懐かしの在日コリアン・ヒーローズ | じろう丸の徒然日記

じろう丸の徒然日記

私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

先週、私がフォローさせてもらっている、ある女性のブログを読んでいたら、
「日本にいるコリアンは、すべてが強制連行で来たわけではない」
という記述を、ある本で読んで、目から鱗が落ちたと告白なさっていた。
 
私はそれを読んで、ああそうか、知らない人もいるのだなと、ようやく思い至った。
実はこれまで、在日コリアンの人たちについて書いている一般の人のブログ等を読んでいて、「あれ?」と思うことが度々あった。
それは、その投稿者さんたちが、いま日本に住んでいるコリアン(韓国、朝鮮系の人々)はすべて朝鮮半島から日本強制連行されてきた、という前提で書いていることが多かったからである。

 
もちろん、そういう例無かったとは言えない。だが自分の意志で日本にやって来た人たちも多くいたのである。
私もちょっと反省しているのだが、私は在日コリアンの人たち皆自分の意志で日本に来たと思っていたのである。
そうではない例もある可能性に、思い至らなかったのだ。
 
1910年(明治43年)8月29日に、「韓国併合ニ関スル条約」に基づき、大日本帝国大韓帝国を併合して統治下に置いた。これを韓国併合、あるいは朝鮮併合日韓併合日韓合邦ともいう。
これにより、すべての韓国人日本国籍が与えられ、一部の韓国人日本に移り住んだり、逆に日本人韓国に渡って現地の人たちと協力しながら事業を行うなどした。
言うまでもないことだが、日本国籍をもっている人日本に入国することには何の問題もない。

 
だが戦後、日本政府国内に暮らすコリアンの人たちから日本国籍はく奪してしまった。
前述の「韓国併合ニ関スル条約」失効したためであるが、これはあまりにも一方的な措置ではないか。

 
ところで、私が在日コリアンの人たち皆自分の意志で日本に来たと思っていたのには訳がある。
日本有名人、例えば芸能人、スポーツ選手、文化人には、在日コリアンの人たちが結構いて、その人たちは(あるいはその親が)自分の意志で日本に来ていたからである。

 
例えば、1970年代『週刊少年マガジン』に連載され、当時の少年たちのハートを大いに熱くさせた『空手バカ一代』という劇画があった。
原作者は梶原一騎さん。作画は途中まではつのだじろうさん、途中からは影丸譲也さんが担当した。
これは実在の空手家・大山倍達(おおやま・ますたつ)さんの半生を描いた作品なのだが、この大山倍達さん在日コリアンなのであった。ただし、作中では日本人という設定になっていた。

 
1988年韓国ソウル・オリンピックが開催され、日本人スポーツ記者が取材のために現地を訪れた。
その記者さんソウル市内を歩いていたら、とある書店の店頭に、『空手バカ一代』とそっくりな劇画の単行本が置いてあるのを見つけた。しかも、裏表紙には大山さんの顔写真が印刷されている。
驚いた記者さんは、その場で『大野望』というタイトルのその本を買い求め、帰国後、オリンピック報道の仕事が終わると、さっそく大山さんに取材を申し込んだ。

 
すると大山さんは、あっさりと自分が韓国人であることを明かしたのである。
「いかにも私は、韓国人だ。本名は崔永宜(チェ・ヨンイ)、大山倍達というのは、韓国が日本に併合されたときに付けられた日本名だ」
ちなみに「倍達」韓国の言葉で、読み方は「ペダル」といい、意味は「英雄」とか「豪傑」とかではなかったかと思う。(韓国の皆さん、間違っていたらごめんなさい。)
 
大山さんは自ら志願して日本軍に入隊、戦闘機の整備員として終戦まで働いた。
このことからも分かるように、大山さん日本に対して何ら悪感情を抱いてはいない。

 
大山倍達さんの訓練風景】

(フリー画像:日本スポーツ出版社, パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)
 
つい何年か前までTBS系列のテレビ番組『サンデーモーニング』のスポーツコーナーで人気者だった張本勲さんもまた、在日コリアンである。ただし、この人は在日2世で、生まれたのは日本広島市である。
その張本さんが、若いときにプロレスラー力道山を、その滞在しているホテルに訪ねて行ったことがある。
力道山こと百田光浩(ももた・みつひろ)さんは、張本さんを大喜びで迎え入れ、1枚のレコードを取り出すと、プレーヤーにかけ、その音楽に合わせて踊りだした。それは、韓国の民謡だった。

 
驚いた張本さん「あなたは韓国人なんですか?」と問うと、百田さん「そうだ」と答えた。
「じゃあ、どうして隠しているんですか? どうして堂々と韓国人だと名乗らないんですか!」と、張本さん百田さんを非難した。
すると百田さん目に涙を浮かべながら、張本さんを殴りつけた。そして言った。

「お前に何がわかる! 韓国人だと知られたら、殺されてしまうんだぞ!」
 
このエピソードは、作家・船戸与一(ふなど・よいち)さんの著書『諸士乱想 トーク・セッション18』(1994年 ベストセラーズ、1998年 徳間文庫)に収録されている張本さんへのインタビューの中で語られていたことである。
私はこの本徳間文庫版を持っていたのだけれど、あいにく紛失してしまった。
そのため読んだときの記憶に頼って書いたのだけれど、間違っている箇所もあるかもしれません。ご了承ください。

 
力道山こと百田光浩さんの雄姿】

(フリー画像:著者不明著者不明, Public domain, via Wikimedia Commons)
 
百田さんは、朝鮮半島韓国北朝鮮が建国されるよりも前日本大相撲関係者からスカウトされて来日し、二所ノ関部屋に入門して力士となった。
後に廃業してプロレスラーに転向したのは周知のとおりである。
百田さん韓国人ではあるが(一族の本家は北朝鮮らしい)、この人が得意の空手チョップ大男のアメリカ人を叩きのめすのを、敗戦ショックに打ちのめされていた多くの日本人が観て、大いに勇気づけられたのは紛れもない事実である。

 
さて、その百田さん力道山に憧れて、はるばる韓国から漁船に乗って密入国(!)してきたのが、金泰稙(キム・テシク)さん、後のプロレスラー、大木金太郎である。
見つかって逮捕されたけれども、百田さん身元引受人になってくれたおかげで、韓国強制送還されずにすんだ。
念願通りに日本プロレスに入門、ジャイアント馬場アントニオ猪木と共に「若手三羽烏」と呼ばれ、活躍した。

 
大木金太郎こと金泰稙(キム・テシク)さん

(フリー画像:ベースボール・マガジン社, Public domain, via Wikimedia Commons)
 
大木選手プロレスを題材にした少年向け漫画『タイガーマスク』にも脇役として登場、そこでもちゃんと韓国出身であると紹介されていたので、この漫画を読んだ当時の少年たちは、大木選手韓国人であることをちゃんと知っていた。
 
私なども、こんなふうに韓国にルーツをもつ在日ヒーローたちに子供のころから親しんでいたため(さすがに力道山の試合は観たことがないけれど)、在日コリアンの人たちに対する嫌悪感などまったく無い。しかし、最近の少年・少女たちはどうであろうか。
たとえ政府レベルでは対立しているとしても、一般人レベルでは友好的な関係を築きたいものである。