秩父の連続投稿です

『秩父修験』とは?

熊野とつながりのある山岳信仰の由

武甲山の頂上には蔵王権現が祀られる

つまり熊野信仰

 

 「秩父修験道」

影森*はその名の示すとうり武甲山の陰に位置し立冬から立春まで日の出が遅くその上水の便悪く飲料水にも事欠く状態でしたから開発が遅れたことと思います。然し武甲山の北尾根?に伸びる岩山が走り東の斎所山・東の護国観音の地は共に大きな磐境で樹木もまばらでしたから(東南東?)には武甲の峰乾(北西)には両神山を眼前に望むことができました。その間一枡岩づたいの道は大木に覆われ?うっそうとしていたことと思われます。このような地形を利用して秩父修験の行者たちはこの道を何往復もし武甲山頂を拝し両神山をおろがみ邪心を去り?行を積まれました。こうした行者の方々が江戸へ出て観音講を広め喜捨をを受けその御寄進によって大仏を作りこの地に運び建てられました観音様には正徳四年の年号と江戸の大勢の方々の戒名が記されています。二十六番の岩井堂、二十七番の?影堂そして二十八の御堂も行者の方々の努力と地元の方の労力奉仕によって建造されたものであります。

「影森*」というのは、武甲山の北西山麓の地名です。

武甲山麓に琴平ハイキングコースという道があります。武甲山の北側を沿うように歩く道で、ここはいにしえの修験の道。巡礼道でもあったと思われます。その起点に札所二十六番の「岩井堂」があり、岩井堂を下ると二十七番大渕寺に至り、さらに西へ回り込むと二十八番橋立堂に辿り着きます。

 

ハイキングコースの途上には修験のお堂があり───

そこに上記の「秩父修験道」の木札があります。だいぶ雨風に晒され文字が消え掛かってます。あと何年持つのやら。新調しないのですかね。

image

堂内部には、修験にまつわる仏尊の名が連なる…

image

 

image

「象頭山大権現」とは金毘羅権現のことであり、金毘羅つまり「クベーラ神」インドのクベラ神の信仰がもともと???でも、「象頭」って、どう考えても「ガネーシャ神」だと思うのよね。。。。。習合されると、元々の神がわけわかめになるので、わかりませんけどね……

image

雰囲気たっぷりのお堂です。丘陵のコースですが、アップダウンが激しく歩くかたは必ず登山靴で。

 

秩父地域の修験をたどるなら、ここも紹介せねば。

秩父大滝「普寛神社」木曽の御嶽山の王滝口を開いた上人を祀る神社です。

 
image
「修験者、普寛行者は越後の八海山上州武尊山等を開き…云々」
ほぅほぅ八海山に武尊とは…びっくり
image
 
image
「天台修験〜」と見えます、そうなんだね〜
ここ、大滝が普寛上人の生誕地なので、遺徳を偲び神社として祀っているということですね。
image
 
image
境内の塚には、北辰講の文字が。つまり「星信仰」です。
 
その境内から山道を探りますと………何やら諏訪のミシャグチ信仰が臭ってくるぢゃないですか!えっっっ?!ミシャグチ???びっくり(急くあまり端折ってしまいましたが下記に説明あり)やはり、秩父と諏訪はとても密接ということがわかります。星信仰と、スターナビゲーション。
映画「旅するカジの木」……
合格♪お諏訪様だ〜縄文だ〜←─単純汗あいだの説明なさすぎてわけわかめになっている汗
image
稲荷社
天神社
山神社
(合祀)
image
ここはお稲荷さんですが、稲荷信仰とミシャグチ信仰は密接に繋がっているらしい(ミシャグチに詳しい友人によると)。そこには必ず巨石があり、磐座信仰と結びついている。磐座つまり、宇宙開闢の縄文の神とのつながり。自然崇拝の名残り。
そして

修験と縄文は切っても切り離せない何かがある。自然崇拝と山岳信仰。修験の行者は山を歩くことで、人の世界と神の世界を行き来することになる。

山は異界──

image

人の世界ではないのです。昔の人は、山は平地から拝するものとしてきました。信仰の対象であり、田畑を潤す水神のおわす場所です。そして、祖先神がいる。子孫を見守り、幸せを願っている。この場所にはその一端が見えます。

 

 

image

近くにあった祠に「諏訪」「意波羅山三社宮」(→ミシャグチ=三社宮)とある。この祠から秩父御嶽山に登るコースがあり、その脇に意波羅山がある。意波羅、なのか、意和羅、なのか?この名前の謂れは何か気になるのですが、わからない。
イワラ……イーシュワラ…インド頭で考えすぎ!
ミシャグチの痕跡が修験(普寛上人)と重なり、稲荷と重なり、縄文の息吹を伝えている…………山が、歴史を伝え、記憶をつなげてきたことが分かる。

スゴイネ

 

 

以上

 

 

 

ひらめきを

おもひのなには

みさためて

ちにみてやすら

とわのいしづえ

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

 武甲山の丁目石

丁目石(ちょうめいし)は、昔の日本において街道や町の区画を示すために設置された石のことです。「丁目」は都市の区画を示す単位で、現在の日本でも住所の一部として使われています。丁目石はその区画を示すために道沿いに設置され、町名や丁目番号が彫られていることが一般的です。

 

江戸時代には、町の大きさや距離感を示す目印として重要な役割を果たし、特に大都市では頻繁に見られました。現在でも歴史的な地区や古い町並みを歩くと、当時の丁目石が残っていることがあります。これらは、昔の都市計画や街道の仕組みを知るうえで貴重な歴史的資料となっています。

 

武甲山の丁目石を、一番から頂上まで載せたいと常々思っていたので、今回やっと実行しました。が、数枚足りなかった。

足りない丁目は、ぼちぼち追加していく予定です。

早速、一丁目〜六丁目が無い笑い泣き

とりあえず、七丁目から………

 

 

 

(未:十一〜十三丁目)

(未:十五、十六丁目)

 

 

 

 しかし、写真の季節と年度がバラバラなので、劣化の激しいものとか、新し目のものとかごちゃ混ぜです。

 

 

 

(未:二十五丁目)

 

 二十六丁目の石積み

 

 

 

 

 

 

大杉の広場:三十三丁目

 

 

 

 

 

 

 

(未:四十一丁目)

(未:四十三〜四十五丁目)

 

 四十六丁目辺りに

武甲山の生きとし生けるものへの

慰霊を込めての塔婆がある

破壊で失われた命もあろうし
歴史もあろう
心もあろうと思う

 

 

 

 

頂上直下の水場…観音様が祀られています。

(未:四十八丁目)

 

(未:五十一丁目)

 

〜五十二丁目:頂上〜

 

頂上、御岳社

 

〜頂上の白鳥神社〜

 

 頂上

 

 

 

 

う〜む…19個の石を撮り残しています。。。

また登るので、追加されたらお知らせします。

 

全体の風景:冬 琴平ハイキングコースから

 

 武甲山は、破壊の激しい山ですが、これほど愛されている山もないような気がします。登る人たちが、祈りを込め感謝し願い、地元の人には日々生活の中に見上げる山として存在します。

秩父の歴史を見守り、信仰を支え、ある人には利権の、ある人には感謝の対象。

ここまで破壊され、なお人の生活を支え続けた慈悲深き山。

観音霊場、秩父の象徴としてこれほどの存在はありません。

ただただ感謝。

 

 

 

 

いにしえの

かげささやきて 

ここになと

ときは名枯れり

おもひもせずと

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

続きです

多分、前回よりも難解でワケワカメ回なり

難しいトピックを難しいままに笑い泣き

わかりやすく説明する能がない汗
 

 世界が言葉によって生まれる過程

「言葉の四階層(四種のヴァーク)」は「思考・言語・世界」がどう生まれるかを心の内部から解剖するインド哲学の理論です…

 

今回は

    1. 四階層それぞれの内的体験

    2. 「言葉がどう分解され生まれるか」

    3. マートリカーとの関係

を軸に、できるだけ立体的に見ていければな、と

 

四つのヴァーク(Vāk)とは何か

インド思想では、私たちが発する言葉は「最終段階」で氷山の一部に過ぎず、その背後により深い三つの層を観ます(以下、前回と同じ説明)

image

重要なのは、

>上から下へ「分化」する流れ

(言霊学で言うなら、ウ>ア:ワ演繹法ニギテ』

> 下から上へ「回帰」する流れ

(言霊学て言うなら、 ア:ワ>ウ帰納法『オキテ』

の両方があることです。

言霊学の宇宙剖判(宇宙開闢)

① パラー(parā)→言葉以前の言葉

● 特徴

・音がない(沈黙の流れ)(…スの神?○)

・意味も形もない

・主体と客体が分かれていない(言霊学のア:ワが未分化)

>>>ここは「言葉」というより「意識そのもの」

● 体験的には?

・深い瞑想の静寂(ラマナマハリシの言う「沈黙の流れ」)

・何かを「言おうとする前」の完全な充足

・意味がまだ「分かれていない」状態

>>>タントラではここを

    para-vāk = brahman ブラフマン(梵)

 自己認識と呼ぶ

 

② パシュヤンティー(paśyantī)→「見る」言葉

paśya = 見る

〜音ではなく、意味が“見えている”段階〜

● 何が起きているか

・言葉になっていない

・が「何を言いたいか」はすでに明確

・音節も文法も未だない

…例えるなら…

    頭の中に意味の塊が光として立ち上がる感じ?

 >>>まさしくコトタマ→光=霊(ヒ)が閃く

 閃きすなわち雷=>幣束>image

 

● 哲学的に

・主体と客体が分かれ始める

 >言霊学でいうア:ワの剖判(宇宙の開闢)

・世界が「像」として立ち上がる最初の瞬間

・マートリカーが芽生える前夜笑い泣きなにその詩的表現

 

③ マディヤマー(madhyamā)→分解される言葉(核心部)

madhya = 中間

> 内側で鳴って(=成って)いる言葉

● ここで起きる「言葉の分解」

パシュヤンティーの意味の塊が、ここで初めて分析・分節される

 >分解のプロセス

    1.    意味が

    2.    **語(pada)**に分かれ

    3.    語が

    4.    **音節(akṣara)**に分かれ

    5.    音節が

    6.    **マートリカー(音素)**になる

つまりマートリカーはここで本格的に働き始める

● 体験的には

    •    心の中で独り言を言っている状態

    •    声に出していないが「文章」がある

    •    論理・文法・時間が現れる

カシュミール・シヴァ派では

    madhyamā = māyā マーヤーが最も強く働く層

(マーヤー…幻なんだ…びっくり

 

④ ヴァイカーリー(vaikharī)→音になった言葉

vi-khṛ = 分けて鳴らす

● 特徴

    •    声帯・呼吸・口腔を使う

    •    物理的音

    •    他者に共有される言葉

ここで言葉は

    •    完全に時間化され

    •    完全に外在化され

    •    誤解・ズレが生じる

しかし同時に世界を実際に動かす力も持つ

びっくりハァァ〜ムズすぎてタメ息

image

沈黙(存在>ただ在る状態)

  ↓ parā

意味の光(ひらめき)

  ↓ paśyantī

内語・文法(意味として出来上がる)

  ↓ madhyamā

音声・文字(外在化?)

  ↓ vaikharī

 

この「下る流れ」が宇宙創造(sṛṣṭi)であり、逆に発声の背後を源にたどる

→ 内語を沈める

→ 意味を溶かす

→ 沈黙へ

この「上る流れ」が解脱(mokṣa)といわれる(仮)

 
へ〜っっ???😱オドロキ😱モークシャ?…?ここまでくると凡夫には想像もつかない修行者の世界…😵

 

マートリカーとの決定的関係

    •    マートリカーは「分解の女神」

    •    意味を音素へとほどく力

    •    世界を「言えるもの」にする母

しかし同時に>言葉に分けるから、世界は分離する<なので修行ではマートリカーを否定せず、理解し、超える。

 

最後に

カシュミール・シヴァ派ではこう言います

「沈黙」は言葉の否定ではない

言葉が完全に統合された状態である

image

ゆっくり呼吸をしてみよう

きっと今までとは違う世界が

 

 

しぐさのて

ここにあらわれ

いつきみて

なくやこの世の

いくさまありて

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

今回ガチでインド哲学と言霊学

自分のメモのために書く…

読む人はムズイの覚悟してね

 

 サンスクリット語「マートリカー」(मातृका / mātṛkā)字母について

 

サンスクリット語=梵語(仏教で専門用語に使われたりする言葉>インド起源)の「マートリカ」と言いう言葉についての深掘り解説の回です合格

はじまりはじまりぃ〜

image頼まれてないけどぉ

 

「マートリカー 」は文脈によっていくつかの意味がある。語源を説明すると…=>mātṛkā mātṛ(मातृ, 母)に縮小辞 -kā がついた形で、直訳すると「小さな母」または「母的存在」となる>日本語の「母音」と重なるような気がしてマス…ニヤリ

⌘ 宗教的、神話的意味

ヴェーダの韻律が神格化された

ガーヤートリ女神の絵

インド神話で「マートリカー神軍>Mātṛkās」=>「母なる女神たち」として知られる七柱または八柱の女神たちがいる。

八柱なんだびっくり

 彼女らは神々の女性的エネルギー(シャクティ)を象徴し、悪を滅ぼす役割を担う→インドではしばしば強烈な個性の女神が悪魔を倒す物語が散見されます…(別トピックね)

(各マートリカー=「字母」は特定の女性神の力=シャクティの顕現)

⌘ 言語・哲学的な意味

>音や文字を意味する「母音・母なる音」としての文脈ではmātṛkā はサンスクリットの音節(特に母音や音素)を指すこともある。音は万物の母であるという観念から、言葉=ヴァーク…宇宙の根源的な母性原理として理解することができる。特にタントラ文献では、サンスクリットの50音(マートリカー)=神聖な音の母たちとされ、曼荼羅や身体(チャクラ)に対応している。

image

まとめると、一般語「 小さな母、母のような存在」 mātṛ+kāと

神話 女神群「マートリカー」 神々の女性的側面とタントラ哲学 音・文字・言霊の原理 「音は母」という思想がこの言葉にはある、ということになります…。

 

この「マートリカー=音の母/言葉を生む原理」というタントラ的解釈が特に面白いのでさらに深掘りすると───

 

「言葉=宇宙の創造原理」を象徴する非常に深い概念になる…

言葉は宇宙創造の根源

「ハジメニコトバアリキ」

 

⌘ 〜基本観〜「音は母(मातृ)」という思想

インド哲学(特にタントラやカシュミール・シヴァ派)では、

宇宙の根源は「意識(シヴァ)」と「力/エネルギー(シャクティ)」の相互作用によって展開すると考える。このとき、シャクティ(エネルギー)の最も微細な形が

 

(nāda)→言葉(vāk)→文字(mātṛkā)

 

へと展開していくと説く。つまり…

 音と言葉は、宇宙の母(mātṛkā)それらが世界を生み出す「母胎」…胞衣(えな)ですな!照れであると。

⌘ マートリカーは「言葉の母」=言霊の源

サンスクリット語では「マートリカー」は音素(phoneme)や文字(akṣara)<<<を指すことがある。

>>>アクシャラ(akṣara)=文字のトピックは言霊学と繋がりそうで、ワタシ的にすごく注目してる部分

特にタントラではサンスクリットの50音(अ〜ह)は、それぞれが女神=マートリカーとして人格化される。この思想では

 *各音が宇宙原理(タットヴァ)と対応

 *人間の身体(チャクラ:ナーディ)と対応

 *声を発すること=宇宙を振動させる行為!びっくりなんですってっ

という構造が成り立つのでした…

 

⌘ カシュミール・シヴァ派における解釈

特にアビナヴグプタ(Abhinavagupta, 10〜11世紀)の体系では「マートリカー」は単なる文字ではなく、意識の振動(spanda)によって現れる創造的力とみなされます。

 *シヴァの静的な意識が「ナーダ(音)」として揺らぎ

 *その振動が「マートリカー(文字・音素)」として具体化

 *そこから宇宙(名称と形なーまるーぱ)が生じる

るーぱダヨ

つまり、マートリカーとは…

 無限の意識が

言葉という形で自己表現する

最初の段階

言霊と同じ思想じゃん!!!

image

 

⌘ 哲学的意味>マートリカーを超える

一部のタントラ経典(例:Mālinīvijayatantra)では、

修行の目的は「マートリカーを支配し、超える(mātṛkānyāsa・mātṛkāmochana)」こととされる。これは、

 言葉(思考)という構造に

囚われない純粋な意識に還る

という実践的な教えを表す…

「言葉」は世界を生む母でありながら、同時に幻影(マーヤー)を生み出す母でもある───マジか?びっくり

したがって修行者は「マートリカーの力を知り、超える」ことによって真の自由に至るのですと…

おぉ修行者の諸君!頑張ってくれたまえ!笑い泣き

「マートリカー(言葉)を超える」=沈黙の意識への回帰

→「沈黙」についてはラマナマハリシの本を読め!じゃないと、ここで説明していることがチンプンカンプンだと思う

 

 マートリカと身体(チャクラ)

 

ここからは、宇宙論だけでなく「人間の身体と意識の構造」に関わる内容になります。。。

 1. マートリカー・チャクラ(मातृका चक्र)

「マートリカー・チャクラ」とは、サンスクリットの五十音(अ〜ह)=マートリカー(言葉の母)が、身体や宇宙のエネルギー構造に対応しており「宇宙の五十音は全て人間の身体にある」「身体そのものが神聖な文字の曼荼羅である」というタントラの基本思想。

 

2. 五十音と身体の対応

タントラ文献(特にカシュミール・シヴァ派やクンダリニー・ヨーガ系のもの)では、サンスクリット五十音は、脊柱を中心に配列されるとされるのだそうです。

つまり五十音=宇宙の展開過程でもあり、同時に人間の内部における「意識の上昇過程(クンダリニー覚醒)」とも対応します。

 

3. マートリカー・ニャーサ(मातृका न्यास)

サンスクリット語「ニャーサ」 nyāsa →「置く、配置する」

儀礼的には聖なる音(マントラ)を身体の特定部位に「置く」ことで、その部分を神聖化する行為

マートリカー・ニャーサの内容

50音(マートリカー)を身体の各部に順に「置く」その際自分の身体=宇宙の縮図(ピンダ=アンダ)であると観想する。結果として、修行者は「音の母(マートリカー)」と一体化し、言葉の束縛から解放された純粋意識を体験するびっくりすげ

>コトタマ「ウ」からスの神に還る感じみたいだよ

この儀礼は、単なる宗教儀式ではなく「音と言葉(ヴァーク)が現象世界を生む構造」を、自らの身体を通して“再現・統合”する行為とも言える汗いや、この知識はマジやばいかも汗

→「現象世界を生む」ってとこ、言霊学の父韻の動きからイザナギ:イザナミが「いざっ」と、現象を生むのとおんなじだよ〜汗汗汗

 

 言葉(ヴァーク)とマートリカーには四つの階層

パラー(parā) 超越的言葉(沈黙) シヴァの意識そのもの

パシュヤンティー(paśyantī) 「見る」言葉(直観) 意識の最初の振動

マディヤマー(madhyamā) 内的言葉(思考) 言葉が心に形成される段階

ヴァイカーリー(vaikharī) 外的言葉(発声) 音声として現れる段階

「マートリカー」はこの中の マディヤマーヴァイカーリー の領域に関わり、言葉を発する前の振動段階を司っている女神的原理ということになる…と。

修行者が「マートリカー・ニャーサ」を行うのは、この振動を内側から純化し、最終的に パラー=沈黙の意識 に還るため…なんですと。

意味不明ながら

なんか凄そうみたいな笑い泣き

 

この記事で、神道の『警蹕』という音による結界とインドの聖音を関連づけて書いてますウインク

 

まとめ〜概念 意味 対応〜

マートリカー→言葉・音の母、宇宙を生む力 五十音:女神たち

マートリカー・チャクラ→身体内の音の曼荼羅 チャクラ・ナーディ

マートリカー・ニャーサ→音を身体に配置する修法 

「音=宇宙」の体験

修行目的>言葉を超えた沈黙へ

     意識の統合

    (シヴァとシャクティの合一)

 

 

密教の秘儀みたいな感じになっちゃって大丈夫かコレ。実は逆に到達への障害となる知識じゃないかとも思ったり……だから好奇心はやばいんだよ……とか言いながら、まだ続きます。次回。

 

これも合わせて読んでみてね

 

しぐさのて

ここにあらわれ

いつきみて

なくやこの世の

いくさまありて

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

😅テレパシーシリーズ😅​​​​​​​

考えてみれば

「空気を読め」ってくらい

不条理なことあるのだろうか…

そもそも見えない味ない匂いない

(匂いはあるかも?)

五感で捉えがたい空気

空気を読めとはテレパシーを使え!

くらいの無謀な話だと思うのだけど…

image

そういうことを平気で要求する日本社会って何?とか思う。空気を読むのは大事⁈!?……

 

「空気読めよ」=無言の圧力

これを是とするか否とするか…読みすぎるのはダメだけど、読まないのもダメ。要するに、タイミングとか流れの背景、全体のエネルギーがどうなっているのかわからないと、命の危険さえあるのが「空気を読む」能力…それは「会話はコンテクスト」

ということを、どれだけ理解してるか。日本とゆー特殊社会で生きる必須のスキルが、空気を読むスキルだったりして…😱ヤメテ〜

 

 

 同調圧力

日本では空気を読めない人は排除する、っていう、ものすごい見えない力が働いている社会。でも、読めないのと、読むのを敢えて拒むのとは違う。この、同調を敢えて拒む勇気が、バランスを生む。。。。ということもあるよねー

 

 

image

 

空気=雰囲気みたいな?

空気=テレパシー見たいな?

重要なのは

空気が正しいわけじゃない!

ってことね汗びっくり汗汗

正しい正しくないなんてそもそも確定していないのが世の常。それを、その場だけの正義を振りかざしても仕方ない場合もある。だけど、空気を無視してしまうのも大きな問題を生む。難しいんだ、このトピックは。。。。

 

 

 コンテクスト

 

空気や雰囲気をコンテクストと呼んでもいいと思う。コンテクストの語源を調べた。

ラテン語「 contextus 」に由来。

これは動詞 contexere から来ていて、

• con-(共に、一緒に)

• texere(織る、編む)

「一緒に織り上げること」「織り合わされたもの」

なんと、やはりここでも「編む」=テキストがくるんだね〜

言葉と「編む」という表象は綿密につながっている。

 

 

 言葉と、編む、の掛け合わされる単語はいくつかあって

編纂 編集 編成 編曲 編制 詩篇 長編 短編

エトセトラ…

 

 

テキスト=編む…から発展して、

• 文や言葉が「織り合わさって意味を作る」→ 文脈

• 出来事や状況が「絡み合って意味を持つ」→ 状況・背景

 

という今の「コンテクスト」の意味になったそうです。

 

少し詩的に言えば、コンテクストとは「意味の布地」のようなもの………カックイイ!!! 縦糸と横糸、世界と人が織り合わさって意味の世界が(布が)生まれる(織り上がる)美しい!!!

 

織りもの好きです
ダンボールを使って
織ってみたヘンプのマフラー

や、編み物

 

 

 

 遅ればせのご報告

 

4月5日、ささやかながら今回も言霊学やインド哲学のお話と日本の裏歴史含めてめてお話しさせていただきました。10名ほどでしたが、拙い私のおしゃべりに付き合っていただきありがとうございました。
知らないことを教えてもらったとか、難しかったなどのご意見賜り、反省しつつ次回があるなら役立たせていただこうと思っています。感謝ラブラブ

 

 

---------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

 

↑どんなスピタイトルじゃよ↑

コトバのことを深ぼりしたいだけ

コトバって考えれば考えるほど不思議で、ヒトはコトバを普通に使うけども、じつはソレ異常にすごいことなんじゃないか?って、あらためて思い始めてて(→赤ちゃんは天才だ、のトピ)…っっっってばさ、実はあたしらテレパシーで会話してるんじゃないの?なんて妄想が

ラブラブ$#)&%%$P+*R"#ラブラブ

 

 

 コンテキスト(Context)

最近、語学とか日本語について

話してるYouTubeをハゲシク

楽しんでいる

究極、ニンゲンてばさ

言葉では会話してない?

とか思う

みんなテレパシーで会話

してんじゃね?みたいな

ふふふ妄想じゃよ

「コンテクスト」って英語があります。文脈とか、背景とか状況と訳されます。これがね、意味深すぎてクセモノ…「文脈」「背景」ですよ「状況」ですよ。エ?って思っちゃう。

ヒトは言葉じゃくて文脈で会話してるって話。会話の「流れ」や、その流れの背景にある関係性や、地域性や、信仰(日本なら神道とか仏教とか)も含めて、それらの上で〜踊るように〜会話してるってことでしょ!

人生はダンスだ!

 

YouTubeのショート動画であったんだけど、コンビニで店員が「ッッッシャイセ」って言う。コンビニと店員と入ってきたお客という状況(コンテクスト)が無ければ、「ッシャイセ」は普通なんのこと言ってるのかわからないはず。だけど、わかっちゃうこのオカルト!(この例は日本語特有の省略文化らしいけど)年末のアメ横では「ッシャイセ!ッシャイセ〜」と聞こえるんだけど略しすぎでしょ。誰がわかるの?わかるんだよ〜!えーんエモい〜〜〜ッッッ

 

・『ノンバーバルコミュニケーション』

会話とはコトバ以外での意思疎通が大部分なのだ、という話もあります…手振り、身振り、表情、声色、つまり、言葉以外でのやりとりの方がたくさんの情報を扱っている…だからネット上の「言葉だけ」のやり取りでは、たくさんの情報がこぼれ落ちてしまい、炎上、誤解、曲解、うっかり、魔変換が蔓延したりするわけですな看板持ち

 

 

欠けている情報には、体温や匂いなどの五感や、見えないオーラも関係しているんじゃないかとさえ思う…だからね、テレパシーなのよ。わははは!爆笑

普通の会話もテレパシー能力使ってるとしたら、人間ってなんやねんって感じやね。赤ちゃん時代は最もテレパシー使ってた時代だ。きっと。人間に、もともと備わっている「感応力」逆に言えば、その力がないと、会話すら成り立たない。コンテクストの奥にあるもの。背景の奥にあるものを理解する能力。

 

そして言葉を成り立たせているもの

それは✨「意識」✨

意識は「光」に、例えられます>それがないと見えない、観えない…認識できない。モノコトを照らしているのは意識の光。これはインド哲学の教え。

サムネイル

 

意識のない人とは会話できない>気を失ってるとか寝てるとか(!!!)当たり前のことではない。

つまり、意識を抜きにして、心を抜きにして言葉を、会話を成り立たせることはできない。『唯心論』?ってわけでもないけど。

 

とは誰の言葉だったか…

 

当たり前と言っちゃあ当たり前だけど、当たり前なことは「無意識」になってしまいがち、これを再意識化して自覚して使え!そしたら、この世界はマトモになるやも?

 

 

あ足り真へ

みつめなおして

ただずまい

張れやかさかん

ひ十理すず鳴り

 

すいません😢意味不明ス😱

 

 イベント告知

ほそぼそ〜ッッとまったり言霊学やインド哲学周辺の「心のはなし」をします。参加費無料で超ゆるゆるムードのお話会です。お隣の部屋ではスピイベントしてます(ヒーリングとか色々)

 

4月5日(日曜日) 13:00〜 入場無料

西武新宿線 上石神井駅 南口徒歩5分

ゆめみらいかふぇYumemiraiCafe

(カフェは休業中)

練馬区上石神井1-11-13

 ファイルがうまく変換できなくて

画像が荒いのですが↑

チラシはこんなです

 

私の顔でも見てやろう、みたいな奇矯で気狂で暇で近くにお住いの方はふるって!おいでください。

古事記の神代紀

百神の話とかする予定

(予定なだけかも)

 

 

---------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

 

 心=言葉?

 

心と言葉の関係を考えていて

全くわからん…

言葉のない世界にいる赤ちゃんの事を書きました ↑

赤ちゃんの心と大人の心の決定的な違い、それは言葉を持っているか持っていないか……

言葉のない世界のことを、言葉でいくら思考してもわかるわけがありません。思考が言葉なんだから…汗

そこに、赤ちゃんから大人になる過程のミッシングリングがある。それが何か、わかるようでわからない。言霊を勉強していて、言霊の中にその答えがあるのは見えているのに、それは言語化ができない世界。だからそれを言霊学では「高天原」というのかもしれない。。。

 

>>>古事記「千引きの岩」で分かたれた二つの世界

黄泉国高天原

それは不可侵の領域という…

言語化できないものを言語化しようとしても徒労に終わるだけなのかもしれない…

でも、知りたい。知りたいというか納得したい。

心理学で「幼児期健忘」というのがあるらしい。幼児期のことを忘れてしまう現象。記憶の倉庫にしまわれた世界。

これがミッシングリングかも?

稀に、出生児の記憶のある人がいる。有名なのは三島由紀夫。自分が生まれてすぐに産湯に浸かっているのを覚えていたそうだ。

それは、大人になって言語化した後の言葉。

でも、言語を通じて伝わるものもある───

物語や小説、詩や文章で、作者の心の世界を垣間見る。

不思議だよね。不思議すぎる。

 

 

 

というわけで、そんな不思議がる私のお話会だよウインク

 

 イベント告知

ほそぼそ〜ッッとまったり言霊学やインド哲学周辺の「心のはなし」をします。参加費無料で超ゆるゆるムードのお話会です。お隣の部屋ではスピイベントしてます(ヒーリングとか色々)

 

4月5日(日曜日) 13:00〜 入場無料

西武新宿線 上石神井駅 南口徒歩5分

ゆめみらいかふぇYumemiraiCafe

(カフェは休業中)

練馬区上石神井1-11-13

 ファイルがうまく変換できなくて

画像が荒いのですが↑

チラシはこんなです

 

私の顔でも見てやろう、みたいな奇矯で気狂で暇で近くにお住いの方はふるって!おいでください。

古事記の神代紀

百神の話とかする予定

(予定なだけかも)

 

 

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

またまた言霊学とその周辺の

お話会します

前回の茶話会はは2023年の12月だったので、二年とちょっと前でした。毎度のことながら、ほそぼそ〜ッッとまったり言霊学やインド哲学周辺の「心のはなし」をします。

なんのこっちゃですが、参加費無料で超ゆるゆるムードのお話会です。お隣の部屋ではスピイベントしてます(ヒーリングとか色々)

 

 

4月5日(日曜日) 13:00〜 入場無料

西武新宿線 上石神井駅 南口徒歩5分

ゆめみらいかふぇYumemiraiCafe

(カフェは休業中)

練馬区上石神井1-11-13

 ファイルがうまく変換できなくて

画像が荒いのですが↑

チラシはこんなです

 

 

私の顔でも見てやろう、みたいな奇矯で気狂で暇で近くにお住いの方はふるって!おいでください。

古事記の神代紀

百神の話とかする予定

(予定なだけかも)

 

無料だよ〜

 

 

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

る言葉への興味が尽きませぬ

なぜならば

過去記事でこんなマンガも描いてました

言葉=思考=雲=心=五十音!

言葉が生まれる「心の場所」を

五十音の枠のマス目とする

言霊学の考え方

「和久産巣日の神」

ワクムスビノカミ=枠結び

古事記:神産みの段イザナミが

火傷を負った後に生まれた神のうちの一柱

 

 

 

 警蹕(けいひつ)

 

みなさん、警蹕って知ってます?神道の儀礼などでの掛け声なんですが……これが言葉好きの私の想像を掻き立てる!

「警蹕(けいひつ/けいひ)」は言葉による【結界】みたいな?

神職などが、神:天皇:高位の存在が通行/降臨する場を清めるために発する声であるらしい…単なる掛け声ではなく「場を切り替えるための言葉の儀礼」として非常に古い層を持つと言う…

うほほッケッカイ?!

なんかこれ、インドの聖音

 

と同じじゃないのか……って妄想がムクムクしてきた…結構、この二つはルーツ同じだったりしないかっ???そもそも、人の意識を根本に解く神道とインド思想が似ててもおかしくないよね〜

ああ、妄想は楽しい……

インドには聖音ॐがあり

儀礼の際は必ず唱えられる

 

警蹕の言葉の意味としては

神聖な存在が来るから静まれ、退け、つつしめの合図なのですって。声=鳴り物=振動ってことね。振動。振るえる。

フルフルよフルフル口笛布留社

 

警蹕が使われるのは神事の斎場神幸祭、天皇の行幸、古代の宮廷儀礼など。その性質は命令というより、空間に対する宣言・結界するための声!!!

へえええええ〜

【警】「警める(イマシメル)、注意を促す」

→ 結界という文脈で考えると、人に対するというより、気配や空間を正すニュアンス

【蹕】 非常に古い語で「止まらせる」「道を清め、遮る」「踏み荒らさせない」という意味〜中国古代では天子の通行時に民を退かせる声・儀礼動作を指した〜

 

つまり「警蹕」>注意せよ:道を清めよ:神聖な通行がある…

人に向けているようで、実は場に向けている

「呪術的発声法」の特徴がある様で、それは

・声=>存在の顕現

・音は境界を越える

・不可視の神に届ける手段

ワクワクが止まりませんな!グラサン

インド哲学では、ただの音声言葉を明確に分類して考えます。→シャブダプラマーナ

じゃあ、警蹕は音なのか言葉なのかという問いも生まれてくるわけですが………日本語は一音で意味がある、ということを考えると、警蹕も言葉と捉えていいのかも的?

image

 

image

しめ縄も幣束も鳥居も

結界の印

 

 警蹕は言葉なのか音声なのか?

 

ここでは〜心が声になるまで〜に何が起きているのか?を

非言語 → 声 → 言葉の生成過程として深読みたいと思います魂が抜ける

言葉という音には意味があります。その意味された音=言葉がどこから生まれてくるのかを考えて見たい…

チャッピーの手を借りてねウインク

 

まず、言葉の生まれる前に心の中に非言語の何かが動きます。

(言霊学では、言霊ウアワ)

言葉になる前の気配の様なものかもしれません。これをインド哲学の文脈では「パラ」と言います。世界と自分が別れる前の未分化の「ひとつなるもの」の状態。

しかし「方向性」や「力」はある。

ここにはまだ「言おう」という意志すらない。

①    パラ(Parā)    絶対的・未分化・潜在

②    パッシャンティ(Paśyantī)    見えつつある意味

③    マッディヤマ(Madhyamā)    内的言語

④    ヴァイカリー(Vaikharī)    発話された言葉

 

 「警蹕」をこの四段階で読む

 

パラ

神事前の静寂。まだ「声」すらない。しかし場がすでに違う。神が「来る可能性」そのもの。

パッシャンティ

声になりかけの緊張。神職の身体が整う。「何かを発する必然」が生まれる。意味が“見え始める”段階。

マッディヤマ

 内的に「警蹕」が構成される。まだ発声していないが、声の形は決まっている。意志・形式・方向性が揃う。

ヴァイカリー

実際に発せられる警蹕の声。空間が切り替わる。人も神も「聞く」

ここでひとつの疑問…

なぜ「心」は直接言葉にならないのか?

 

理由は単純で、言葉は「分ける」ための道具

神意は「分かれる前」の状態

合格然り!合格照れ

ナイスチャッピー!笑い泣き飛び出すハート

心 → そのまま言語:不可能

心 → 声 → 言語:可能

 

声が生まれようとするのは分化の一歩手前。

この言霊図でいうと

ウ─→アーワ

image

 

 言葉は分けるための道具

・赤ちゃんの世界

 私たちは生まれながらに言葉をしゃべっていたわけじゃない……言葉のない赤ちゃんの世界ってどんなだったのか想像してみてください。…分かるためには自と他が分かれていないと分からない。

 →『分かる』『解る』『判る』『別る』

言霊学の上の図のすごさがわかるでしょうか…

アは主体=自己 ワは客体=世界

赤ちゃんは世界と自分が別れてないからわからない。じゃあ、何が分離させて分かるようにさせているのか?結論を先に書いちゃってますが。それが「言語」コトバ です。赤ちゃんの世界にはない【言葉

 

赤ちゃんが言葉を覚えていく過程を知ると、コトバというものの本質がよく分かります。

言語学者もこの辺りを研究しているようです。

赤ちゃんの言語習得能力は神──みたいな過去記事

で書いてます。
 

『言葉の発達の謎を解く』という本がありますが、そのことなども記事の中で書いています。

 

・言葉へのオタク的興味(愛)

話せば長い事ながら…言葉への興味から『ゆる言語学ラジオ』にどハマりして、その中で知った上記の本📕。〜言語学はめちゃ難しくて、私程度の浅学な知識で太刀打ちるもんじゃないのですが……サンスクリット語を勉強していた時に言語学者のソシュールや言語哲学者のチョムスキーのことを知り、恐る恐る言語学に近づいていった結果───

コトタマ学目線で言語学を色々と深掘りしているうちに、色々なことに気付いた。ココロのこと、コトノハのこと、コトタマのこと。

世界の成り立ちと心の成り立ち。

認識。

 

・言葉には何かがある

人は自然に言語を習得するけれども、改めて考えると謎すぎる。

言霊は言葉でもあるけど、言葉だけでは無い何かがある。と思えるくらいのことを、ごく自然に赤ちゃんはやっている。その過程が実に神秘で不思議なのだと言うことを『言葉の発達の謎を解く』と言う本で感じ入りました。

赤ちゃん天才じゃん!

と言うのはゆる言語学ラジオの水野さんの驚きですが。。。

 

確かに赤ちゃんは天才だ。だけど、みんなかつては天才の赤ちゃんだったってことの驚き。え?ワタシ天才だったの?ってね、思うじゃないですか。いまの、この零落ぶりを嘆かずにはいられない。

悲しい大人がここにひとり

 

 

 

 

おとずれは

いかにとどろき

あらはれり

しじまやそかれ

すみわたり足り

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

https://amzn.asia/d/03Myt10q

 

 

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

前回の続きみたいなトピック

「マツリこと」考えてみた!

 

明け方の夢うつつに

〜まつりの意味〜が思い浮かんだ

その考えが「なるほど」だった…

選挙もあったし政治にも絡む

 

 

 マツリコト

 

「マツリ」を考えていて「間を吊る」まではわかったけど…それが何?という感じでした。その本質が見えない。お裁縫の「まつり縫い」もヒントだったけど、これだ!とは思わなかった。

まつり縫い

──男子で「まつり縫い」と言われて、あぁ…と思う人はあまり居ないと思うけど…、これを読んでいるあなたが男性としたら、まつり縫いを実際にしてみると「まつる」の意味が相当深くわかってくると思うよ。うん。ま(間)のある布を糸で吊ってあわせる、あつめる、まとめる、そんな感じなのだ。あれが実に言いえて妙。間を吊る──マツリとは、間を詰めてまとめる…だから政治〜マツリゴト〜とは、何かひとつの共同体がまとまっている様子ともいえる>国や地域や町…

 さらに

「祭」も、バラバラな人の心を合わせてまとめるものなのか?などと思いました。祭の意義って、コミュニティの維持や、人の輪を取り戻すみたいな、心の間を詰めてまとめる事が本質にあるのかもしれない…って思いました…

川越祭は秋の収穫祭

人がまとまるために集まる

 

 

 まつろわぬたみ

 

以前から「まつろわぬ民」という呼び名が気になっていました。まつろわぬとは、大和政権が地方の人たちを勝手にそう呼んでいたわけですが、それはヤマトという共同体にまとまらない人たちのことと解すると、なるほどと思うわけです──その人たちから見れば「釣られてたまるか」と思ってたよそして私の想像するに、そういう人々は大きな集団を作らず少人数の同族集団で暮らしていた(宮崎駿監督の「もののけ姫」でアシタカが属していた村みたいなやつ)──彼らが祀る神は祖先神祖神オヤガミともいう)それぞれの昔語りを持ち、神話をもっていた。だから、大きなまとまりの(大和政権の)祀る神も神話も違うから、まつろわない。中央政府にまとまらないからと言って、何も悪いことはないはずなのに、人間というのはまとまらない者を放ってはおけなくて侵略とかしちゃう…

オニといって追いやられた

この島国に古くから住む人々がいた

イケメン風オッサン鬼

 

 秩父という場所

 

秩父にはたくさんの神とたくさんの祭りがある。夜祭りは有名だけど、四百を超える祭りが秩父地域にはひしめいているらしい。なぜかというと、日本中からの流民…漂浪の民が、この山奥の盆地に流れ着いて住み着いているから。地形的などん詰まりの場所である秩父は、西や東や北や南から色々な人たちがそれぞれの神を持ってきて祀って暮らしている。だから祭りの数も多い。住み分けが、なんとなく出来上がっている不思議な場所。まつろわぬ民たちも多く流れてきていると思われる…

───「日本という国」の雛形?????😅

山に囲まれた盆地の秩父

荒川が一旦北に向かい

寄居町で南下して

関東平野を流れ下る

 

 

 この島国に流れ着いた人々

 

この島国には、大陸からの様々な文化民族物語が流れ着いている。海洋民族騎馬民族職人商人宗教者王族貴族たちが新天地求めてとか逃避行とか薬草(蓬)を探してたり色々な目的でやって来た。これまた、それぞれ流れてきた者たちは住み分けを上手にして暮らす。たまに大きく争うこともあるが。概ね、不思議な距離感を保つように自然に暮らすようになって行く。

秩父はそんな日本の雛形と思う(……という話は度々、チチブ友と話題にする)だから、秩父が変われば世界が変わる、と、内輪受けの話で盛り上がる。笑える話。だって、本気でそう思ってるんだから。

image

 

山の中にひっそりと

お天狗様(秩父横瀬)

秩父はなんと言っても

オオカミ信仰(釜伏奥宮)

諏訪信仰はたくさんの支持を受けて

あちこちに祀られている(群馬)

忘れ去られる神もいれば

時代にもてはやされる神もいる(両神)

 

 

祭は大切

祀りも大切

まつりごとも大切

心の輪を取り戻す

 

 

 日本は、神域が人の暮らしのそばにあり、精神性を保護した。そこにはコミュニティを支えるシャーマンがいたし(村の顔役、知恵者、賢者も)争いごとを収め、婚姻を祝い、出産を助け、悩み事によりそう賢い老女や翁が尊敬をあつめていた、と、想像する。だから、争い事は少ないし、秩序が保たれていた(過去形🤣)

 

ありすぎる秩序も問題になる😅息が詰まっちゃうよね😅こともあるけど、そこは漂浪民が流れてきて(サンカとか歩き巫女とか高野聖とか)コミュニティに新しい息を吹き込むシステムもあったはず…と、思われる。

 

またまたimageしょうもない 

ことばかり考えてる

るーぱでした

 

 

 

まつりこと

わとなりまはり

たちかはれ

よきまあいつり

ながれおさまり

 

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

 

 

 

 

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村