小池百合子という人間を、絶対に信用してはいけない。(その1) | じろう丸の徒然日記

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2002年、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪れ、拉致被害者のうち横田めぐみさん死亡していると伝えられた。
家族会の人たちは、外務省・飯倉公館で、福田康夫官房長官からそのことを知らされたが、蓮池透さんはその後にあったことを、自身のメールマガジン今年の6月21日に配信した「東京都知事選で絶対に選んではいけない人を見極める」の中で、次のように述べている。


 (以下、引用)
「宣告」を受けた後、家族会は衆議院第一議員会館の会議室で記者会見を開いた。やはり、メインはめぐみさんが死亡とされた横田滋、早紀江夫妻だった。滋さんは「結果は死亡という残念なものだった」と涙ぐんだ。早紀江さんは気丈にこう語った。
 
「日本の国のために犠牲になって苦しみ、また亡くなったかもしれない若者たちの心のうちを思ってください。私たちが一生懸命に支援の会の方々と力を合わせて戦ってきたこのことが、大きな政治のなかの大変な問題であることを暴露しました。そのようなことのために、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと、私はそう思うことで、これからも頑張ってまいります。まだ生きていることを信じつづけて戦ってまいります」
 
この鬼気迫る「闘争宣言」に会議室は静まり返った。その背後には緑色のジャケットに身を包んだ小池氏が陣取っていた。最もテレビカメラに映る「特等席」だ。赤いハンカチで涙を拭きながら早紀江さんの話を聞いていた。当時の小池氏は「拉致議連」には属していたが自民党ではなかったため飯倉公館へは行っていない。果たして、早紀江さんの話をきちんと理解していたのか甚だ疑問である。
(引用、ここまで)
 
著作権のこともあるから、本当はこんな長い引用は良くないのだけれど、政治家である小池百合子という人間を知るうえで公益性のある情報だと判断したので、あえて引用します。
蓮池透さん、どうかお許しください。

 
そしてこの記者会見が終わった直後、小池百合子驚くべきことをやらかした。
(再び引用)
重苦しい雰囲気の中記者会見が終了した。ほとんどの人が会議室を退出して私と支援者数名で今後の方針などを話していた。すると一度出て行ったはずの小池氏が慌てた様子で会議室に戻って来た。何かを探しているようだった。そしてあの驚きの発言が飛び出した。 
 
「あったあ!バッグ」「私のバッグ、拉致されたかと思った」
 
そう言うと、そそくさと出て行った。
 
私たちは唖然とした。「あの態度の豹変ぶりは何だ。さっきまで泣いていたのに。元役者だっけ。キャスターだったよな」「ビデオかボイスレコーダーに録っておけばよかったなあ」。そんな言葉を交わすしかなかった。
(引用、終わり)
 
このとき以来、蓮池透さんは、小池百合子まったく信用していないと、X(旧ツイッター)で述べている。
 
現在、小池百合子には、再び学歴詐称の疑いが強まっている。
エジプトカイロ大学を、実際には卒業していないのではないか、という疑惑である。
2020年に、ノンフィクション作家石井妙子さん文藝春秋から出した『女帝 小池百合子』という本は、衝撃的だった。
同書には、かつて小池百合子エジプトに留学していたときに同じアパートで同居していたという早川玲子さん(仮名)の証言が紹介され、これにより、小池百合子が実際にはカイロ大学を卒業(それも首席で)などしていないことが事実上明らかになった。

 
【カイロ大学】

(フリー画像:Citadelite, パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)
 
この本を私は読んではいないのだけれど、同書の内容を紹介しているサイトでは、前述の家族会への侮辱的なエピソードはもちろん、小池百合子驚くべき人格が分かる次のようなエピソードが紹介されている。
 
1995年阪神大震災からしばらく経ったころ、小池百合子以前の選挙区だった芦屋から、数人の女性震災後の窮状を訴えるために、議員会館百合子を訪ねて来た。
しかし百合子は、震災後の窮状を必死に訴えるその人たちに対して、指にマニキュアを塗りながら、1度として顔を上げることなく応じた。
そして塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう言い放った。

 
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」
 
学歴詐称疑惑が無かったとしても、これらのエピソードからだけでも、小池百合子が政治家にふさわしくない人物であることは明らかだろう。
(続きます。)