のちに清)と「薩摩藩」の二重支配の時代がありました。豊臣秀吉が天下を統一して、文禄の役(朝鮮出兵1592年)の前年に薩摩藩を通して琉球からも出兵するように促しました。薩摩藩は琉球の戦闘能力を疑問視し、王府に対し兵糧や金銀を送るよう通告しました。王府は7000人分の兵糧の半分を収めましたが、残りは薩摩に負債したまま国交を断絶します。これらのことは薩摩の琉球出兵の口実になりました。また琉球船が難破し、東北に漂着したので、薩摩藩経由で琉球に送還させましたが、琉球王朝はなんの返礼もしませんでした。
慶長十四年(1609年)に薩摩藩が琉球に侵攻し、首里を制圧しました。琉球士族は長い平和に慣れてしまい軍事力が低下していたためあっさり降伏しました。そして薩摩藩は尚寧王以下百官を江戸に連れ出し、誓文を提出させて帰国させました。この間、沖縄の実態を調査した薩摩藩は琉球王国を存続させ、密貿易によって利益を得ることにしました。
琉球王国は「明」の冊封を受けていましたが、薩摩藩は「明」との関係を存続させ、貿易による利益を吸い上げました。琉球王朝は「明」に薩摩支配がバレないよう苦心しています。「明」からは冊封使というのが数百人来るのですが、この間は薩摩の奉行以下が城間(ぐすま)という田舎に隠れます。そして一切日本風のものをかくして表面を取り繕うのです。
1756年の令達
「大和年号にほん衆の氏名大和書物器に至るまで、たう人可見咎物深く可取隠置事」
なかには褌(ふんどし)の着用を禁止したというのもあります。冊封使がきたときだけでなく、支那人が漂流したときも同様で、支那人を那覇から離れたところに幽閉して、薩摩人がその場所を通過するのを禁じています。たまたま、雨の日だから大丈夫だろうと薩摩人が猪狩りをするために禁じられている場所を通過すると、琉球の役人は大慌てとなり、若いもの数人に薩摩人と同じ服装をさせ、「支那人を見るのは初めて」という理由で支那人の宿を訪ねさせ、「これから猪狩りに行く。昨日仲間は一人先に行った」という芝居までさせています。
支那側は実のところ琉球と薩摩が通じているのを見破っており、冊封の儀式のとき、薩摩の在番奉行がこっそり南殿に簾(すだれ)を垂れて儀式を見ていたところ、支那の冊封使が「南殿客有」とブラックユーモアを飛ばしたので、王府の役人は狼狽したといいます。
冊封使の支那人は半年ぐらい滞在しますが、この間、王府の消費は莫大なもので、冊封使の商品も買い取ってやらなければならないし、大陸に帰るときはお土産も持たせてやらなければなりません。お土産が不足しているときは国中の銅器や男女の簪(かんざし)まで徴発したといいます。薩摩に搾り取られるわ、支那に絞り取られるわで散々な二重支配時代でした。沖縄学の父と言われる伊波普猷(いは ふゆう)氏は明治に入ってからの琉球処分は「一種の奴隷解放」とまで言っています。
伊波普猷氏はこの長い二重支配の時代が沖縄人に与えた影響を次の通り述べています。
「自分の国でありながら、自分で支配することが出来ず、甘い汁は人に吸われるのだから責任感が薄らぎ、依頼心が強くなり、奴隷根性ができた。それから実際生活においては無勢力だから芝居気がたっぷり出て来た」
伊波氏の言は現在の沖縄を取り巻く政治経済状況を見ていかがでしょうか。
ちなみに、「明」が滅んで「清」になったとき、満州族の支配を逃れて漢人が沖縄に逃れてきています。この人達は那覇市内の久米(当時は島)というところに住んで、琉球王朝の統治に影響を与えています。久米三十六姓といいます。琉球王朝の名司政官と言われた蔡温(さいおん)や程順則(ていじゅんそく)がそうです。これらの支那党は明治維新後も反日活動をしています。このため沖縄の近代化は日清戦争で日本が勝利するまで本格開始が遅れました。
さて、現代では支那党の子孫が二人沖縄県知事になっていますが、このことは歴史的に支那党の勢力が再び強まったと捉えることができます。
参考文献
角川学芸出版「報道されない沖縄」宮本雅史(著)
平凡社ライブラリー「沖縄歴史物語」伊波普猷(著)
WAC「誰も語れなかった沖縄の真実」恵隆之介(著)
添付画像
沖縄の亀甲墓(かめこうばか カメヌクー)(PD)
17世紀ごろから作られ、人は死ぬと母体に帰るという母体回帰思想からくる。
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ドゥチュイムニイ - 佐渡山 豊
http://www.youtube.com/watch?v=6vgWzeBGMGM
「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」
これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した楽曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。支配者がどんどん変わるが自分たち市民は何も変わらない沖縄の歴史を語っています。
「唐ぬ世」と「大和ぬ世」の間には「明」(のちに清)と「薩摩藩」の二重支配の時代がありました。豊臣秀吉が天下を統一して、文禄の役(朝鮮出兵1592年)の前年に薩摩藩を通して琉球からも出兵するように促しました。薩摩藩は琉球の戦闘能力を疑問視し、王府に対し兵糧や金銀を送るよう通告しました。王府は7000人分の兵糧の半分を収めましたが、残りは薩摩に負債したまま国交を断絶します。これらのことは薩摩の琉球出兵の口実になりました。また琉球船が難破し、東北に漂着したので、薩摩藩経由で琉球に送還させましたが、琉球王朝はなんの返礼もしませんでした。
慶長十四年(1609年)に薩摩藩が琉球に侵攻し、首里を制圧しました。琉球士族は長い平和に慣れてしまい軍事力が低下していたためあっさり降伏しました。そして薩摩藩は尚寧王以下百官を江戸に連れ出し、誓文を提出させて帰国させました。この間、沖縄の実態を調査した薩摩藩は琉球王国を存続させ、密貿易によって利益を得ることにしました。
琉球王国は「明」の冊封を受けていましたが、薩摩藩は「明」との関係を存続させ、貿易による利益を吸い上げました。琉球王朝は「明」に薩摩支配がバレないよう苦心しています。「明」からは冊封使というのが数百人来るのですが、この間は薩摩の奉行以下が城間(ぐすま)という田舎に隠れます。そして一切日本風のものをかくして表面を取り繕うのです。
1756年の令達
「大和年号にほん衆の氏名大和書物器に至るまで、たう人可見咎物深く可取隠置事」
なかには褌(ふんどし)の着用を禁止したというのもあります。冊封使がきたときだけでなく、支那人が漂流したときも同様で、支那人を那覇から離れたところに幽閉して、薩摩人がその場所を通過するのを禁じています。たまたま、雨の日だから大丈夫だろうと薩摩人が猪狩りをするために禁じられている場所を通過すると、琉球の役人は大慌てとなり、若いもの数人に薩摩人と同じ服装をさせ、「支那人を見るのは初めて」という理由で支那人の宿を訪ねさせ、「これから猪狩りに行く。昨日仲間は一人先に行った」という芝居までさせています。
支那側は実のところ琉球と薩摩が通じているのを見破っており、冊封の儀式のとき、薩摩の在番奉行がこっそり南殿に簾(すだれ)を垂れて儀式を見ていたところ、支那の冊封使が「南殿客有」とブラックユーモアを飛ばしたので、王府の役人は狼狽したといいます。
冊封使の支那人は半年ぐらい滞在しますが、この間、王府の消費は莫大なもので、冊封使の商品も買い取ってやらなければならないし、大陸に帰るときはお土産も持たせてやらなければなりません。お土産が不足しているときは国中の銅器や男女の簪(かんざし)まで徴発したといいます。薩摩に搾り取られるわ、支那に絞り取られるわで散々な二重支配時代でした。沖縄学の父と言われる伊波普猷(いは ふゆう)氏は明治に入ってからの琉球処分は「一種の奴隷解放」とまで言っています。
伊波普猷氏はこの長い二重支配の時代が沖縄人に与えた影響を次の通り述べています。
「自分の国でありながら、自分で支配することが出来ず、甘い汁は人に吸われるのだから責任感が薄らぎ、依頼心が強くなり、奴隷根性ができた。それから実際生活においては無勢力だから芝居気がたっぷり出て来た」
伊波氏の言は現在の沖縄を取り巻く政治経済状況を見ていかがでしょうか。
ちなみに、「明」が滅んで「清」になったとき、満州族の支配を逃れて漢人が沖縄に逃れてきています。この人達は那覇市内の久米(当時は島)というところに住んで、琉球王朝の統治に影響を与えています。久米三十六姓といいます。琉球王朝の名司政官と言われた蔡温(さいおん)や程順則(ていじゅんそく)がそうです。これらの支那党は明治維新後も反日活動をしています。このため沖縄の近代化は日清戦争で日本が勝利するまで本格開始が遅れました。
さて、現代では支那党の子孫が二人沖縄県知事になっていますが、このことは歴史的に支那党の勢力が再び強まったと捉えることができます。
参考文献
角川学芸出版「報道されない沖縄」宮本雅史(著)
平凡社ライブラリー「沖縄歴史物語」伊波普猷(著)
WAC「誰も語れなかった沖縄の真実」恵隆之介(著)
添付画像
沖縄の亀甲墓(かめこうばか カメヌクー)(PD)
17世紀ごろから作られ、人は死ぬと母体に帰るという母体回帰思想からくる。
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ドゥチュイムニイ - 佐渡山 豊
http://www.youtube.com/watch?v=6vgWzeBGMGM