〈始め〉からすべてを通って来た人の役割 (完結) | 太陽の船に乗る

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ディオニュソスの白夜をゆく

〈始め〉からすべてを通って来た人の役割 (完結)
クリシュナムルティの
『The Ending of Time』より私訳:

DB:それは新しいものでしょうか・・・・・・

K:・・・・・・それは地上のパラダイスでしょう。

DB:それは新種の有機体のようなものでしょう。

K:もちろん。しかしいいですか、私はこれに満足していません。

DB:はて、それは何でしょう?

K:私はこの量り難いものを、幾つかのわずかな言葉に引き下げたまま、満足は出来ません。それはとても愚かで、とても信じられないことに思えます。あなたは『非覚者』の方を向いて見ると、彼は「私に示してください」「私にそれを証明してください」「それにはどんな利益がありますか?」「私の未来に影響があるのでしょうか?」、というような態度を取っています。あなたはそれを追いかけますか? 彼はそのすべてと関わっています。そして彼は、この取るに足らないものに慣れた目で、『覚者』を見つめています! 従って、彼は量り難いものを自分の卑小さに引き下げ、そしてそれを寺院に入れるので、それを完全に失ってしまうのです。しかし『覚者』は言います、「私はそれを見さえするつもりはありません。あまりにも莫大なあるものがあるのです、どうかそれを見てください」と。しかし『非覚者』は、大宣伝や証拠、また報酬を求めているので、それをいつも自分に合わせて解釈し直すのです。彼は常にそれと関わっています。
 『覚者』は光をもたらします。それが彼に出来るすべてです。それで十分ではありませんか?

DB:光をもたらすとは、他の人々が無量なるものに向かって開かれるのを可能にする、ということでしょうか?

K:それはこのようですか? 私たちはただ小さな一側面を見るだけですが、その非常に小さな部分は、無限へ広がりますか?

DB:何に関する小さな部分ですか?

K:いいえ。私たちはただ量り難いものだけを非常に小さいものであるとみなします。そして、その量り難いものが宇宙全体です。私には出来ませんが、それは『非覚者』に、あるとてつもない影響を与えなければならないと思います;社会的に。

DB:確かにこの認識は影響を及ぼさなければなりませんが、現在、これは社会の意識にはないように思えます。

K:分かっています。

DB:しかし、影響はそこにあると、あなたはまだ言われますか?

K:はい。

DB:あなたは、小さな一部分の認識さえ、無限なるものであるとおっしゃっているのですか?

K:むろん、むろん。

質問者:それは変動する要因自体の中にあるのですか?

DB:あなたは、人類がたどっている危険な道から、コースを転じるようなことが可能だとお思いなのですか?

K:はい、それが私の思っていることです。しかし、人間の破壊的な進路を転ずるためには、誰かが耳を傾けなければなりません。いいですか? 誰かが――10人の人々が――耳を傾けなければなりません!

DB:はい。

K:その量り知れないものの招きに、耳を傾けてください。

DB:それで、無量なるものは人間の進路を転ずるかもしれません。個人には、それはできません。

K:はい。 個人はそれができません、明白です。しかし『覚者』――彼は個人であると思われていますが――は、この道を行きます。そして、「耳を傾けなさい」と言います。しかし人は聴きません。

DB:さて、人々に耳を傾けさせる方法を発見することは出来ますか?

K:いいえ、その時は私たちは(振り出しへ)戻っています!

DB:あなたは何をおっしゃっているのですか?

K:(そんなことは)するなということです。あなたは何もすることはありません。

DB:何もしないとは、どういう意味ですか?

K:私は『非覚者』としてハッキリと理解します、私のすることは何でも、――それが犠牲や実践や放棄かどうかに関係なく――私のすることは何でも、私は依然としてその暗黒のサークルの中で生きているのだと。だから『覚者』は、「行動しないでいなさい。あなたがすることは何もない」、と言います。あなたはこの道をたどりますか?
しかし、それは『非覚者』によって(自分のレベルに)翻訳されます、彼らは待つこと以外のあらゆることをします。そして、何が起るか見てください。卿よ、私たちはこれを追求しなければなりません。さもなければ、それは『非覚者』の観点から、すべてがあまりに絶望的です。

 この項〈完〉


*原題は『Can Insight be Awakened in Another?』の全文です。
対話の中で、immensity は常に K では定冠詞なしに語られ、一方、DB はいつも the を付けて使用しています。二人の微妙な考えの相違があるのでしょう。K では「量り知れないもの」「量り難いもの」と訳し、DBでは「無量なるもの」としました。ご了解ください。


クリシュナムルティは次のように述べている;
変容とは「愛し、理解し、慈悲深くあること」

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