光への歩み
〇家庭や企業から寄付された食料品を困窮世帯に提供する「フードバンクたいないキボウのヒカリ」が27日、新潟県胎内市東本町の「共生型福祉拠点施設まち・らぼ」に開設された〇NPO法人フードバンクとくしま(徳島市)は8月、県内3カ所で生活困窮者に食品を無償で配る。新型コロナウイルスの感染拡大で暮らしに行き詰まった人から食品提供を求める声が相次ぎ、初めて夏に実施〇千葉県内生協合同キャンペーン実行委員会(構成8団体)は、2021年7月~11月にかけて「いのちをつなぐフードドライブ~明日への希望を応援しよう~ フードバンク・千葉県内生協合同キャンペーン」を開催〇西日本豪雨から間もなく3年、熊本・九州豪雨から1年各地で祈りが始まります世界でも、毎年のように豪雨・洪水・高潮被害が大きくなりましたこのままでいくと、日本も15年後の被害は生活が変わるほど、大きなものと分析されていて、環境問題への取り組みは急務になってきます〇新型コロナのワクチンが若い人に副反応が大きいという話がありそれでも、新型コロナに感染するよりはまだいいということで、副反応への対応をよくやることでワクチン接種を進めているお医者さんもいるようです問題は東京オリンピックと選挙のために、副反応やその被害の補償を考えていない政治の問題なのでしょう良いワクチンの完成はまだまだ時間がかかるようです「コロナは風」などの陰謀論関係の情報は、コロナ禍になってからずっと黒渦の波動なので、関わらない方が良いです信じる人が増えると、アメリカのトランプ政権のように感染の犠牲者が非常に大きくなりながら社会が大分断してしまいます〇光への歩み新型コロナと東京オリンピックのことで、政治は問題だと痛感した日本人は多いようです日本は400年前まで内戦続きで、比較的に平和な江戸時代が終わる150年ほど前からは、内戦そして外国への侵攻が多々あって、76年前からようやく平和な日本が始まりますそして現在は、多くの人が日本を想い、東京オリンピックはやめてほしいというところまで来ていてまもなく業や欲が集中する権力の時代がひっくり返る時代に差し掛かっているのだと思います守護霊さん守護神さん達の働きがずっと導いてきました東日本大震災などの災害から、多くの人から祈り心が出てきやすくなりその光が日本の目覚めを大きくしてきました祈りと感謝の人が多くなるほど、社会は光を帯びてきて、本物の人や政治が顕れやすくなってきます例えば、良い方が選挙で負けたり社長になれなかったとしても人事を尽くして光がある人達が負けたのなら、悪い政治や経済も、早く終わって良いものに変わる運命になります根本から時代が変わってゆきますより本物の運命が出やすくなる社会では、表面だけ権力を何とかしてゆく流れは、どうしても終わってゆきます祈りと感謝の人たちが多くて、守護霊さん守護神さん達の働きが社会にいっぱいになるほど、社会はより光になります〇地球の卒業本来の天の光が発揮されるには日常でのことは、それなりに一生懸命にやりながら「人は天から生まれ、人は天の光の一つなんだいつもありがとうございます」という在り方が一番、大切になります人類の文明は、科学的な思考が大きくなって出来たもので唯物論的な思考の科学的な分析や、心理的な分析が進むほど便利になるところがある一方で、根本の本来の光が発揮しにくくなったりします人間自我の思考、願望によって編み上げられた世界ではあらゆる場面に限界が来ていますかと言って、自分は一生懸命信仰やるからコロナ禍でもマスクしないとかだと、アメリカのような混乱になりますし何かあっても病院に行かないとか、災害を気にしないで災害対策しないというのも非常に危ないものです祈り心と感謝が増えて地球社会に十分、光が一杯になるまで災害対策やコロナ対策もそれなりするそうすると、光の広がりに合わせて今まで人類に蓄積された科学的な思考も宇宙的なものへと変容して文明そのものが光へと変化してゆきます○あたたかく健やかな道天皇陛下に声をかけられたりすると、戦争や災害や障害を体験してずっと苦しんでいた人も、光がさしたようになって感激し、解放されたりします念力がなく天のままの心がその言葉や行動に溢れているからです祈りの姿です人間、いろんな想いや思考が溜まってくるほど苦しくなってゆきます哲学者の中には精神に異常が出る人もありなので瞑想が効果的だったりもします地球規模でも同じで、人間の思考・念力の横行した社会では最終的に災害・戦争から抜け出しにくいので空にして天のままになってゆくことが大切になります日々、祈りと感謝や天に向けて反省やオ・ポノポノなどをしていると自覚がなくても自然に空の空へと入りやすくなってゆきますすべて預け手放して祈り、感謝してゆくやり方が習慣化すると想いのみならず病気や怪我すらも早く消えやすくなりますそれによって波動の重い地球でもたくさんの神人が輩出されてきました仏陀やイエスなどは光明化の力が非常に大きいものでしたそういった空に入れる、宇宙と調和できる方法を知らない為に善人といわれる人は悔やみすぎたり縮こまったり、限界を感じたりまたは反省しない我慢しないといって光とは逆の驕りの文明、巨大格差の多い文明に傾向していたのがこれまでの人類です天と一つでないと光のままに物事を発揮できませんそこを、祈りと良い信仰によって自分たちのしたいことが、天のままの文明になってゆくと真の宇宙文明が始まってゆきます○言霊の力、アフォーメーションの秘密自我意識が強くなるほど、波動は重く、個人や社会に苦しみが増えてしまうしかし、空になる、いったん天に返すそうすると本当の知恵が出てきます人口は増加し、ネット環境も広がり、様々な言葉や商品があり顕れては消えて歴史上、もっとも言葉が行き交っている時代となっていますその中で実現化しやすい言葉、光を放つ言葉などはどれにあたるでしょう一番、光が大きく清めながら叶いやすいのは祈り深い人の天のままの言霊になりますその見本が一言で死者を甦らせることもできたイエスになります仏陀もそうですが宇宙神々が共にあるのでそのくらいの力は普通にあります1億人の運命を天の方に軌道修正するくらいの光がありますまた、祈りと感謝が深い人ほど自然に天のままの行いや、言霊を発揮しやすくなります宇宙神々と共にある言霊、流れが地上に増えるほど地上天国、光の世界になってゆきます念力を集中するのも願いは叶いますが非常に目先のもので、業波動も同時に増えて、それで社会全体は行き詰って、多くの文明は滅んできましたかといって念を一切、出さないというのも難しいそこで悪い想いやイメージ、自我などが、どうしても出てしまってもいいからそれを大きく超える光の祈りと感謝をいつもやっていると光がいっぱいになってゆきます自分と社会に光の響きを増やしてゆきます○いろいろな教えの現実性昔大本教、出口王仁三郎氏の弟子に谷口氏と岡田氏という人がいて終戦後にそれぞれが作った宗教団体が脚光を浴びます植芝盛平氏も弟子で、後に合気道の開祖となって神性を発揮します《想いが実現している》を追求した谷口氏の教えは最終的に今、病気・貧乏・不幸なのはお前の想いが悪いからだと、苦しい人々は痛めつけられて自分が富や力を持ち、うまくいっているのは自分の想いが正しいからだと慢心や横暴を生むという現代のスピリチュアル業界にもあるような問題が起こりますこれは今、世界の権力層にも見られる思想になっていますまた、谷口氏の教えは大本教に反して、国をあげて軍事を賛美してゆく流れを推奨して現在もその思想が自民党など各方面に影響していますそれが憲法改正への動きになっていて日本に危うい影を落としています谷口氏は覚者ではなく、チャネリング・チャネラーです岡田氏の方は後に福岡正信氏、自然農法、宮崎駿監督、奇跡のリンゴの木村さんなどに影響を与える流れとなりますそこはいいのですがしかし教団の方は当時、自然にまかせなきゃいけないとやり過ぎて病気や事故にあっても医者に行かず亡くなる信者があり、信者の家族も巻き込んで苦しませることになりますここは谷口氏と似ていますどちらも100人に1人くらいたまに奇跡のようなことが起きたから終戦後に脚光を浴びましたがそれ以上に、苦しい信者達がより追い詰められて苦しくなる傾向にありました○神人・植芝盛平人類、本来は宇宙「合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。私はこの事を武を通じて悟った。敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?それにはまず、神の心を己の心とする事だ。『宇宙の心』とは何かそれは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。与えられた自己の使命を成し遂げる事である。」植芝盛平氏に暴漢が近づいたら、神霊が投げ飛ばします友好的な人が近づいたら、談笑が始まりますこれはなかなか真似できないので、暴漢がいたら無理せず近づかなで警察を呼びましょう○植芝盛平と合気道の創生弱かった植芝盛平氏が武神になる出口王仁三郎は若き日の植芝に語った。「武の道を天職と定め、その道を究めよ」と。そして「真の武とは戈を止める愛善の道のためにある。従来の武道ではなく、神人一如の植芝流で行きなさい」と激励した。さらに、「植芝道場を開いたらどうか」と提案した。こうしてできた植芝道場こそが、合気道創生の産屋であった。当初は大本教の信者だけの道場だったが、綾部にどえらい武道の達人がいるという噂が広まり、全国各地から入門志願者が続々集まってきた。みな腕だめしのつもりだったのが、植芝の圧倒的な強さに感服し、その場で弟子入りしてしまう。綾部での新生活は順風満帆に推移していくように思われた。王仁三郎は満州とモンゴル行きを決行。この時も植芝は師に同行した。奉天軍に包囲された一行は、銃殺される直前に日本領事館の交渉により救出、九死に一生を得た。植芝に不思議な現象が次々に起こり始めたのは、死線を越えて綾部に戻った直後からである。植芝は41歳。心眼が開かれ、「武道の根源は神の愛である」と悟った瞬間であった。真の合気道はこの日をもって出発したのである。○世界平和の祈り以来、武道家としての植芝は、心・技・体が最高潮に達したと言われている。大学柔道部の猛者どもが、道場破りのつもりで挑んできても、数秒で一指も触れずに投げ飛ばされてしまう。みなその場で入門してしまったという。神人となっても、植芝の生涯は苦難の連続だったが、彼は合気道の精神を守り生涯修行を貫いた。「わしをほんとうにわかってくれたのは五井先生だけだ」。植芝は、覚者となった五井昌久を尊敬し、世界平和の祈りの集いに合流しつつ合気道を続けていた。植芝は70歳を超えても稽古を欠かさず、病気になっても床から起き上がり稽古をした。植芝は戦時中の軍事に対して、常に危惧の念を抱いていた。「和と愛と礼節あってこそ真の武道である」。さらに、「合気道の目標は、各自が一元の営みの分身として働き、世界大家族の集いとなることだ」と言い続けた。1969年、植芝盛平は世界平和を祈りながら、眠るようにして天寿を全うした。満86歳。