〇目覚めた光の姿

 

人間はそれぞれ天に、本来の光の姿の自分がいます


天にある人類の姿は、光いっぱいでお互いがお互いのことを想い合っていて

愛の行いが成されてゆきます

 

天の日本、天のアメリカ、天の中国もそれぞれ

お互いと世界を想い、光いっぱいで私たちが世界のために、みんなのためにできることを

という輝きを持っています

 

みんな宇宙の光の一つだとわかっています

 

私たちの守護霊さん守護神さんの世界はそういうところです

原発など、いろんな社会問題を超えてゆく知恵も光も天にすべてあります

 

天の姿が顕れるほど、世界は目覚ましく良くなってゆきます

光になってゆきます


災害が起きた時に、被災地の為にみんな一つにという想いが出てきたのは天の姿が顕れたからです



人々が祈りと感謝を深めてゆくと、自然に無難に、そのような光の世界が地上に顕れてきます

 

守護霊さん達がよく顕れた姿になるほど

人々の心を打つようなことが増えてゆきます


交渉事でも、将棋やスポーツでも、感動するような掛け合いがされて、喜びのうちに終わったります


 

地上はまだ迷いの、夜明け前の様子があり

自分だけ、自分たちだけ良ければという権力者もまだいます


それぞれの国もまだ、迷いの姿で本来が出てきていません

時代が変わる前は、今まで潜んでいた業が表面に出てきて終わってゆきますから、いろいろ起こります

 

そういう荒れた時代でも関係なく

自分が大変な状況でも関係なく

祈りと感謝は、天の本来の光の姿をどんどん引き寄せ、実現させてゆきます

無難に小難にしてゆきながら軌道修正してゆきます

 

自分と人類の本来の光の姿を目覚めさせる働きはより一層、人類に大切なものになってゆきます

 

自分の仕事や家や生活のことをやったり

また、防災やコロナ対策とか

選挙で良い方に投票するとか

それはそれで必要なので

 

それらをやってゆきながら、弛みなく習慣の一つとして続けてゆくのがよいでしょう

知らずにいつの間にか多くが救われます

 

 

 

 

〇完全円満な光

 

例えば、酒を飲んで暴れる家族がいたとします

悪い上司でもいいし、治らない病気のことでもいいですが

 

それで、相談して

相手を拝めとか、あなたが拝み足りない、あなたの心の投影だ、あなたが変わらないから

という宗教スピリチュアルはけっこうありますが

 

これは真理だとしても、それで何とかなる人はいなくて

逆に、相談した人が詰められて苦しんだり、そこの教祖が威張るだけで終わります

教えとしては非常に良くない

 

楽なのは本来の光へと運命が、軌道修正されてゆくこと

 

より光の運命になろうと、悪いものがどんどん終わってゆこうとして顕れていると思って

光の人生に変わる機会なんだ、ありがとうございます、お任せしますと感謝してゆきます

 

愚痴をこぼしたり、ネガティブに考えてしまうこともあるかもしれなせんが

 

それでもいいから、それごとすべて天に預けて光に向かってゆくこと

 

すべてお任せるよう、祈り感謝するという

光の道を進み出ながら、その時々の人事を尽くしてゆくことがいいですね

 

そこからまた、上手くやってゆく知恵や運命も出てきたりします

 

 

 

 

〇内も外もなく、宇宙は光の世界

 

内なる光を出そうとして、世の中では瞑想・座禅などさまざまな修行が行われて来ましたが

 

実際のところは、無心でボランティアしてる人の方が、かなりの光がすんなり出ていたりします

行動のところまで本質を顕してしまっているから自然にそうなるのは当然となります

 

ある程度、信仰心のある人がそのように良い行動力があると、大きな光となります

 

 

人類は、守護霊さん守護神さんの光の働きで良くなったり保たれたりしています

 

守護霊さんとか、宇宙の大いなる光を頼らないで

瞑想・座禅とか、人間の思考・哲学や努力でやろうとしてきた流れから

聖者・神人が誕生したことは人類の歴史上、ほとんどありませんでした

 

自力では届かないので

光の働きの計らいで、時代のどこかで仏陀やイエスのような存在の弟子になる機会を得たり

信仰というものを学ぶ機会を得たりして大きく高まったりします

 

 

人間の奥の奥の神我と

天を想ったり、守護霊さん守護神さんは同じ光の世界になります

「自分の力」「自分」という自我がある分だけ自力修行が難しいところがあります

 

天や守護霊さん守護神さんに生かされているわけですから

素直にありがとうございます

としてゆけば光がすんなり通っていいわけです

 

 

問題は、瞑想したり祈ったりしている時に

何か見えた聞こえた、力をやろうとかお前は〇〇神だと言われたと、そちらを追って

それで、今までいろんな教団や思想、チャネリングや政治勢力が世の中に生まれて、個人にも人類にも迷いがかかってきました

 

そういうものには関せず、とらわれず

ただ預けて、感謝し、祈り歩むという

そうやって本来の光、知恵、勇気がだんだん溢れてくる方がシンプルな光のままになります

 

 

 

 

○謙虚さに光あり

 

すべて良いように思えばいい

私は何ものにもとらわない

酒や大麻を楽しむことにも、欲望でいることにもとらわれない

それも良いものなんだ、とにかく楽しめばいい、私は神の子なんだ、これでいいんだ

と言う思想家はたまにいて

これは相当、魂が汚れていたりします

 

実際は溺れて、かなりとらわれています

自我が威張って、謙虚さがないと光が通らなくて良くなりようがありません

 

 

本当に空の空になった、とらわれのない神人ですと、光でいっぱい愛でいっぱいなので

酒や大麻を楽しむことも、欲望や自己中でいることもありません

いる必要がない

 

しかし、人間は成長過程で

皆、急にはそうなれないので、出来なくてもいいから

 

「どうかすべて光でありますように」

「愛深く成さしめ給え」

「すべての命に光がありますように」

「いつもありがとうございます、ありがとうございます」

と、天に預け、祈り感謝してゆけば

本体の宇宙大光明の光が溢れて、そこから軌道修正されてゆきます


 

また、大きな苦難にあった人は良かったと思えないのが普通で、他の人に良かったねと言われても他人事で通じません

 

しかし、祈りと感謝にあれば

苦難を過ぎて、より光輝いたところが出てきますし

本人が祈れなくても、祈っている人達の響きや、行動がだんだん困難にある人たちの救いになってゆきます

 

祈りと感謝は

5年10年20年とやってゆくと、自覚なくても相当なものになっています

念力のような光のない力ではなく

御仏に包まれたような光の人生になってゆきます

 

いずれ人類は、御仏に包まれたような社会になります

それは、私たちの天命です