ヘンリー・ハドソンが西洋人で初めてマンハッタンを見た。 | 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

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ArtDailyは2020年09月11日に、ヘンリー・ハドソン(Henry Hudson/1565 - 1611)がThe Half Moonで到来し、西洋人で初めて1609年09月11日に、マンハッタンを見たと報告した。

 

2019年までは、1609年09月12日であったが、2020年には1609年09月11日に修正された。

 

そして、その日は、同時多発テロが行われた2001年の日と重なった。

そして、911は、米国の緊急電話番号でもある。

 

歴史のない国は、こうして歴史が修正され、作られていくのかもしれない。

 

https://time-az.com/main/detail/15006 

 

19世紀後半から20世紀前半に活躍した歴史画家ジーン・レオン・ジェローム・フェリス(Jean Leon Gerome Ferris/1863 - 1930)が、1895年までに、彼は歴史的な画家としての評判を得て、歴史的な物語を伝える一連の絵画を作成するという彼の夢に乗り出した。多くのアメリカの歴史を描いて、あたかもそれが真実のように修正した。

 

1898年に彼は、1777年のハウ将軍の堤防(General Howe's Levee, 1777)を売ったが、彼は後で別々の絵を一緒に保つことができなければそのようなシリーズが完了することができないことに気づいた。

 

その結果、彼は別のものを決して売らず、彼は様々な出版社に複製権を売った。

 

これらの会社は、広告で使用するためにプリント、ポストカード、カレンダー、および裏紙付きの名刺を作成したため、彼の作品を大いに普及させる効果であり、これらの作品のラミネートされたカードは、1984年の時点でもまだ販売されていた。

 

しかし、そこに足掻かれたものは全て、ジーン・レオン・ジェローム・フェリスが頭の中で描いた風景であった。

 

つまり、そのほとんどは真実ではない。それがアメリカの歴史である。

 

それは、NHKの大河ドラマが真実と信じるのに似ている。

 

日本には、それでも多くに曖昧な文献が残されていたが、アメリカにはそれもない。

 

どこを掘っても人骨が出てくるロンドンと、どこを掘っても何も出てこないニューヨーク。

いや、コロナ以降、あるところを掘ると膨大な骨が出てくる歴史的な場所ができた。

 

この何年間は、歴史的な事件が増えた。

 

 

ヘンリー・ハドソンは1607年に、モスクワ大公国との貿易を独占するイングランド最初の勅許会社モスクワ(Muscovy Company)に雇われた。

 

この会社の設立目的は、大航海時代の一つとして、シベリア沖の北極海を通ってヨーロッパと中国を最短で結ぶ北東航路の探検であった。

 

当時は、夏の3ヶ月間に、太陽が沈まないので、北極圏の氷が溶け、イングランドから北極点を通って太平洋のモルッカ諸島へ直行できる海路が開けるだろうと信じていた。

 

1607年にヘンリー・ハドソンは北極海に向かって80トンのホッペベル(Hopewell)号船出したが夏でも融けない厚い海氷に閉ざされて先に進めず、1607年09月にイングランドに戻ってきた。

 

1608年には、北東航路に再挑戦するためロシア北方に出港した。ノヴァヤゼムリャ(Novaya Zemlya)の付近まで達したが、厚い氷で再びイングランドに帰らざるを得なかった。

 

1609年には、オランダ東インド会社(Dutch East India Company)に雇われ、アメリカ大陸の北を周ってアジアに向かう北西航路を発見するため、ハーヴ・ミーン号(Halve Maen/The Half Moon)で大西洋横断航海に出た。

 

以前の航海者がすべて氷で行く手を阻まれたことから、ジェームズタウンのヴァージニア植民地が建設されたことを聞いた彼は、北米中央部から太平洋へ出る航路を探すことにした。

 

ハーヴ・ミーン号はチェサピーク湾(Chesapeake Bay)とデラウェア湾(Delaware Bay)周辺を航海したが、これらの湾は太平洋にはつながっていないことが分かった。彼はその北にあるニューヨーク湾へ入りハドソン川(Hudson River)を遡り、オールバニー(Albany)にまで達したが、これより先は川幅が狭いため戻らざるを得なかった。

 

 

ハドソン川の探検で、ヘンリー・ハドソンはモヒカン族やワッピンガー族など多くのアメリカ先住民と交易を行い、貝殻、ビーズ、そしてビーバーやカワウソの良質の毛皮を得た。

 

オランダはこの航海をきっかけに毛皮交易を始め、この地域への権利を主張するようになる。

 

 

こうして1625年にニューネーデルラント(New Netherland)が誕生し、ハドソン川河口の島マンハッタンに首都ニューアムステルダム(New Amsterdam)が建設された。

 

1609-03-25---Henry Hudson embarks on an exploration for Dutch East India Company to find a passage to Asia

1609-08-28---English explorer Henry Hudson, discovers and explores Delaware Bay

1609-09-04---Navigator Henry Hudson first European to discover island of Manhattan [or Sep 11]

1610-08-02---Henry Hudson enters the bay later named after him, the Hudson Bay

1611-06-22---Henry Hudson set adrift in Hudson Bay by mutineers on his ship Discovery and never seen again

1938-01-06 Bronze memorial statue of Henry Hudson erected in Bronx

 

マンハッタン発見400周年であった2009年09月12日には、出版社のAbramsが、現在のニューヨークができるまでの自然史を1冊にまとめた「A Natural History of New York City(ニューヨークの自然史)」という本を出版した。

 

ヘンリー・ハドソンが何を見たか?について、風景エコロジスト(Landscape ecologist)のエリック・サンダーソン(Eric Sanderson)が当時を歴史的、考古学的な記録資料からエコロジーの現代の原理を適用して分析し、現在では何100万人も生活するビル群になっているマンハッタン島をコンピュータ・モデリング技術を利用してワイルドな1609年頃を再現している。

 

そして、18世紀のマンハッタン風景の地図を現代の都市景観に合わせることによって、エリック・サンダーソンはタイムズスクエアの森林、ハーレム草地と街の沼沢地に作り直している。

 

それは、今のマンハッタンを頂点に、次世代に自然のマンハッタンに返った場合の未来なのかもしれない。

 

Mannahatta

A Natural History of New York City

Mannahatta

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Authors: By Eric W. Sanderson, Illustrations by Markley Boyer

Imprint: Abrams Books

ISBN: 0-8109-9633-2

EAN: 9780810996335

Availability: In Stock

Publishing Date: 5/1/2009

Trim Size: 7 1/2 x 10

Pages Count: 352

Cover: Hardcover with jacket

 

マンハッタン島のGoogle Earthポインター情報

40°42'51.7"N 74°00'23.3"W

または、

40.714367, -74.006464

 

 

2001-09-11---米国同時多発テロが起こった!

1863-08-18---アメリカの画家ジーン・レオン・ジェローム・フェリスが生まれた。

1664-09-08---マンハッタン島をイギリスがオランダから奪い取った。

1664-09-08---ニューアムステルダムが、ニューヨークに改称された。

0000-09-11---西洋人がマンハッタンを初めて見た記念日。