イタリアの画家で、彫刻家のアルベルト・ブッリが生まれた。 | 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

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ArtDailyは2020年03月12日に、第2次世界大戦後のポスト-ワー・アート(Post-War art)の世界でキーになったネオ・ダダ(Neo-Dada)、ヌーヴォー・リアリズム(Nouveau réalisme)、ポストミニマリズム(postminimalism)、アルテ・ポーベラ(Arte Povera)のような芸術的なムーブメントで注目されたイタリアの画家と彫刻家であったアルベルト・ブッリ(Alberto Burri/1915 - 11995)が イタリアのウンブリア州ウンブリアのチッタ・ディ・カステッロ(Città di Castello, Umbria)で、トスカーナのワイン商人であったピエトロ・ブッリ(Pietro Burri )とウンブリアの学校の先生であったカロリナ・トレッギアニ(Carolina 

 

Torreggiani)の子として、1915年03月12日に生まれたと報告した。

 

https://time-az.com/main/detail/63553 

 

 

アルベルト・ブッリは、ペルージャ大学(University of Perugia)のアンニーバレマリオッティ高校(Annibale Mariotti high school)に通い、そこで芸術、美術史、医学を学び、1934年に医学部に入学し、1940年06月12日に博士号を取得して卒業した。 

 

医学の勉強中、アルベルト・ブリは熱帯医学に特化し、アフリカで働くことを決めた。

 

イタリアが第二次世界大戦へ参入した2日後の1940年10月12日に兵役に召還され、戦闘医としてリビアに送られた。

 

彼が所属していた部隊は1943年05月8日に、チュニジアのイギリス軍に捕らえられ、後にアメリカに引き渡され、テキサス州ヘレフォード(Hereford, Texas)にの収容所に収監され、キャンプで入手可能な限られた量の材料を使用して、最初のアート活動を開始した。

 

 

アルベルト・ブッリは、伝統的な画材を用いず、粗目の麻袋をキャンバスに貼ったり、透明プラスチックをバーナーで黒く焼き、穴をあけるなどの手法を抽象絵画として徹底して追求した。

 

絵画というものの「物質性」に注目したこの姿勢は、絵画表現の可能性を広げたほか、とくに、1960年代に台頭したアルテ・ポーヴェラのアーティストたちに多大な影響を与えた。

 

 

今回公開された作品は、アルベルト・ブッリによる1981年の「マルチプレックス8(Multiplex 8)」である。

Courtesy Fondazione Palazzo Albizzini, Collezione Burri, Città di Castello, Italy, and Luxembourg & Dayan

 

以前、IBMで製作したコンピュータ年表の表紙をコンピュータと相反するアルベルト・ブッリの作品をイメージして作ったが、拒否された。

 

それ以来、アメリカ人がアルベルト・ブッリの作品を解説すると、信じなくなった。